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哲学の授業。もちろん教養学部だから、入口に立つ程度だけど。授業を続けて聞くうちに、譲ってはいけない立場があることに気づきます。 古典古代から続く哲学は、自分を何かに近づける方法ではない。だから、問いを立て、その問いの答えを探る。執拗に。でも、外部から引っ張られるような力を感じたら、回避する。逃げる。消える。どんな手段を使っても、自分の問いを他人に渡してはいけないんです。 きつい学問です。ほんとうに厳しい。殺された人だっています。永遠に孤独を生きるしかない世界なのかもしれません。 でも、子供の頃から孤独に親しんだ自分なら可能かもしれない。無理かもしれない。そう思いながら、迷いながら歩く道そのものが、僅かづつその世界を垣間見させてくれます。 それにより、歩くことを知り、生きることを知り。だから、そこから離れることはあっても、忘れることはありません。 他人と同じ位置には、物理的にも、心理的にも立つことはできません。 近似値とか、類似とか、相似はあっても、同じというのは、一致はしないのです。 だから、人間は皆孤独なのかもしれない。皆孤独なら、皆同じなのかもしれない。 それは何故なのか。 これはまた、ずいぶんと大きな問いを背負わされたものですねぇ。皆さん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年07月20日 21時28分32秒
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