自然を考える

自然を考える


第一章 ある山行

 ガラスの登山靴をぬぎ捨てて裸足で雪渓を走り去る後ろ姿があんまりきれいだったので、思わず君を山頂で軟派したのさ。“そこのレストランでカレー味のソフトクリームを食べませんか。”って。

 君は案外簡単に誘われて、1984m無名峰から17軒目で時々走って2分と15秒の、イタリアンレストラン“崖っぷち”でソフトクリームの形をしたカレーをなめていた。僕はといえば、オードブルのゆで玉子を食べようとしたら突然に火傷したヒヨコがかえって、短足のフラミンゴと一緒に青空に飛び立った。

 仕方がないので、
“飛び去った ヒヨコに教わる 空の青”

 などと石戸さんのように一句ひねりながら、山菜サラダを食べたなら、ふきのとうに紛れた毛虫を噛み潰して、“私は怒ったぞ-”と言ったなら、夕立が激しく降りだしてきて、窓の外の登山道を雨に濡れたノーブラ娘が走ってきて思わずよかった。しかし、そのうしろを透明人間が血相を変えて追いかけていったので、僕は九分九厘(英語にすると9.9%)駆け落ちだと思った。

 結局この日は登山道を一人で下ったが、途中一匹狼の大群に襲われたので、GIジョーの真似をしたらうまく隠れられた。気が付くと目の前にはリカちやん人形の真似をした色盲のカメレオンが立っていたので思わず熱く抱きしめてから下山した。

 さびしくなって“東風(こち)ふかば・・・”といったなら、梅ではなくて、セイタカアワダチソウが荒川土手から単身不倫して僕をまっててくれたのでうれしかった。

(ラジオで聞いた言葉遊びのフレーズを随分とそのまま使ってます。)


第二章 人間と自然との関係

(人間は自然の一部)
 大自然は気持ちがいい。遥かかなたの山々を見回しながら、広い野原でするウンコは気分が最高である。そんな時に私は自然の一部であることを実感する。

(自然における他の人間との関係)
 しかし、野原ではなかなかできない。通常はキジ場で行わなくてはいけない。他人のおこなった所を避けながら適切な場所を見付ける。しかし、キジ場は怖い。踏み外した時のグニョグニョが。

(自然界における食物連鎖)
 力をふりしぼっていると気が付かない。しかし、一段落がつくと心にゆとりが出来る。そして気が付けば、
 “金バエが ウンに群がる 大自然”

(自然における不条理)
 自然界では物事は論理的に進まない。用が終わって、立ち上がってホットしてあくびをしたなら、その口に、飛び込んでくる。金バエは特攻隊。ウン付きの金バエが。

(哲学の必要性)
 だからこそ哲学が必要になる。梅原猛先生にお願いしよう。


第三章 自然界において哲学は

 “不安は眠る。一見希望に満ち未来が現在によびかけ、現在が未来に応じるこの時間の調和のとれた世界の奥にすら不気味な猛獣が眠っている。未来はいつも不定な何かである。それなのに現在の己に堪えがたい人間はその不定なものへの期待によってのみ己れに堪える。”
(「闇のパトス」梅原猛著より)

 人間が他の生き物と違うのは、明日の私はこうありたいと思い、そうあろうとすることだという。そしてそれが日常化すると追い詰められる。思いどうりにそうあれるだろうかという不安。自分に対する不安は心の中に螺旋を描き絶対的な不安となる。

 自然と接すると、自然はそのふところの深さで、絶対的と思っていた不安を相対化してくれる.とうとうたる大地の時間の流れに比べれば、人間の悩みや苦しみなんてちっぽけなもの。

 一人で山へ行く。大地に時々相談する。「どうしたらいいのだろうか。」すると大地は「そんなつまんないことを気にしやがって。」と素っ気なく答えてくれる。


第四章 結論

 自然界において人間は塵のようなもの

 世の中のちりし積もりて山とならば
   山ごもりせん ちりのこの身も
                (多分「by 蜀山人」)


第五章 おまけ

山に登ってテントを張って
朝から夜まで何もせず
テントの前にシートを敷いて
時々あたりの山をながめるほかは
ドカリと座って
スーパーニッカを飲みつづける

アルコールに沢の水。それに山の空気。
これさえあればあとは何もいらぬ。
女もいらぬ。金もいらぬ。名誉もいらぬ。
カスミならぬアルコールをくいたる仙人になりにける。

時たてば、夢かうつつが分からぬが
大地の中に我ひとり。
どこまでが自然でどこまでが自分なのか
境い目すらも分からぬようになる。

白い雲はフラリとながれ
風はざわめき、鳥は鳴く。
そしてその中できこえてくる鼓動は大地のものか自分のものか。
意識はうとろみの中に落ちていく。

人間はやっかいだ。
今の自分に耐えられず
明日あるべき自分を追いかける。
追いつけない不安。逆に追いついたときの不安。

でも自然のなかに身を置けば
そのな不安はちっぽけなもの。
大地の時間のとうとうたる流れ。
その流れの中で、そんなちっぽけなものは消えうせる。

「なぜ山に行ってまで酒を飲むか」と問われた。
都会の雑踏で飲めば、自分は雑踏の一部になってしまうが、
山で飲めば自分は大地の一部になるのだと、答えつつ思った。
もしかすると、僕は酒を飲むとカメレオンになるのではないか。

スーパーニッカをカラにして
一人で山から帰ると
人のぬくもりや人のあたたかさが身にしみる。



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