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buffieblog

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96~00年

社会主義国中国
行き先:香港、中国南部
時期:1996年6月10日~
ワンポイント:全く言葉が通じないのは久々
総合評価☆☆☆☆、食事☆☆☆、宿☆、交通☆☆☆、人☆☆☆
感想:新聞記者という職業だと、社会主義・中華人民共和国の観光ビザはなかなか発行されない。
実際、先輩のAさんが拒否されている。
というわけで、香港(パンダ旅行社)で中国のビザを取った。1日でビザを取り、列車で入国。大都市・広州を通り越し、肇慶という田舎町で下りた。
入国審査官は日本人を見たことがなかったらしい。しかもパスポートの写真は長髪で、現実はスポーツ刈りで真っ黒に日焼けという状態だった。「本当に日本人か?」と聞くのを押し切り入国。今思えば、珍しかっただけで、悪気はなかったのだと思う。
でも、タクシーのガイドも、ホテルのフロントも日本語はおろか英語も通じなくて参った。さすが社会主義国、サービスという概念が全くない。
香港はさすがに都会。路面電車にも乗れたし、マカオに行けなかったことだけが残念。

ドイモイの国ベトナム
行き先:ベトナム
時期:1997年6月29日~
ワンポイント:人のやさしさに触れた
総合評価☆☆☆☆☆、食事☆☆☆、宿☆☆、交通☆☆☆☆、人☆☆☆☆
感想:仙台からソウル経由アシアナ航空でホーチミンに着いたのは真夜中過ぎ。飛行機でハノイに飛んで、夜行列車で2泊してホーチミンへ。
トラン・バン・マイさんがサイゴン駅で出迎えてくれた。実はこの人、ホーチミン1日目に知り合い空港まで送ってくれた人。3日後に戻ってきたらガイドをする約束をしていた。前金を渡していたが、本当に来てくれるかは五分五分と思っていた。その正直さに心打たれた。
クチのベトコンのトンネルやメコン川デルタを見学して、昼、夜ともマイ家で家族と一緒に食事する。料金的には決して安くはなかったが、いい思い出になった。
ハノイでは水中人形劇やホー・チ・ミンの遺体を見学したりハイフォン港に行ったりした。シクロ(自転車)にも乗った。思い出深い国になった。

マレー半島
行き先:シンガポール、マレーシア、インドネシア
時期:1998年9月21日~
ワンポイント:鉄道。そして出会い
総合評価☆☆☆☆、食事☆☆☆☆、宿☆☆、交通☆☆☆☆、人☆☆☆☆☆
感想:シンガポール、マレーシア、インドネシアを巡る旅。
マーライオンにペナン島、ビンタン島のビーチ。海外に出て初めて海で泳いだし、マレー鉄道に乗ったりと十分に満足のいく旅だった。
思い出の町となったクアラルンプール。再びあの町を訪れて、せつない思いに浸るときがくるのだろうか。

予想もしない海外出張
行き先:グアム
時期:1998年12月4日~
ワンポイント:2度目の海外出張
感想:11度目の海外は、考えてもいなかったグアム出張。仙台時代最後の思い出だ。
大学準硬式野球の親善大会の同行取材。しかも費用向こう持ちの殿様出張だ。本来なら別の人間が行くはずだったが、そいつが10月に転勤になってしまって僕にお鉢が回ってきた。
毎朝ビーチで泳いだが、白くてでかいなまこがうじゃうじゃいた。あっちを踏めばぐにゃり。こっちを踏めばぐにゃり。
ドッグレースを楽しんでプラス収支。

海外初ダイブ
行き先:フィリピン
時期:1999年11月29日~
ワンポイント:クマノミ城、ギンガメアジ、バラクーダ
総合評価☆☆☆☆☆、食事☆☆☆☆☆、宿☆☆☆☆、交通☆☆☆、人☆☆☆☆
感想:6月にダイビングを始めてから、ずっと海外に行きたいと思ってた。フィリピンにしたのは本当に偶然だが、これでアセアン諸国をほぼ制覇になった。
5日間のうち中3日、毎日3本ずつダイビングざんまい。費用は一人部屋追加料金を入れて9万円ほど。もちろん飛行機、宿、食事、ダイビングガイド代込み。ナポレオンフィッシュ、ギンガメアジの群れ、クマノミマンション、と十分元は取れたね。ただ、プランクトンが浮いていて興醒め。沖縄のほうがきれいだと思った。

初の南半球
行き先:オーストラリア
時期:2000年9月24日
ワンポイント:もっと観光を入れたらよかった。海だけでは飽きる
総合評価☆☆☆☆、食事☆、宿☆☆☆、交通☆☆、人☆☆☆☆☆
感想:ダイビングでシドニー五輪真っ盛りのオーストラリアへ。ケアンズからシドニーを無視してグレートバリアリーフへ行ったのがいけなかったのか、凄く波が荒れて船酔い1日半。ゲーゲー吐きまくって胃の中空っぽ。それでもしぶとく13本も潜るのだから、我ながら凄いよ。
透明度は良くなかったけど、ナポレオンやポテトコッドなど大物はいっぱいいた。
陸に戻ってはカンガルーやわにを食べた!


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