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カテゴリ:雑感・あれこれ
良く行くpandoraというHPにある本が紹介してありました。
たまたま在庫がなくて、そのアルボムッレ・スマナサーラ氏が書かれた別の本を購入して読みました。 「 怒らないこと(役立つ初期仏教法話1)」という本です。 実の所私の心の中に「怒り」が沢山あったわけ? とビックリしている所なのです。すぐ読めます。 怒りにもいろんな種類があるのだけど、 その怒りの種類を一つずつ読むと、どれも自分が持ったことのある感情です。 私の心は常に何かに対して怒っていたわけで、それは、社会に対してでもあり、 子供に対して、それ以上にまず、「自分」に対して!、 さらには周りの「怒り」にすぐに反応してさらに「怒る」自分 がいるのです。相手の感情に対して怒っているという…、よく考えるとなんとも馬鹿らしい 怒りがあったりします。 したい事をしなかったり、嫌な事を断りきれない自分に対する、怒りとか! その本の中に一人のおばあさんの話が出てきます。 「そのおばあさんは近所でも評判の怒らない人格者だといわれていました。 そのおばあさんは、真面目なお手伝いさんが常にキチンと世話をし、 いつも一緒に生活をしていました。 ある日お手伝いは、そのおばあさんが本当に人格者か試す為に、朝寝坊をしたそうです。 一日目、二日目、三日目。 三日目になると、その人格者といわれたおばあさんは、 お手伝いが起きて来ないのを怒って、お手伝いの頭を殴って、血が出ました。 お手伝いはすぐに外に出て行って、 「このおばあさんは人格者ではありません。私が3日寝坊をしただけで、 私を殴ったのです」 といい、そのおばあさんの評判は一気に下がった。」 ざっとこんな話です。 オッ! これ、実は私です。 独身の頃、働いていた頃は一人暮らしでしたし、仕事上でもあまり厳しい人は いませんでした。寂しいという感情以外は、とても楽でした。 なので、私は「良い人」でいれたのです。(イヤ、多分の話です) が結婚して子供が出来て~となると、自由三昧の一人暮らしから新しい家族 しかも双子ですから、自由はあっという間にゼロです。 私の人格者!のメッキはあっという間に剥げてしまった訳なんです。 まさしく、これなんです。 総てが私に都合よく動いてくれていたら、気を使ってくれたら、 ~ イエスと言ってくれ、理解を示してくれる人ばかりの日々ならそりゃ、 怒る理由は出てこないかもしれません。 でも実際はそうじゃない。 子供なんて、「何でこんなことするんだ?」の連続ですし。 夫、お姑さん、周りの人達、限がありません。 さらに冬になると昼間で日が差さないというこの天気にだったり、 嫌なニュースだったり、そういうことに私は怒っていました。(笑) 今迄は、仕事場だから我慢できた事、家に帰れば切り替えが出来てOKだったのが、 一日全部がプライベートになると、我慢できなくなるという、 次元の低い私をまざまざと見せ付けられました。 もし、心が広い理解者がいてくれれば、その人の前では、 私はきっと素直で愛が一杯の自分でいれるかもしれません。 が、実際はそういう状況の事は余りなく。 この先も何時もそういうベストの状況の事は少ないでしょう。 では、そういう時どうやって心を保つか。 これは、私の課題でもあり、実践せねばならぬ事です。 きっと、これを「外」の所為だと思うと、私は常に失望感から怒りで一杯になるんだと思います。 自分の方の思考を変えること。それが判断力をつける ということなのでしょう。 さらに、余計な事無駄な事を考えない事、楽しい事を考える事、 頭の切り替えそれが一番かな? その辺りがまだまだ下手だなぁ~と思うのです。 非常に分かりやすく書いてありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月07日 09時04分28秒
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