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2021/09/17(金)10:44

有 馬 温 泉 の 芸 者 さ ん 3/26

舞   妓   さ   ん   雑   記   帳(63)

​​☆彡 有 馬 温 泉 の 芸 者 さ ん ☆彡 ​​ 兵庫県の神戸の近くに「六甲山」という有名な山がある。 その山系に、これまた関西では有名な「有馬温泉」がある。 白くぬった顔にあでやかな紅を筆で引く。 座敷に上がる直前の、一番身の引き締まる瞬間だ。 関西の奥座敷として名高い有馬温泉(神戸市北区) には古都、京都にもひけをとらない芸者衆がいる。 約20人の芸者らを率いる「有馬検番」で置屋を運営し、 自らも芸者の倖梅(こうばい)さん(71)。 ピンと伸びた背筋に宿る凛としたたたずまいは、 日本最古の温泉街を彩ってきたという自負と誇りを 感じさせる。 不況による接待の減少やスーパー銭湯の台頭など、 年々押し寄せる時代変革の波は、伝統を誇る 名湯にも押し寄せている。 芸者の仕事も、質量ともに以前に比べて 落ちたと倖梅さんは憂えている。 だが「有馬には芸者は不可欠」と力説する。 有馬川にかかる太閤橋を渡り、座敷に急ぐ 芸者の姿は有馬の四季を鮮やかに演出する。 「チントンシャン」 つややかな三味線の音が湯の香漂う有馬の小道から 聞こえてきた。 「よーい湯(とう)、よい湯」江戸時代から続く有馬温泉の 入初式(いりぞめしき) 威勢のいいかけ声で新年の訪れを告げるこの行事には、 とりわけ芸者の存在が欠かせない。 芸者衆が安土桃山時代の芸者、湯女(ゆな)にふんして 温泉からくみ上げたばかりの初湯をさます””湯もみ”” を行って初めて、その年の有馬の湯が開かれる。 湯女の姿を見ようと毎年、大勢の観光客が訪れる。 倖梅さんが「有馬に芸者は不可欠」という理由のひとつだ。 昭和25年、15軒の置屋が一つにまとまって芸者の 事務所「有馬検番」が作られた。 最盛期には約150人の芸者が籍を置いていたが、 今では15軒あった置屋も4軒に、芸者は20人弱に なった。 湯村、城崎、福原などの検番が廃止される中、 有馬検番は兵庫県内で唯一残っている。 「最近は、お座敷遊びになじみの薄い人が増え、 コンパニオンと芸者の区別があいまいになった」 と嘆く倖梅さん。 時代の流れには逆らえないが「流れを逆手にとりたい」 と息巻く。 「芸者は座敷で成長する。座敷で教えられることは たくさんあった」と言う倖梅さんが先日出たある座敷 でのこと。 女性が大勢いる社員旅行で、昔ながらの踊りや ゲームをすると「こんなに楽しいのは初めて」と 多くの女性が笑顔を浮かべてくれた。 お昼に女性を対象にしたお座敷は設けられない だろうかーー。 近隣のホテルと、新しい企画が進行中だ。 「粋な客が減ったのなら仕掛けていくだけのこと」 お座敷の粋な遊びは誇るべき日本文化。 有馬からその火は消さない。 衰えない」攻めの姿勢が日本の名湯を支えている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ここからは、余談ですが・・・ 僕がはじめて芸者さんを知ったのは有馬温泉でした。 23・4歳の頃、仕事場の仲のよい同僚5人と有馬温泉で たしか、一泊二日の忘年会だったと思うのですが・・・ ひなびた旅館でボタン鍋(猪鍋)を食べたとき同僚の だれかが「芸者さん呼ぼう」と言い出して・・・ 来てくれたのは、着物を着たおばあさん”” 歳は60歳くらいだったでしょうか? 三味線を奏でながら、都都逸や有馬に伝わる古い 歌をうたってくれたのを思い出します。 ぼたん鍋を食べたのもはじめてだった。 ぼたん鍋とはこんな味なのかと思った。 忘れられない若き頃の有馬温泉での宿泊””​でした。

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