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2022/02/21(月)17:48

あ る 兵 士 を 支 え た も の  松 本 清 張( 作 家 )そ の 2

元 日 本 兵 ・ 横  井  庄 一(33)

​​​​あ る 兵 士 を 支 え た も の 戦 陣 訓 と 生 へ の 執 着 28年間も島のジャングルの中に、たった一人で暮した人間の存在は、 世界人類の文明記録ができて以来初めての出現である。 約12年前に同じグアム島から日本兵の皆川文蔵さんと伊藤正さんとが 発見されたとき、熱帯密林の中に16年間も生き抜いていたことで驚嘆 させたが、今度の横井庄一さんの場合はそれよりも12年間長く住んで いたのだから、その超人ぶりに世間が興奮するのは無理はない。 意志薄弱なわたしなどは、ただ頭を垂れるのみである。 横井さんが密林から外に出られなかった主な理由は二つあったようだ。 一つは旧日本軍隊の精神教育、一つは生命の危険である。 ​軍 の ゆ る み に 訓 戒​ 前者は「 戦陣訓 」に具体化されている。 「 常に郷党家門の面目を思ひ・生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず 」 が重要な項目の一つになっている。 この二つの句は倒置されて兵の降伏を拘束する。 捕虜になれば、その不名誉のためお前たちの親兄弟、妻子親族がどんなに 故国で肩身のせまい思いをするかしれないぞ、という威嚇である。 戦地で、ひとしお肉親のことを思う兵士の心理につけこんだともいえる。 ここで降伏を栄誉の一種とする西欧の観念と、それを汚辱とする 日本の封建的な「 武士道 」の相違をいっても仕方がないが、それで なくとも虜囚の恥じたることは江戸時代からの講談その他で国民は さんざん「 徳目教育 」をうけてきていた。 「 戦陣訓 」が出されたのは昭和15年である。 「 軍人勅諭 」の抽象的な五つの徳目ではあきたらず、日中戦争の末期 ( 太平洋戦争の前夜 )にこれが出されたのは日本軍隊の「 変質 」に 対応するものとして意味深い。 すなわち、この期になると中国において目をおおうような日本軍隊の 暴行・略奪などの「 非違犯行 」が行われ、降伏・逃亡が続出していたのである。 太平洋戦争をひかえ、これではならじと軍首脳部が明治の軍人勅諭よりは もっと具体的に「 訓戒 」したのが「 戦陣訓 」で、教育総監部の草案に 島崎藤村が頼まれて文章に手を入れた。 横井さんは昭和13年に臨時召集され半年間華北で教育をうけている。 戦場と隣合わせた衛戍( えいじゅ )地での初年兵教育においてどのように 精神教育が重点的になされたかは経験者の知るところである。 かくて一たん召集解除、帰郷したが、一年もたたないうちに 再召集、16年9月から2年半ほど満州にいて南方行部隊の 編成に入ってグアム島に上陸した。 満州では対ソ作戦含みで、これも兵に「 戦陣訓 」的な 精神教育はきびしかったにちがいない。 しかも横井さんは在満中に兵長になっていた。 下士官よりは、もっと兵に即物的な精神教育を する立場にある。             そ の 3 に つ づ く 上記、記述は、1972年( 昭和47 )Ⅰ月、 新聞に掲載されたものです。 ​​​

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