報 徳 要 典
報 徳 要 典報 徳 記例 言二宮尊徳先生、畢生人に教ふるに徳を以て徳に報ゆるの道をもってす。その百行またことごとく徳に報ゆるにあり。ゆえに良法盛行の日に当たり、時人称して報徳先生という。これこの篇の名となすゆえんなり。先生一世の言論功業、これを筆記する者あらざれば、後人これを知るあたわず。これを知らざれば富国安民の良法といえども一時に止まりて永遠に及ばず。これ我が輩の大いに憂ふる所なり。しかして之を記せんと欲するに、その一班をもうかがい観るあたわず。けだし、聖賢の心志を知るあたわず。あによう愚かにして高徳大才の蘊奥(うんおう)を知る得ん。知らずしてみだりにこれを記す。果たしてその大徳を損するのみにあらず。その功業をもって区々たる平常の事に比するに至らん。これ大いに恐るる所にして数十年間これを記するにあたわざるゆえんなり。然りしかして博識高才といえども先生の門に入あざればまた記するを得ず。むしろその一端を記してもって識者の是正を待つにはしからざる也と。やむをえずしてその万一を記す。先生の安民方法を行うや、大小となく始めに終わりを察し、必成を洞見して、しかるのち実業を施行せり。ゆえに成功あらざるなし。その施行のはじめに当たりては、常人これを見てもって不可となす者あり。後数年経過するに及びて始めてこの如くならざれば、この事のなるべからずを知るに至る。目前のその事業を観るといえども、その規格の深意を察するにあたわず。はたいづくんぞその深遠を記するを得んや。先生の幼年の艱難困苦その長ずるに至り、出群の英才をもって行う所の事業,一も自らこれを発言せず。ゆえに往々云う民の口碑かつ伝聞によりてその概略を記すといえども何をもってその一端をあぐるに足らん。はた誤聞なきを保するあたわず。諸侯の封内を興復するっもの数あり。しかしてその依頼に先後あり。施行の順序あり。余いまだ先生の門に入らざるの前事はこれを目視せず。ゆえに先後順序を誤る者あらん。かつ施行の良法多端にしていわゆる神機妙算測るべからざるら者なり。実に浅学不文、その糟粕だも記するあたわざるを恐る。いはんやその深理に於けるをや。あるいは曰く、先生畢生の論説事業を記するに漢文をもってすべしと、今細大の事業を筆するに至っては、能文者にあらざるよりは、詳かくならざる所なきを得ず。ゆえに通俗文字をもって記するにしかざるなりと。いま、後説にしたがう。この記実大海の一滴のみなり。しかしてその功業記する所の条件に止まれりとなし。かつ些少の涓滴、何をもって大業となすに足らんといわば、記者漏脱不文のために目今を誤るのみにあらず。後人を誤ること限りなし、もし滴水を見てもって大洋の無涯を察知するすることをあらば幸甚。記する所の事業、年号月日詳らかならざる者少なからず。まさに後日の研究をまちてこれを補わんとす。先生の結論正業筆して、しかしていまだすの終りを記するに至らざる者は他なし。この編元より言行お万一を記するにあたわず。ゆえに漸次これを継ぎてもって筆記する所あらんとするが為なり。安政三丙辰年冬富田高慶識※ 報徳要点の文中より、転載しています。 古い本の写しのため、一部文字に誤記 があるかもわかりません。