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文の文

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迷子の道しるべ7

ほん

53・ここはどこ?( 2004 12/16 )

12月も半ばだというのになんだかあたたかで電車にのってもついつい居眠りしてしてしまう。

昼間横浜から戻る電車は空いていて、気持ちよく居眠りをした。

そしてかくっとなってはっと目を覚ますと前の席に男性が二人座っていた。

空いているから、小柄なひとりはそう長くはない足を大股開きにして座り、ゆったりと空間を取って座る大柄なもうひとりは足を組んだまま身体を斜めに向けて喋っていた。

ぼーっとして二人を見た。

なんだか大きな声で喋っている。その声は確かに聞こえる。しかし、何を言っているのかがわからない。

かなりの時間耳をすまして、ふたりが交わす会話に集中したのに、わからない。

目を覚まして、まわりのひとの言葉が理解できない瞬間、これはなんとも怖い。一瞬ここはどこ?と問いたくなる。

それから自分がボケてしまったか、頭の回路がブチ切れたのか、とか心配になる。

眠気が飛んだところで、よくよく聞いてみるとそれは韓国語であるようだった。よかった、それじゃわからないはずだ。

かなり真面目な会話らしく、時おり、IBMだのHITACHIだのの固有名詞が出てくる。ああ、IT関係の韓国のサラリーマンのひとたちなのだと納得する。

経済の話は皆目わからないが、中国の進出だとかを真剣に話してるのだろうなと推測する。

が、わたしはふたりの靴だとか、小柄な方のひとのズボンがたくし上がって見えたずり下がったワンポイントのついた靴下だとか大柄の人ひとの小さな星の模様のネクタイが気になるのだった。

それがどうした?なのだが、それはそれで経済のものさしになっているようにも思うのだが・・・。

54・ごあいさつね( 2004 12/18 )

耳鼻科にやってきたおばあさんは待合室に溢れる患者を見て「ひやー今日は混んでるねえ」と驚いた。

そして先に来てずっと待っている知り合いのひとに「あんたがくるから混むんだよ」と言った。(笑)という感じだった。

これが江戸っ子さんのご挨拶なのかもしれない。落語みたいだなあと感心した。

55・固有名詞が出てこない。(2004 12/19 )

12チャンネルで「ベアトリーチェ・ティンチの肖像」という絵を見た。グイド・レーニというひとの作品だ。

ベアトリーチェというひとは父親殺しで絞首刑になった。その刑の執行前の肖像だという。

ふっと振りかえった悲しげな顔。じっとみていると泣きそうになるほど儚げで美しい。

と感激して、そのあと用があってコンビニへ行ったのだが、その途中で、きれいな肖像だったなあと感慨がわいたのだが、さてなんというひとが描いたのだったかが思い出せない。歩くほどに記憶が遠くなる感じがしてしまう。

そのうえ、覚えているつもりの肖像の主の名も出てこない。

あんなに感動したのに、イタリアで1600年頃に描かれた絵で、画家は女嫌いで、フェルメールの真珠の耳飾りの少女に影響したかも、なんてことは思い出すのに、固有名詞をきれいさっぱり忘れてしまっている。

イタリアのあの女嫌いの画家が17世紀はじめに描いた、かの悲しい事件の被告人の絵、なんてごまかしと指示代名詞の使い方ばかりが巧みになるような気がする

56・時間も忘れる( 2004 12/22 )

友人と待ち合わせをしていた。主婦の忘年会である。時刻は新宿西口交番前に11時30分。だと思い込んでいた。

が、急に不安になって友人に電話してみると11時だという。えらいこっちゃ!

その時わたしはスッピンで掃除機をかけていた。えーと驚いてエプロンをはずし大慌てで、パッパッと化けて出かけたのだった。

忘年会 集合時間を 忘念し である。


57・わかるひとはあんまりいないかもしれないけれど (2004 12/22 )

カンニングのやせっぽっちのほうのひとは、ちばあきおさんの漫画の「キャプテン」に出てたイガラシ君にとてもよく似ている、と思う。
それがどうした!なのだけれど、そういう発見をした日はなんだかうきうきする。

しかしそれがわかって共感してくれるひとはあまりいないだろうな、とも思う。

ちなみに、ちばあきおさんは、「明日のジョー」のちばてつやさんの実弟で、感動野球漫画を描かれていたのだけれど、自殺してしまわれました。

「プレイボール」や「キャプテン」の主人公の谷口君はなにがあっても歯を食いしばって頑張ったひとだったから、頑張りすぎるかなしさをもつひとだったから、おそらく作者のちばあきおさんもそんなふうはひとだったのだろうと思ったりします。


58・昨日のことなんて覚えていない?( 2004 12/23 )

大学病院の会計待ちはおおむね長い。

ずっと口をあけて麻酔やらドリルやら抜歯やらをされた歯科治療後の患者はいささかぼんやりでもある。荒行を終えて虚脱しているのだ。

はーっとため息つきながら自分の名を呼ばれるのを椅子に座って待つ。

わたしの前に座ったおじさんもそんなふうに疲れていたらしい。自分の名を呼ばれ立ち上がり数歩進んだかと思うと慌てて引き返してきた。財布を忘れたらしかった。

その窓口に名も呼ばれてないのに立ち寄るおばあさんがいた。大きな声でこんなことを言っていた。

「さっきはすいませんでした。コートありました。よく見たら椅子の後ろに掛けてありました。なんだかねえ、ボケてたみたいで・・・」

ああ、ひとのことはいえない。

そのあと会計を終えたわたしは、病院の近くに住む友人の家に行くのにバスに乗ったのだが、しばらくいかなかったので最寄のバス停の名が思い出せず、本当は「北○○」で降りなきゃいけないのにその二つ手前の「東○○」で降りてしまったのだった。

降りたはいいが景色が違う。また迷子になってしまった!と焦ったことだった。

そういえば前にこの友人宅を訪ねたときは隣のマンションに入ってしまって、名前がない!と焦ったのだった。

・・・ものわすれ自慢ばかりうまくなる。


59・ものわすれとうっかりはちがうよね。(2004 12/25 )

昨日のこと、友人の家を訪ねていたら、顔見知りの友人の友人がやってきた。わたしと同世代のそのひとはかなりのスモーカーだった。

わたしたちは吸わないので、我が家も彼女のところもベランダが喫煙所になっている。そこに蛍族が出没する。

お茶を飲んでひとしきり語り合ったあとそのひとはベランダに出て煙草を一服してから帰っていった。

そのひとを見送って部屋に戻ると、そのひとがベランダに出るときに脱いだスリッパがそのまま残っていた。

そうそう、これはうちでも良くやる。さっきまで履いていたスリッパがない!と部屋中探し回って、ここで見つけることが多い。

そうかあ、わたしだけじゃないんだなあと安心したりする。

そういえば。骨の隠し場所を忘れてしまう犬のように、ケイタイとかめがねとか財布とかをひょいっと置いてその場所を忘れる。

でも、昨日から息子2の眼鏡が行方不明中なのだが、こういう物忘れは寄る年波ではなく、性分なのかもしれないなとも思う。

ほんと、こんなDNAばっかり受けつぐんだから・・・。ねえ。

60・証拠 (2004 12/27 )

わたしは息子2のお下がりのライティングデスクを使っている。その机のわずかなスペースがうまく片付けられない。

油断していると、とりあえずここに置いておこう、というものでいっぱいになる。ポケットの中身やら鞄の中身やら、読みかけの文庫本やら封書やら薬やら・・・で机が覆われるのだ。
(ときどき居間のソファもそんなふうになる)

そうしてこれではならじと決意して整理する。ここのものをあっちにやり、あっちのものをどこへやろうかと悩む。悩みながら手にしたものを眺める。

それはなんともいえずああ、わたしだなあというようなもの。そんなもの取っといてどうする?と苦笑する。

たとえば、入場券の半券がある。ずっとずっと昔のものまで出てくる。

そこで自分の足跡に出会う。ああ、この画家の展覧会に行ったのはかなしいことがあったころだ、とか思い出すのだ。

旅先の小さなパンフレットも捨てられない。これを捨てたらきれいさっぱり忘れてしまうにちがいないからだ。

どれもこれもそんなふうに記憶をとどめておくために要るもの。わたし以外の人には何の意味もないものの数々を眺めながら、これも遠い日の縁側にためにとってあるのだなと思う。

こんなふうに生きてきたのだと告げる証拠として。

迷子の道しるべ8


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