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文の文

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迷子の道しるべ8

rose garden

61・津波( 2004 12/30 )

息子2は幼稚園の年少組だった夏、ホテルのプールで溺れた。

水底から上がってきた息子は、施された人工呼吸でこの世に呼び戻された。

その一部始終がわたしの目の前で起こった。

その記憶は思い出すたびにわたしの心臓を締め付け、若く愚かだった母親を糾弾し続ける。

水中で人は生きられない。そこでは生き死にの境界線が秒単位で引かれてしまうのだと肌で感じた。

今でもどこか息子に甘いのは、水底で終っていたかもしれない彼の人生を思うからかもしれない。


何もかもを抉り取りたくさんの命を抱え込んで連れ去った津波の惨状を見た。

「ああ」という言葉しか出てこない。
 

62・記憶( 2005 01/03 )

2005年がやって来た。
あけましておめでとう。
今年もいろいろ
たのしい御縁がありますように。
 
****

さても半世紀を越えて生きている。
泣いたり笑ったりして時が過ぎてきた。
幸福な時間も不幸な時間もわたしの足跡だ。

どんな体験もそれぞれに意味があり
それは地下水のように今ここにいる自分に繋がっているのだと思ってきた。

ではその体験を忘れていくのはどうしたことなのだろう。

九十歳の手前の老女が記憶をなくしていく。
明晰だった頭脳が動かない。

今に近い時間の記憶から順々に
砂漠の砂のように乾き果てて
どこか誰も知りえぬところへ吹き飛ばされてしまう。

自分で決めてひとに指図していたあれこれも
おおいばりで告げた自慢話も
きりりとひとの胸をえぐったきつい言葉も
日々をめぐった笑い声も涙も
消えてしまう。

不確かな記憶に支えられてひとは何年も生きるのだなあ。
わたしにはあとどれくらいの時間があるのだろう。


63・巣鴨には巣鴨の・・・。(2005 01/05 )

一人で入った店の隣に座った男女二人連れがなんだか別れ話をしているようだった。

いや最初から別れ話とわかったのではない。

そこは蕎麦屋だったのだ。そんな話を誰も予想しない。

しかもそこは巣鴨の蕎麦屋だった。

ちらと見た感じでは65歳は越えているようなご婦人とそれよりちょっと若いように見える背広姿の男性のふたりだ。

ふたりはもう食べ終えたらしい。飲んだビールのコップが二つ並んでいる。

こちらが運ばれてきた鍋焼きうどんを啜っていると女性が「もう好きじゃないってことなのね」とか言うのが聞こえた。

ううーん。そ、そういう関係なの?ていうか、蕎麦屋でそんなこと言うの?と思いながら鍋焼きのかまぼこをかじる。

「そんなふうに言ってないだろ」と男性。テノールの案外若い声。

でもそういう関係なのね。ふたりでとげ抜き地蔵をおまいりに来てもとげは抜けなかったのね。

「でもそうなんでしょ」と低い声。ああ、そんなことを口をするのは辛いですね。

「いや、いろいろこっちもあるんだよ」横向いて答えたような声。

そりゃいろいろあるでしょうよ。いろいろあったからこうなってしまったのでしょうよ。

「あーあ、いっしょに○○にも言ったのに」
「もういいじゃないか。行くぞ」

男性が先に立ち、女性が伝票を持つ。

女性がわたしのそばを通る時に「ごめんなさいね」と声をかけた。ふっと目を上げると化粧の下の頬のシミが濃く見えた。

鍋焼きの半熟卵を食べながらふたりの後姿を見送った。


64・劣等生( 2005 01/08 )

大学時代の友人は佐賀県のお寺さんへ嫁いでいる。2番目のお嬢さんが我々の母校である女子大へ入り、またあのおんな坂を登ることになりました、と昨年の年賀状にあった。

そして今年の年賀状には母校の文学部部長に加藤先生がなられていた、とあった。

えっ!あの加藤先生があ!?と驚き、なんだか困ってしまった。

わたしたちが学生のころ加藤先生は新任で、女子ばかりの教室で気恥ずかしげで、190センチ近い長身をもてあますように居心地わるげだった。しつけの良いスリムな大型犬のようなイメージの先生だった。

先生に英米詩を習ったのだろうか、すっかり忘れてしまっている。そのくせ謝恩会では先生と腕を組んで写真を撮ったことはしっかり覚えている。

と、困るのはそんなことではないのだ。

卒論の口頭試問のとき、メインは松浦教授だったが、サブが加藤先生だった。

わたしはほんとうにできの悪い生徒で、わたしの卒論は鬼の松浦教授に酷評された。

「あなた卒業したらどうするの?」「結婚します」「じゃあしょうがないな」という情状酌量で、卒業できたのだ。

その酷評に耐えかねて、両先生の前でわたしは泣いてしまったのだ。いかんいかんと思えば思うほど涙がこぼれた。

そばにいて見かねた加藤先生がハンカチを貸してくれた。

のちに先生からの年賀状には「あなたのような生徒はあのあといません」とあった。

劣等であることで記憶に残る学生だったのだ、わたしは。

それから30年近く時が流れて・・・きっと忘れてるよな、と思いつつも、なんだかきまりが悪い。

それでも、そうかあ、加藤先生かあ、と思いは一気にその時代に駆け戻っていく。そんな時代もありました。


65・品格 (2005 01/10 )

幸田文さんは好奇心が強い。そして行動力もある。たとえ体力がなくなっても、ただ、それを見たい!という一心で人の背中に負ぶさってでもお目当てのものをその目に収めている。たとえば屋久島の屋久杉。大沢崩れもそうだ。北海道に鮭の遡上も見に行って船に乗るときはひょいと海の男に抱えてもらったりする。

そして九州では捕鯨船にだって乗って荒れた大海原にも出て行く。それが小さいときからの夢だったのだ。鯨を撃つ現場を目の当たりにして、こんな文章が続く。

「ふわっと鯨が浮きあがり、泡立った白浪が突然あかく裂けた。天日が赫々として、生けるものの流した血はまさにただ美しさだけをもって目を奪った」

続く文章がまたいい。

「舵手は伝声管の命令を復誦操舵する。その復誦の声に、職業や商売を超えて、傷ついたものをかばういたわりの感情がこめられていて、懸命なのである。一刻も早く苦痛を終らせてやる心やりである。もう一弾。

・・・鯨は特有の小さな眼を柔和に閉じ、規則正しい畝を持った白い腹を上にして、透き通る碧い水の底に静止していた。安らぎを得たものという以外はない姿であった。右舷にその頭、左舷にその尾。なんと小さいそのひれ。

感動と干渉に圧されて困った。天を仰げば天ははてしなく、水を見れば水もはてしなく、人は・・・更に新しい漁へ急ぐのである」

そうして「鯨を撃つ捕鯨船員はぶっ殺し専門で、人非人みたいに言われ勝だが、それは違う」と幸田文さんは言う。
 
「船乗の品位の格付けでは、上位なのだ。ひたすらに美しさだけで負ってくる鯨の赤いしぶきである。その故に感動は翳を伴い、かげは人の品格を育てる」と。

最後の「かげは品格を育てる」という言葉がずーっと心に残っている。

人生は旗取り競争ではないとは思うけど、ちょっとオセロみたいなところがあるんだなと思う。

「かげは品格を育てる」という一行でパラパラパラとひっくり返るものがある。そうかあそうかあと納得している。


66・めでたいのは・・・(2005 01/12 )

成人の日に街を行けば、振袖姿の娘さんに出くわす。2,3人が連れ立って歩けばそこだけ春の花が咲いたように明るく、道行くひとの視線を集める。

30年前自分もそんなふうに着慣れない振袖を着せられて、白いショールを巻いて出かけたものだった。その帰りに見合い写真を撮ったんだっけなあ。

その振袖姿の2,3人がそろって路上の喫煙所で、いかにも慣れた感じで煙草を吸っていたりすると、道行くひとはいっそう見つめてしまうし、一瞬思案ありげな顔つきにもなる。昔は吸う場所を選んだもんだったよ、と言いたくなったりもする。

カップルもいる。着慣れないものを着た彼女を優しくエスコートする彼はスーツではなく普通の恰好だったりするが、目が優しい。

喧嘩しそうな雰囲気のカップルもいる。着慣れないものをきた彼女はもう苦しくてならないのに、彼は入る店を決めかねている。こんな日にデートもなかなか塩梅がむずかしいね。

長めの髪を金髪に染め、片耳ピアスにサングラスをかけて、紋付の羽織袴姿の男子もいる。

そういう男子が3人そろって横断歩道を渡ってきたりしたら、道行く人はとおり過ぎても振り返って見つめてしまう。ホラホラ、アレアレ、と他のひとに教えたりする。そんな視線を心地よく感じているのかいないのかはわからないが、どんな視線にも表情を変えない。

うちひとりは着物と羽織が白で、羽織には鮮やかな青のぼかしが入っている。その男子が金髪をかき上げるとその手の薬指には指輪に似せたタトゥーが入っていた。

わたしはその落ち着ついた横顔を眺めつつ、ほほーと感心してしまう。

徴兵のない国に生まれたことだとか、飢えのない暮らしを送れていることだとか、相対的な幸せをありがたく思えといわれても、それが当たり前のくらしのなかで、実感するのはとてもむずかしい。

恵まれていると感じるのはあくまで自分であって、他人に強制されるとなんだか意固地になってしまうような、そんな横顔のようにも見える。

3人の男子はなにやらおそろいの茶色い袋を持っており、そのなかには私服が入っているようだった。これから彼らは着付けてもらったところへ戻ってそれに着替えるのだろう。やっぱり成人の日はハレの日だ。

おめでとう!
つつがなく二十年生きてこられてことがおめでたい。


67・三つ子の魂 (2005 01/14 )

三つ子の魂百までという言葉はあきらめの境地でもあるなあと思う。

息子2はのんびり屋のうっかりハチベエであるのだが、オフィスワーカーになり、このところは慣れぬこととて多少は緊張した日々を送っている。

今日は社長さんのお供で初めての大阪出張である。昨晩はなにやら機材を持たされて帰ってきたようだった。

わたしが歌舞伎座から帰ると息子はさむいさむいとコタツに潜りこんでいた。確かに夕べは寒かった。しかし、そんなにするほどでもなかろうと思ってはいた。

それが、今朝、出かけるだんになって部屋をウロウロしている。そういうときは大体が探しものだ。

「何探してるの?」
「うーん、コートがない」
「へっ?」
「あれ? 着て帰らなかったのかなあ」
「へっ? 覚えてないの?ああ、それで夕べさむいさむいって言ってたんじゃない」
「ああ、そうか」

きっと出張のことを考えて、こころここにあらずだったのだろう。そうなると、記憶がとんでしまうらしい。

小学校の時、この子はジャンパーを学校に3つも置き忘れきたことがある。そのたびに仕方がないのでにいちゃんのを着て行った。

今日も仕方がないのでにいちゃんのコートを借りて行った。大阪で忘れてきちゃあだめだよと言い聞かす。

ランドセルを背負わずに「行ってきます」と言った子でもある。ひとつ余分なものを持つともともとのものを忘れてくるし・・・。
 
うーん。うーん。三つ子の魂の呪いのようにも思えてくる。


68・へっ?( 2005 01/15 )

「それで君は大阪でいったい何をしてきたのかね」
とパソコンに向かう息子2の背中に向かって問うてみた。

「司会」
「へっ?」

いつだって肝心な時に口下手なこの男が司会!?

「何の、司会したの?」
「親睦会」
「へっ?」

めんどくさいことはすべて生返事でクリアしようとするこの男が!?

「ね、本日は・・・とか言ったの?」
「ああ」
「そのあとは?」
「本日は、本日は、だよ」

これはもう話は終わりだという合図だ。

あの荷物は何に使ったんだろうなあ、とかどんなひとがいたの、とかあとからあとから質問項目が浮かんでくるが、息子の背中が「もういやや」と言っている。

この息子といると、わずかな情報から全体を推測する訓練をしているような気がしてくる。同級生やそのお母さんの話を聞いてへえーと驚くことのなんと多かったことか。

つまり、君は社長さんと大阪に行って親睦会の司会をして、出席したひとたちと親睦を深めたのだね。おつかれさま。

親が身につけさせられなかったことを、世の中がしてくれる。名前のとおりゆっくり育つタイプなんだね、悠介。


69・合評 (2005 01/18 )

昨晩は同人誌「停車場」の合評会及び新年会だった。

うちの同人誌は7人それぞれ持ち味が違う。詩あり俳句あり短歌ありエッセイあり小説ありで、硬かったり柔らかかったり、甘かったり苦かったりするのだ。

ひと色に染まらないで。それぞれがのびのび自由に書いている感じね、と感想を言ったひとがいた。

「ええ、総合文芸誌ですから」と一応答えたが、実はそれぞれがてんでに好きなことを書いているのだ。

それはそれでいいのだが、そういう作品の合評というのはなかなか難しい。それが作者の個性だから、と批評が一蹴されたりするのだ。年齢を重ねた素人集団はみな結構強気!である。

作者の言い訳ってのは実にみっともなくて、弁解しているその言葉を書けよ!って感じなのだが、開き直りにも似た個性だ!という言葉もちょっと恥ずかしい・・・。

作品の批評と言うよりはそこから逸脱した話が広がっていって時間ばかりがかかるのも、年齢を重ねた人間の特徴なのかもしれないが、終るまで3時間かかった。

貶し言葉は忘れて褒め言葉だけありがたくいただく。そしてちょっと鼻を高くする。そんなふうに心がけている。

で、いまはちょっといい気になっている。へへへ、あしからず。

70・おとなしい?( 2005 01/20 )

パソコンに向かう息子2の背中に向かって聞いてみた。

「ね、かあさんの顔っておとなしそうにみえる?」
「うん?」

「だからぱっと見、顔の造作とかさ」
「うーん、そうだな、そんな感じ」

「で、かあさんのことおとなしいと思う?」
「思わない!」
なんでそこだけ即答なの?


迷子の道しるべ9


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