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文の文

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迷子の道しるべ・24

kamakura5


☆☆

☆小説   05/01

小説を書くというのは
えらくむずかしいのだけれど
なんだか面白くもある。

上手く書こうと思うとたいへんだけど
こうだったら面白いだろうなと思うことを書くのは
なかなかに愉快だ。

自分がこれまで
エッセイというのかなんというのか
日々のつぶやきのようなものを
十年以上書き連ねてきたことが
思いがけず生きてくる。

実際、小説より奇なり!は日常茶飯のことで
その日常を希釈して
ぽとんとしずくにして言葉に落とすと
イザナギ・イザナミの国つくりのように
そこにここにはない世界ができあがっていく。

学ばねばならんことは山ほどあるけれど
もっともたいせつなことは
ひたいを曇らせ眉根を寄せることではなく
自分が登場人物を愛し
そのひろがりを楽しめることかもしれん
と思い始めている。

時生と絹子のおはなし・2
「雑木林」完成!
えらいえらい!

ちなみに1は「迷い子」


☆読了本   05/02

2006年4月読了本

詩なんかしらないけれど(糸井重里)
ライオンハート(恩田陸)
東京ノスタルジア(やまだ紫)
おまけのこ(畠中恵)
猛スピードで母は(長嶋有)
かもめ食堂(群ようこ)



☆Fujita    05/04

Fujitaってのは
永井荷風似のバサラだった。



☆妄想というクリエイティブ   05/09

妄想というのは自由ということかもしれない。

結局なにがむずかしいのかというと
その妄想とうまく付き合うことが
むずかしいんだろうな。
妄想を操れるのか。
そこが力量なのだろう。

創造するということのなかには
全てではないが
妄想が支配する部分があるように思っている。
唯一無二のものは
妄想のなかにひそんでいるようにも見える。

妄想があまりない人間はなんだかつらいではないか。

ひととして社会的に生きるためのスィッチを押すと
妄想は消えるのかもしれない。
常識のエリアからふっと身をはずすと
妄想のスィッチがうかんでくるのかもしれない。

いやいや
そんな理屈なんか関係なく湧いてきてしまうのが
妄想なのかもしれない。
そういう理屈を言っているうちは
妄想は湧いてこないのかもしれない。

では、瞑想のように
妄想の時間を設けて訓練するのはどうだろう。
破天荒な考えの練習だとか
当たり前を解体するお稽古だとか
この世のものとは思えぬものを思う課題だとか
妄想の学習。

いやいや、それもへんだねえ。

うーん、だってねえ・・・自分が
当たり前のことを当たり前に書いた小説って
なあんかつまらないのよねえ。


☆うつくしいもの   05/10

美から始まる妄想というものあると知る。

今この目で見ているものから
境界線をにじませて広がっていく違った世界。
ほんとうにはないのだけれど
あるかのように浮かんでくる映像。
それも妄想。

美しいもの、うつくしいものと呟いて思いをめぐらす。

真直ぐ立って目をつぶって思い出そう。
わたしはなにを美しいと思って生きてきたんだろう。
深く記憶に刻まれた美しいものはなんなんだろう。

そんなふうに考えて愕然とする。
浮かんでこない。
曇った目なのかもしれない。

うつくしいもの
うつくしいものと唱えている



☆チェケラッチョ   05/11

みどりさんと映画「チェケラッチョ」を見た。

一番おもしろかったのは陣内さんと
柳沢慎吾の奥さん役のひとだった。
沖縄の気温と湿度がいい。
おばあやおじいが当たり前にそこにいる風景。
伊藤歩は好きな女優さんだし
主人公の男のこたちはひたむきで
ちょっとおばかで感じがよかった。
リズムが心地よかった。
konishikiもがんばってた。

お約束のような映画には
カタルシスと癒し効果があると
わたしとみどりさんは思っている。
現実が重たいときに
ふっと気分を軽くしてくれる映画がいい。

泣きたい思いを笑顔に変えるために
映画館へ行く日もある。

☆気にしない気にしない。   05/13

更年期なんて
あんまり気にしないことだよ
気にしすぎると
よけいひどくなくって聞くよ
なんてお肉やのおじさんに言ってもらう。

なんだか可笑しい。



☆サンダルを買いました   05/13

思いがけないところから現れた商品券は
たなからぼたもちのようで
ものすごくうれしい。

サンダルなど買ってしまう。
いつものよりちょっと高めのものを買ってしまう。
帰り道、ふふふと笑ってしまう。

☆こんな日は   05/14

気温気圧の変化著しく
集中力低下著しく
気力低下著しく
なんだかわたしはねこになりたい。



☆蛇にピアス   05/16


なりゆきで、今頃「蛇にピアス」を読み中。
どうあれ、この筆の運びのうまさに敬服。

覚めさせない。
覚めようと目を上げても
またひきずりこまれる。

ふたたび目を落とせば
すぐさま濃密な影の世界につつまれる。

言葉の磨き方。
この物語だけではわからないだろう。
これと平行して他の作者の小説を読むと
言葉の切れ味がわかる。
冗漫とはどういうことなのかも
知れてくる。

四の五のごたくは誰でも言えるが
これが書けるか?
と問われたら
うんと言えるひとは、
どれくらいいるだろう。

なるほど、小説は
その作者しか書けん世界なのだと
改めて教えられる。

誰にでも書けることなら
書く必要はない。





☆小説教室   05/19

今日は小説の教室で
はじめて自分の作品に感想を言われた。

めまいがすると言ったひとがいた。
読んでませんというひとも何人かいた。
そんなにつまらんもんだったか・・・。

文章のふくよかさが好き
と言ってくれたひとがいた。
ああ、それはなんだかうれしいぞ。

17枚に詰め込みすぎで
日常を書き込んで
30枚にのばすといいという先生の評。

うーん、それだけ言われただけで
うまくなりそうな気もしないのだけれど・・・。

結局のところ
自分でやるしかないんだなあ。





☆ほめられたとこもあったんだ   05/20

そうだ、先生は
終わり方がいいと言ったのだった。

そうかあ、いいのかあ。
いいとこがあってよかった。




☆手直し   05/21

以前自分が書いた小説を手直しする。

今だって小説がなんなのかは
よくわからないのだけれど
なるほど、これは小説になってないということが
今ならわかる。

読み手が寄り添えたり
傍らに並んで立てる足場となるべき
エピソードが足らない。
文章にはそういうものが必要なのだ。

考えは書いても、
思いを書かないで、
それ以上に見えているものを書く。
音とか空気とか誰かの言葉とか出来事とか。
ひとはそういうもので
自分以外のひとの思いのありようをわかろうとする。

かつて
書き手が先に泣くなといわれた意味を実感する。
悲しいという言葉よりも
悲しいものはたくさんある。

劇的な言葉が感動を生むのではなくて
なにげない、
それでいて生き生きとした小さな描写の積み重ねが
固まりになって深く響いていくように思われ

そう思われても
なかなかそうはうまく書けんということもまた
よくわかってきた。

自分の原稿のいたらなさが
一番直接的にたいせつなことを
教えてくれるのかもしれんな、
と思ったりする。


☆本のこと   05/23

図書館で借りた本が読み終わらないうちに
返却日がきてしまう。
欲張りなんだよね、きっと。

というか読書ペースが落ちてる。
集中力とか根気がない。
4ページ読むと頭が動かなくなる。
目だけで読んでる。

書き方の手本として読むのはしんどい。
遠藤周作で手間取りましたな。
大岡昇平さんは思いのほかにすっすっといくけど
中身に興味が持てない。
意外に糸井重里氏の小説「家族解散」が読みづらく
放り投げてしまった。

タマ―ラさんの本がまったく手付かず。
このひとすきなんだけどなあ。

露伴の本は朗読練習中。
ぜったい好きな口調なんだ。
ここちよいんだ。
でも疲れるんだ。

やっぱり延長おねがいせねばならんし・・・。
ずっとひきこもり主婦やってるわけにもいかんし・・・。
ふう、なんか、ゆううつ。





☆迷子にならない。  05/24

どこにも出かけないと
ぜったいに迷子にもならない。
それはそれでいいんだけれど
妙な物思いだけれど
ときどきは迷子にならないと
なんだかつまらないんだなって
思うようになった。

たとえば
見も知らん道のむこうっかわに
見も知らんおばあさんがいて
使い込んだ木の桶など持って
大股で坂を上って銭湯へいく道すがらに
ばったり出会うなんてこともないんだな。

ばったり出会ってしまって
自分の基準では、
それはそれはとびきりのおばあさんだったから
ただすれ違うのはもったいないような気がして
だからといって何を言っていいかもわからず
思わず「いい桶ですねえ」なんて
言ってしまうこともないんだな。
そんな自分に自分も驚いて
われながらおかしなひとだなと思うこともないんだな。


知らない場所にでかけていない。
もうすいぶん自分の思いのなかの
入り組んだ袋小路のつきあたりで
うずくまっているような気がする。







☆日和下駄   05/27


永井荷風というおっちゃんは
どんな天気でもかわらず
下駄はいて蝙蝠傘をもって
東京のあちこちに
お出かけしたらしい。


このごろの天気の変わり方をみると
いつ雨がふりだすかわからんからな
という荷風さんの思い込みに
うんうんとうなづいたりする。

「日和下駄」読み中




☆電車ばなし   05/28

横浜へ向かう電車の座席に
荷物をたくさんもったおばさんが座っていた。

おばさんはペットボトルを携帯する入れ物を
首から提げていたのだが、
その入れ口からこねこの顔がのぞいていた。

隣りにすわったのは
ゴマシオ頭の無骨そうなおじさんで
一瞬それをチラと見て
どうということなく視線を戻した。

しかし、なんだか気になってもう一度見直した。
すると、そのこねこが動いた。

おじさんはオッと身を乗り出しそのこねこを眺めた。
こねこは黒目がちの目でおじさんを見上げた。

おじさんは思わず手を出してしまう。

おばさんは困ったような誇らしいような
微妙な表情を作り
そのおじさんの手を拒絶はしないが、
積極的に言葉はかわそうとしない。

おじさんはもうこねこしか見ていない。

こねこの小さな額や顎の下をふとい指で撫でて、
おうおう、おうおうと相好を崩す。
なにやら赤ちゃん言葉で話しかける。

その隣りに座った若者ふたりもこねこに気づき、
おいおい生きてんぞ!首から提げてんの!
と声が大きくなる。

するとおじさんは若者相手にねこ談義を始める。
うちにもねこがいて・・・
身振り手振りがねこを可愛がるふうに動く。

若者は困った顔でうなづく。
おじさんは満足げなにこやかな顔つきになる。

他の乗客もこねこだこねこだと気づきはじめた頃
電車は桜木町に着いた。

おじさんもおばさんもこねこも降りていった。


☆電車話はつづく。 05/28

電車の扉そばの座席に座ったら
扉を隔てた向こう側に外人男性が座っていた。
顔つきからするとフランス人っぽい。
特別なRの発音とかしそうな感じだ。

何の気なしに足元をみると
電気製品の箱が置いてあった。
持ち手がついているので
今日、買ってきたのだろう。

物は「炊飯器」で
ふっくら炊けるとか
うたい文句がプリントされている。

そうか、どんな料理も
ア・ラ・フランスにしてしまうフランス人も
お米はふっくら炊き上げたいのか。
そうか、やっぱりコシヒカリはうまかろう?
などと思ってしまう。

きょうびのフランス人は
小器用に箸なども使いこなして
炊き込みご飯なども食べるのだろうか。

フランス人の炊飯器、
なんだかいい気分。


 
☆ しあわせ    05/31

早く帰った息子2が
「晩御飯なに?」と聞く。

「ハンバーグだよ」と答えると
「おっ!」と反応する。

途中でゆで卵をつまみ食いする。
暖かいうちに食いたい、と。

たぶん、こういうことが
しあわせなのだろうな、と思う。

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