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迷子の道しるべ・29


2008 

難事は突然やってくる。
しっかりするんだ!
と思いつつも
へなへなになってしまう。

それでも
唇をかみながら
真っ直ぐは立っていようと思う
2月1日。




2/3

いや、それで人生が終わるわけではない。

晴れた日もあれば
晴れない日もあるってことだ。

晴れない日には
晴れない日にしかできないこともあるさ。

家族が家族であることを
あったかく思い出す日があってもいいじゃないか。

君がいてくれてよかって思う人間が
少なくともここにいること。
少なくともここには居場所があるということ。
それを思い出す日があってもいいじゃないか。

それをしっかり確認したのち
目の前の難事をどう乗り越えるか。

いささかめげたハートを抱えながらも
なんとか思案していこう。

そんな今日は節分の日。



2008 2/5

川崎の地下街を歩く。
雑貨やファッションのお店を見学をして
結局はさいか屋の地下食料品売り場へ。

生ダラ4切れを購入。
ジャガイモと長ねぎといっしょに
白ワインで煮る。
味つけは塩コショウのみ。
みどりさんに教わった。

素材そのものの味と
ワインの風味をいただく。

息子1は感心していたが
息子2は感心しない、と言った。

味が足りないときはアサリを入れるといい
と言われていたが
アサリはお味噌汁に使ってしまった。
だからアッサリしてたとかしないとか・・・。


2008 2/7

ハヤシライスを作る。

タマネギと肉を炒めて
トマトジュースと赤ワインと
コンソメと炒めタマネギと
粉末のルーで
ことことことっと煮る。

その間に古い着物を解いて
アイロンをかける。
それから
スペンサーシリーズの「真相」を読む。

サラダはサニーレタスと
アスパラとミニトマト
そしてブロッコリー。

バケットを切って
オリーブオイルつけて
SADOYAの赤ワイン飲んで

今日は保健センターと
図書館に行ったことを思い出し

ハヤシライスが
家族の胃袋に納まるさまを眺める。
美味そうに食う。

こちらもバケットですくって食べてみる。
ふふふ、これはこれは、なかなかに。

なんだか情けなかった一日にも
なにかしら収穫があってよかったと思い
赤ワインをすする。

2008 2/8

この4年余りずーっと気になっていたのに
なんだか入れずにいた近所のとんかつやさんに
ようやく行けた。

この飾りのあるお店だ。

土日の夜が休みで
何度も無駄足を踏んだ。

中にはいるとカウンターとボックス席
奥にお座敷がある。
けっこう人が入る。

育ちのよさそうな息子さんと
きれいで品のあるおかあさんと
わきまえた手伝いのひとの三人が
にこやかに立ち働く。

なにしろこの店のお品書きの文字が美しい。

きっとあのおかあさんの手になるものだろうが
さらさらと筆書きされた
ロースカツ定食や茄子はさみ揚げや
シイタケ入りメンチカツという文字が
冴え冴えとして、目が泳ぐ。

そして、壁には息子さんが
イチローやチチローと並んで撮った写真。
そしてサイン。
イチローにちなんだグッズ。

本棚にもイチロー関係の本がずらり
その下にゴルゴ13・こち亀・美味しんぼ
その一番端っこに文庫本が一冊。
宮部みゆきの「火車」

とんかつはサクサクジューシー。
味噌汁も佃煮も豆腐チゲも美味しかった。

若々しいおかあさんは
お客さんと気軽に話す。
PTAの副会長さんです、と紹介しても
信用しそうな感じのひとだ。

店を出るとおかあさんが見送りに
外まで出てきた。
初めてだというと
この店が朝日新聞で紹介されたという
コピーを手渡された。

その新聞の日付が
1996年4月25日とあった。
4月25日は息子1の誕生日だ。
奇遇だ。

帰り道はとても寒かった。
見上げた空には
オリオン座がお行儀よく並んでいた。

☆ 20082/9(ミクシィ)


物事を最後までやり遂げること
ちかごろのわたしは、そいつがなかなかむずかしい。

こっちをやるとあっちが気になる。
あっちにいくとこっちの遣りっぱなしがまた気になって
こっちへ戻ろうとすると
その途中にあるものに気を引かれてしまって
そこでまた何かし始める。

あかんあかん、とこっちに戻ると
また、あっちが気になって・・・
家の中でこころが迷子になってしまう。
そんな自分にため息が出る。

それならいっそおつかいへ、と
やりっぱなしで表に出てみると
罰が当たったようにえらく寒くて
一番近くてワンフロアーのスーパーで
牛丼作るべく牛肉、白滝、おひたし用のほうれん草も買って
用事をすませて身を縮めて帰宅。

その途中で自転車に乗った母娘とすれちがう。

幼稚園くらいの髪の長い目の大きな女の子が
すれちがいさまにわたしを見つめる。
ずっと見つめる。

行き過ぎてからも振り返ってわたしを見る。

「ねえ、あのひと、ほっぺどうしたの?痛いの?」

そうたずねる声を背中で聞いた。

あのおかあさんはなんと答えたのだろう。
自転車が行ってしまって、その声は聞こえなかった。

・・・
あのね、おばさんのこのほっぺはねえ
命と取替えっこしたからなくなっちゃったの。

このほっぺを神様にあげて
かわりにこの命をもらったの。

なんていったらあの子はなんと言うだろう。
泣き出してしまうだろうか。

わたしはもうそのことでは泣かないけど
そんなことを思いついてしまうと

このところの自分のこの命の使い方というか
日々のありようがなんだかお粗末で
誰に対してかはわからないが、すごく申し訳なくなってくる。

十二年前、生きていることがあんなに新鮮だったのに
十二年たってみると今生きていることが
日々の出来事のなかでくすんでしまっている。

今日しなくても明日があるし
なんて、明日に寄りかかって一日を終えている。

ほっぺと引き換えにもらったまっさらな命は
もっともっと勇気があったな。

いろんなこと決断して
いろんなことあきらめもしたけど
それなりに挑みもしたよな。

そしてもっと時を惜しんでいたな。

会うべきひとには会っておかなくっちゃと
こころに決めていたな。

神様がこの命を取り返しに来る前に
しておかなくっちゃならないことがあると思っていたな。

ありがたくも十二年永らえた命。

わたしはいつからか普通に生きはじめたから
こんなふうにいろんなことがやりっぱなし・・・。

いかんいかん。
これではいかんだろう。

冬の日の夕暮れは、にわかに反省タイムとなり
台所でもそんな気分を引きずって米を洗った。


本日のほうれん草は根っこがくっきり赤く
たくさんの砂を噛んでいた。
息子1が丁寧に洗って、さっと茹でてくれた。

食すると、まことに力強く
ほうれん草本来の甘みがあった。
それはどっこい生きてるって感じの味だった。


(文の文)
2/9
テレビで映画「風味絶佳」を観た。

原作のグランマの科白がダイスキだった。

活字の世界で聞いた科白が
映像の世界に移し変えられると
イメージが固定される。

それぞれの勝手な解釈が
正解表に照らしあわされる。

ふーん、ああいうグランマでいいの?
いささか、がっかりしていたりする。

じゃ、だれ?と聞かれたら
・・・うまく答えられないのだけれど。

さてもこっちのリアルグランマは
熱がでて入院していた。

ゆきのひの退院に
家人が京都に向ったが
ひとりぐらしの限界がきているのかもしれないと
思っていたりする。

2008 2/10

フレンチトースト
トマトのサラダ
 
いなりずし
菜の花のおつゆ

あじのひらき
かぼちゃの味噌汁
きんぴらごぼう
出し巻き卵
たこわさび
ごまどうふ

そんなものを食べた一日。


2008 2/11
トマト風味のパスタと
ブロッコリーのサラダ

シジミの味噌汁
鱈の味噌漬け
大根と豚肉の煮物
掻き揚げ
菜の花と豚肉の炒め物
サツマイモのレモン煮

そんなものを料し食した建国の日。

そして一日、どこにも行かずに引きこもり
文袋の子分の小文袋を作り始める。

計画ばかりが先走ってなかなか仕上がらない。
仕上がるときはいっせいに山ほどできる予定だが
こういう行き当たりばったりの
計画性のなさが情けない。

昨晩は悪夢を見て悲鳴を上げた。
息子にどうした?と聞かれて
寝ぼけながらも「怖かった!」と答えた。

それは夢だったのだろうが
息子1が『僕のお茶碗が・・・』と言ったかと思うと
その背後からひゅーと真っ黒い不定形のものが
わたしの布団の上に乗っかった。

乗っかって押しつぶそうとしてくるので
こいつはあやかしじゃあと思って
押しのけようとしたがどうにも動けない。

それであ、ああ、あああああ~と
次第に声を上げていくと
重みが消えて、身体が動いた。
その声をあげるだけで
ものすごく疲れていた。

朝。息子1曰く
息子2がとてもクリアが寝言を言ったらしい。
それはもう、おきているのかと思うくらいだったとか。

「で、なんて言ったの?」

「お父さん、やめてよ
それは僕がやるんだからって」

うかがい知れるものがないわけでもないが
まあ、そういう夢見のよくない夜もあるってことさ。


2008 2/12

人参のグラッセ
粉ふき芋
ポークソテー
ペンネトマト味
ポテトオムレツ
菜の花のスープ

1時間で作る離れ業。
ちりとてちんのテーマを
リフレインで鼻歌で。

ひきこもり2日目。
くたんとしたまま
こころが動き出さない。
ずっと
窓から暗い空を見ている。

突然エミリー・デッキンソンを思い出す。
あのひとも引きこもりだったんだな。

数独などを解く。
脳みそが癒着しとるのではないのか
と思うくらい出来ない。
せつないくらいに頭が悪い。

彷徨う魂のような風の音を聞きながら
こんなふうに朽ち果てていくんだなあ
とか思う夜の淵。

2008 2/13
大根と油揚げの味噌汁
焼き鰯
高野豆腐と菜の花の煮物
里芋の揚げ煮
鶏肉卵とじ
千枚漬け

自分の作った料理を書いてみると
自分も仕事をしたような気分になる。

作って食べさせて片付けて。
これはこれで大事な仕事。



一日朗読の日。
引きこもりがたまに外出すると
なんだかぐったりしてしまう。

午前も午後も小泉八雲の「むじな」だった。
「お女中」の言い回しに苦労する。
恐怖に駆られた商人の台詞回しもむずかしい。
むろん間の取り方にも神経をつかう。

声で物語を描く。

自分のなかにくっきりとイメージしないと
聞き手には伝わらない。

朗読に正解はない。
一回一回が
自分が思い描く理想の朗読に近づくための
積み重ねだ。

それにしてもこの寒さでは
ほおの筋肉がこわばって
片頬のわたしはいよいよ発声が悪い。

声量がない上に
おなかから声が出ない。

まるで朗読には向かない声なんだけど
それでも声で物語を描きたいんだな。

仲間のひとの息子さんが入院された。
めまいがひどくなって調べたところ
脳の動脈の奇形が見つかったので
手術するため大阪に向われたのだという。

奇形という言葉が母親を悩ませる。
65歳を超えているそのひとが
妊娠していたときのことを振り返る。

どんなに振り返っても
事態は変わらないのに
自分がそのとき何かしたからこうなったのかと
こころの迷路に入り込んでしまう。

どんなことがあったとしても
変えられない今であるなら
引き受けていくしかないのだと
分かっていながら
それでもやっぱり心ひそかに
遠い日に自分のおなかのなかで
なにがあったのだろう、と思い
人知れず唇を噛むのが
母親というものなのかもしれない。

なんてことを思いながら
あずとひなの母娘の物語を
あれこれひねくってみるのだけれど
どうも上手くいかなくて
身もこころも固まってしまう。


2008 2/14
タマネギと人参のスープ
ブロッコリーのサラダ
オムライス

いろいろ思うこともあり
外出したこともあって
いささかお疲れモードで
夕刻コタツで転寝をしてしまい
息子2の「ただいま」の声に起こされた。

い、いかん!と
そこから焦って
しゃっしゃかしゃっしゃか夕飯作り。

昼食のような夕飯になってしまったが
まあ、スピード重視のメニューもあるさ。
要は臨機応変なのさ。
と居直る。

2008 2/15

外ご飯。
うんうん、ステーキ。
具沢山のお味噌汁。
サラダ
雑穀米
お漬物。
舞茸と茄子のてんぷら蕎麦。

うんうん、贅沢贅沢。
ごちそうさま。

おもしろい話を聞いて大笑いした。
笑って笑って笑いつかれて
帰りの電車で居眠りして
一駅乗り越してしまった。

行きの電車で隣りにすわったおじいさんは
妙に動きがゆっくりだった。
半ば放心という感じだった。

座るとブツブツ言い始めた。
小さな声だったが
「目が見えなくなる、目が見なくなる」
と聞き取れた。

ああ、今日がそれを知らされた日で
飲み込みがたい思いを
そんな言葉を吐くことで
なんとか押し込もうとしているのかもしれない。

おじいさんの視線の先
向かい側の座席には若いおんなのひとが
三人腰かけていた。
それぞれ、白、赤、黒のコートを着ていた。

その色合いの鮮やかさを
おじいさんの目は捉えているのだろうか。

その三人の隣りにおばあさんがいた。
白髪頭を小さく髷に結ったしっかり物の顔つきだが
どうしたわけか口元が動き続けていた。

のべつ幕なしに下あごが前に出て
池の鯉がえさを求めて水面に現れ
パクパクと口を空けているようだった。

赤いシューズを履いたがゆえに
死ぬまで踊り続ける踊り子のように
死ぬまであの顎はうごきつづけるのだろうか。


2008 2/16
カボチャの味噌汁
蓮根のきんぴら
ほうれんそうのごまあえ

温豆腐柚子胡椒ぞえ

今日は何をしていたの?
と聞かれたらなんと答えよう。

立派な答えなどありません。
またひきこもって
いつもとおんなじ家事。

そして川上弘美さんの「いとしい」を読む。
読み始めて、読んだような気がしてきて
でも続きがどうなるかは憶えていなくて
なんとなく読み続ける。

隙間の多い小説なんだけれど
その隙間が魅力だったりする。
てらいなく、という勇気。

自分も勇気を持って小説に
エッセイをぶち込む。
まだうまく加工できなくて
繋ぎ合わせるだけだけど
これまで書いてきたものが生きる。

作文のリサイクル・パッチワーク。

2008 2/17
ざるソバ

タマネギとジャガイモの味噌汁
鶏肉の柚子胡椒ソース掛け
ねぎとシイタケ添え
粉ふきいも
豚肉と豆腐のキムチチゲ
WITHばどわいざー



近所の梶原稲荷の初午に行き
獅子舞を見る。
知ってる人はいない。
行きつけの洋食屋の奥さんだけに
声をかけられる。

知ってるひとのいない気楽さ
いない気まずさ
いつだって
そういう振り子が振れている。

恩師万理先生への手紙を
2時間以上かかってようやく書き上げる。

現代国語と書道の先生で
巻紙に毛筆のお手紙をいただいて
しかも自身の書道の師匠の思い出を
書いて出版された本もいただいて
その感想を求められていて・・・

なんと
ハードルの高い手紙だったんだろう。

下手くそな字で下手くそな文章を
筆ペンで書きあげるまでの
山ほどの書き損じ・・・。

気取っても仕方がない。
下手だけど気持ちは込めた。
それで十分。



万理先生
寒い日が続きますがお変わりありませんか。
美しい御本とお手紙ありがとうございました。
お返事が遅くなってしまってごめんなさい。

先生のお元気そうなお顔を想像しながら、これを書いているのですが、
同時に、高砂丸の船倉にいる不安げな顔も、
甲板での神妙な顔も、
合歓を見つめる放心したような少女の顔もうかんできます。

こちらもまったく存じ上げなかった現実でした。
歴史のなかの出来事が目の前の現実に繋がっていきました。
詩集「撫順」のページを繰り、
遠い日に無邪気な目が切り取った風景に添いながら、
ああ、こんなに小さかったのに、本当にご苦労なさったのだなと
万理先生の春のひなたのように暖かな笑顔の向こう側を思いました。
困惑や不安、落胆や苦痛に眉を曇らせるこの子を
ぎゅっと抱きしめてあげたいと、何度も思いました。

押し花のように時間の層のあいだに挟まれた記憶であったに違いありません。
色褪せ風化してしまうに十分な時間が経ったようにも思えます。
それでも、万理先生の言葉は
その花をせつないくらいに鮮やかに蘇らせ咲かせていきます。
そこからおちる朝露さえこの身に感じられ、
わたしは言葉に詰まってしまうのでした。

まっすぐな少女であられたのでしょうね。
まっすぐ見つめたものがそのままこころにおさまっていたから、
すっとその時間が立ち上がっていくのでしょうね。
本当に素晴らしい記憶のちからです。たいせつな宝物。

これを書かれた決断にもこころ打たれます。
これらはまっすぐ未来にむけた言葉なのだと感じ入ります。
声高な言葉が伝えるものは限られています。
先生が選んでいかれるなだらかな言葉の持つちからに打たれます。

そしてそれは日比野五鳳先生のやさしい大垣弁のお言葉にも繋がっていきます。
言葉は大きな手のように、小さな万理先生を包み込みます。
その会話を読みながら
ふたりのあいだに往還する温かさが何度も胸に広がりました。
幼い万理先生がこころ弾ませてお稽古に通う道すがらに、
思いを馳せたりいたしました。

書道にも現代詩にも門外漢であるわたしには、
ただ頷き、そういうものなのか、と了解することばかりなのですが、
それでも日比野先生の滋味溢れるたくさんの魅力的なお言葉が
万理先生の身のうちに蓄えられていくさまを感じて、
幸せな思いがいたしました。

「こんにちは、よう来たな。ここでお稽古やりんなさるか」
から始まる師弟の交流のなかで、
「果てしなく広がる満州の地に集結し、放り出された」魂の傷が
「自分の花を咲かせてみんさい」という言葉に導かれ、
次第に癒され、育ち、大きな喜びを得ていく
その道すがらに咲くたくさんの美しい言葉たち。素晴らしい。

修業に修業を重ね、
気の遠くなるような練習の果てに至る軽みのような心境にもまた、
強くあこがれます。

「下手だってなんじゃい。上手かったってなんじゃい。
人から上手いと思われようが下手と思われようが、
それがどうした、と思っておるんや。
それよりも自分が満足できるもんやないとあかん」

自分が文章を書くとき、評価に対して自意識過剰になってしまいがちなので、
この日比野先生の言葉に救われる思いがします。生き方のお手本。

わたしは高校時代の教室のなかでの自分をあまりよく覚えていません。
こころがふわふわと別なところへ旅していたのかもしれません。
いい生徒でなくてごめんなさい。


相馬くんが「自分の世界を持ってるって感じだった」といいましたが、
当時のわたしはいろんなことから引きこもっていたのかもしれませんね。

どうあれ、こうとしか生きてこられなかった五十三年です。
悔やむことはたくさんありますが、
そのどれもが今の自分を作ったのだと思います。
小説はこれからも書いていきたいと思っております。
ご主人さまのご指摘もありがたく、精進していこうと思ったことでした。

もっと、早く、と思いながら、こんなに日が経ってしまって申し訳ないです。
今年はことのほか寒さが厳しいようです。
どうぞあったかにご自愛くださいませ。

                    
2008 2/18
もやしと揚げの味噌汁
柳ガレイの一夜干し
大根を厚揚げの煮物
鶏肉と菜の花とシイタケの茶碗蒸し

月曜には月曜の家事があり
あれこれあれこれと動いて
知らぬ間に一日が過ぎる。

郵便局へいって振り込みして
手紙を出しての帰り道
公園そばの団地の桜の枯れ枝に
雀が集合していた。
鳥も井戸端会議をするらしい。
そのさえずりのにぎやかなこと。
時折甲高い百舌鳥の声もする。

雀が鈴なりになった枝の向こうのそらは
明度の高いブルーで
おどけたり済ましたりしてる雲のあいだに
昼間の月が見えた。

くっきりと白い月は
半分よりは少し大きくようだった。
欠けて見えても月はまん丸、
なんて呟いてみた。

そのそらの高い高いところで
トンビがゆっくりと旋回していた。

さあ、また、
「待ち」の時間がはじまる。

がんばれ!
ゆうちゃん。


2008 2/19

もやしのスープ
チャーハン

アイスボックスクッキー

豆腐の味噌汁
小松菜の辛子和え
アジフライ、千切りキャベツ添え
フライドポテト
オニオンスライスサラダ


今日の夕飯
息子2といっしょに作った。
洗米から始まって盛り付けまで。
「中高に」なんて教えたり。

好き嫌いが多くて
味つけが濃いひとなので
どうなることやらと思っていたら
案の定、辛子たっぷり。
味噌汁のだしも
鰹節のおごったものになった。
アジフライもがっちり揚げて
なんというか
メリハリのきいた料理だった。

今日は今日のこと。
たいせつなのは続けること。

なんでこうなるのか、と嘆くより
こうであることのなかで
楽しんでいこう。

健康で
いっしょにいられて
おいしいご飯が食べられて
よかった。

わたしたちの人生には
上手くいかないことが
トラップのように沢山用意してあって
そこにひっかからせて
意気消沈させようとするひとが
きっといるにちがいない、なんて
思ったりする日もあるのだけれど

そういう日もあるのさと
互いの肩を叩きあって
いっしょにご飯を食べられる
そんな幸せを噛み締めよう。


2008 2/20

息子2とふたりだけの夕食
白菜のねぎのお好み焼き
豚肉、アサリ、桜海老、シラス。
ゴマも入れたりして
ホットプレートでふたりで焼く。

歓喜の歌、おもしろかったよ。
談志が出てきてびっくりしたよ。

ほー。

にいちゃん、お昼
帝国ホテルでバイキングだったんで
おなかすいてないって。

好き嫌いがないから
いっぱい食えるんだな。

ちょっとちょうだいのひとだしね。
君はそうはいかんね。

好き嫌い多いしね。

そんな会話を交わしながら
お好み焼きが焼けていく。

で、これはどう?

それなりに

2008 2/21
そらまめ
あさりの味噌汁
ほうれん草の胡麻和え
白身魚のしょうゆ漬け焼き
白菜と豚肉のクリーム煮

花鳥風月だとか
古典だとか
クラシック音楽だとか
書道だとか
絵画だとか
老舗のことだとか
一流品店のことだとか

なんもしらんなあと
しみじみ振り返る53歳。

ふわふわと
なにをやってきたんだろうなあ。


2008 2/22
ふふふの日だあ。

お麩と桜海老のおつゆ
肉じゃが
オリーブオイルで揚げた
人参・馬鈴薯・シメジ・海老・飯蛸のフリッター
オーロラソース添え
ひき肉と春雨の炒め物

きりきりと頭が痛んでダウン。
夢とも現ともの一日だったが
午後、愉快な話を聞いて大笑い。
ふふふの日だけど
ははははははと笑った。



2008 2/23 (ミクシィ)

豆腐の味噌汁
やりいかと菜の花の炒め物
まぐろお刺身
おでん

八百屋のおにいさんに
「すごい風ですねえ」というと
「ええ、こわいくらい」
という答えが返ってきた。

帰り道
「ええ、こわいくらい」と呟いて
なんだかにっこりしてしまう。


2008 2/24
ハヤシライス
オニオンサラダ


ああ、強風に乗って
花粉が来たりて
泣く。

万理先生の御本とリンクして
出光にて西行のかな文字。
中務集がいいな。

西行絵巻の宗達の絵が
意外な感じに平凡だったなあ。

2月25日
激しく頭痛にてダウン。
おにいご飯。

ひつまぶし。
豆腐のおつゆ。
ほうれん草の胡麻和え
焼きさんま。

ブログを読んでくださってるかたから
お誘いをうけて早稲田へ行きました。

五つ年上のこのキトクなご婦人は
無闇やたらに増改築した日本旅館のようなわたしのブログを
あちこちに飛ばされながらおおむね読んでくださって

あまつさえ文袋を5つもご予約くださって
昨年末から是非に会いたいと言ってくださって
ではでは、ということになっていたのに

お互いの体調やら介護やら
諸般の事情にてのびのびになっていたのだけれど

ようやく(といってもそのかたが決めてくださったのだが)
26日はそのお届けもかねて
都電大塚駅で待ち合わせして早稲田まで都電にのり
駅近くのそのかたの行きつけのお店に連れて行ってもらったのでした。

お店の名前は「太郎月」。その名は一月の別称だそうです。
http://www.inshokutenpr.com/PR2000/jsp/P2010_10.jsp?mode=normal&contents_key_id=200

千葉県の奥深くにお住まいのそのかたは
勤め先から3時間かけてこられたのでした。
それでも
「文さんをここに連れてきたかったの」
とおっしゃるのでした。
ありがたいやら、申し訳ないやら・・・。

しかも差上げた文袋をとても大事そうに撫でさすって
「こんな素敵なの、いただいちゃって」
といわれたりするものだから
なんだか胸のうちがふるふるとしてしまったのでした。

厨房に立つのは体育会系の雰囲気のするご兄弟でしたが
ものすごく声量のあるひとが柔かく出した声という感じの応答が
ここちよく耳に届きました。

そのおふたりが忙しく立ち働いて差し出される
お料理はまことに丁寧でした。

小松菜の胡麻和え、ぶたばら肉の甘辛煮、揚げだし豆腐
ホタテの湯引き、お新香
裏メニューだという鉄火風の巻き物をいただきました。

とくにこちらの揚げだし豆腐はなかなかのものです。
絹豆腐でやわらかく、
こんなに水切りしなくてよく揚がったなと思うくらいです。
塩でいただいても美味しゅうございますです。


お酒もいろいろそろっていました。
奥さんが一升瓶でそろそろと注いでくださる。
コップのへりから表面張力で盛り上がり
一筋ツツツとしたたり落ちる冷たいお酒。

くいっといくとほわんとして
いささか体調が良くなくて
なのにはじめまして、だなんて
どうなるかと案じていたのに

お店の雰囲気とうまいお酒でなんだか元気になって
もうもうここちよくて
隣りに座られたご婦人と言葉を交わして
キャリアウーマン風のそのかたは常連さんで
ひとりきてマグロのお刺身で熱燗を飲んでおられましたが

ふあふあと酔ってきたわたしは
ノブヨさんというお名前や境遇まで聞いてしまって
それがおさびしい境遇だったからかなんだか
それがきっかけだったかなんだか

その前からチバのひとがちから強く語られる職場、
農業高校の生徒と
真剣に向き合って渡り合って
生徒から学ぶんだという言葉にも
なんだか感動してしまっていて

胸のうちにせりあがっていたなにかがあふれてきて
ほろほろと泣いてしまって
笑い上戸のはずだったのになあと思いながら
照れくさくハンカチを探したのでありました。

そしたらノブヨさんが
「こころがやわらかいのね」
と言ってくれて
そしたらまたその言葉に泣けてきたりして
なんだかふるふるの夜だったのです。

このお店はとても良いです。
沢山のひとと、というより
少人数でまったりのオフ会によいかと思われます。

ふふ、飲みにいこうね。

2008 2/27
ワカメと豆腐の味噌汁
白身魚味噌漬け焼き
モロッコインゲン炒め物
鶏レバー
根菜煮物
餃子

先日電車で見かけたおばあさんは
やっぱり三浦和義似だった。

彼をテレビで見かけるたびに
強くそう思う。

そんなふうに眺めてると
かの容疑者はおばあさん顔に見えてきたりする。
年取ったんだなって。

曝されてきた顔なんだなとも思う。

その時代を通り過ぎた人間の記憶に
それと認識しなくとも
忘れようなくきざまれているんだな、と。

それにしても花粉症にて
つらいことになってきて・・・
また、これが続くなあ。

春がくるなあ。

2008 2/28
もやしの味噌汁
豆ご飯
さつまいも れんこん いんげん
まいたけ 春菊 海老 のてんぷら

花粉が・・・
もうもういきなりやられてます。

図書館にて久世さんの「怖い絵」と
小川さんの「妊娠カレンダー」と
川上さんの「ざらざら」
とか借りましたが
読めるかどうか自信がなかです。

ずるずるずる。


2008 2/29

外ご飯
天せいろ

中華
海鮮焼きそば エビマヨ 
桜海老のサラダ 角煮春雨
チンジャオニュウロウ

小説教室の日。
2回欠席したので、ミニ浦島気分。

芥川賞受賞作の「乳と卵」の講読。
とはしらなかったので未読。
感想も言えず。

この少女が大人になることを受け入れていく
思想・哲学小説は樋口一葉に捧げられた
「たけくらべ」のパロディだと聞いた。

ううむ。と感心するが
もうその手は使えない、とのこと。

その手もこの手もあの手も
小説世界は入り組んだ手だらけで
この手があったか!
の隙間を見つけられるひとが
小説家になるんだろうな。



いろんな本を読むほどに
なんだか果てのわからん沼地で
迷子になってズブズブズブと
沈んでいきそうな感じもするんだけど

自分の書いたものを
好きだといってくれるひとがいて
もっと書いてといってくれたりもして

わずかだけど
はっきりきこえるそんな囁き声が
わたしの居場所もあるかもしれない
と思わせてくれる。ありがたい。

























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