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文の文

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迷子の道しるべ・33

☆ 2008 7/30

昨晩はミニオフ会で、おんな3人の暑気払い。
東急大井町線尾山台駅そばの「田園」。
出汁のおごったお料理に舌鼓。


海老しんじょとほたてとオクラ(これは苦手)と冬瓜の煮物、
梅と魚卵のはもそうめん、お刺身(貝が抜群)
蒸し毛蟹、賀茂なすと海老、鶏肉の揚げ出し。

いやあ、うまかった。
そういう場に快く送り出してもらって
ありがたい、ありがたい。

と、いいつつも
それぞれの人生の30年以上を
ひとりの男と向き合ってくらしてきたおんなたちにとって
老いていく男のかたまり具合は嘆息の元だ。

共有する時間が長くなると
これまで見えなかったもの、見ようとしなかったもの
見えてても見ない振りしてうっちゃっていたものが
じりじりとあぶりだされてくる。

...そういうひとだったのね。

そんな言葉が耳に残る。

いや、それ以上にせつない言葉も耳に残っている。
抱える問題はそれぞれ違うが
こころを添わせるとその痛みがしみてくる。

それぞれが歩んできた時間を
もう巻き戻すことはできない。
その先も自分の足で歩んでいかなければならない。
振り返ってばかりもいられない。
時は、現実は、止まってはくれない。

☆ 2008 8/1

きみはだいじょうぶだからね。
明るい未来を信じようね。

前を行く息子1の背中に
そんな声をかける。
自分に言い聞かせるように
そんな言葉を選ぶ。

振り返った彼に笑顔はないが
その少し前までの嵐を恥じるように
こっくりとうなづき
ありがとう、という。

互いを気遣いあうことのしんどさを
暑さの中で噛み締めながら
それでもやっぱり
わたしは言う。

ほんとにきみは
だいじょうぶなんだからね。


☆ 2008 8/5
実に実に中途半端な人間で
あれもこれもと望みながら
あれもこれも気になりつつ
どれもこれも中途半端。
それはいつものことながら
この暑さにいよいよ度を越して中途半端。

狭いマンションの各部屋を回るたびに
やりかけの仕事をめっけてしまう。
おいおい、だいじょうぶ?
と他人がいたら言われてしまうだろうな。

大汗かいてリビングの掃除機をかけ終わって
自分の部屋のドアをあけると
ミシンの明かりがついてて
ノーパソが開いてて
扇風機が回ってて
アイロン台の上に洗った古布があって
机の上には
読みかけの小説のページがひらいたまま。

あっ。
ここは時間が錯綜しておるわ
などと苦笑する。
まぼろしのようなわたしの影が
いくつも重なって見えたりする。

なにかをしたい影ではなく
やりたくないことから逃れている影だ。
怠け心が自分をあらぬ方向へ引っ張っていく。

いかんいかんと思うまでもなく
今日やらねばならぬことが追っかけてくる。
しぶしぶ部屋を出て大汗かく。

日がな一日
作文でも手芸でも
なににもならぬこと、ものを
ああでもないこうでもないと
こねくり回していたいと
思ったりする猛暑の日々。


☆ 2008 8/7
昨日はポニョを見た。

ポニョの走りのたくましいこと。

宮崎駿少年はかけっこびりで
運動が苦手だったって聞いてしまうと
なんだかそういうところが気にかかる。

生まれてこなきゃよかった。

そんな思いを抱いていたのだと聞くと
これまでの宮崎アニメのイメージが
かわってくる。

人を楽しませることができたら
自分も生きることが許されるような気がする。

その言葉はもっと大きく作品を揺すぶる。

生存をかけたエンターテイメントなんだと
納得すれば
面白くないはずはない。


結核菌が脊椎に入ってしまったおかあさんに
彼が甘え抱かれたことはなかったという。

どの作品にもお母さんが投影されている
と聞けばまたまた心証が変わる。

若いときは活発なおかあさんだった。
だからポニョはたくましく走るのだ。

大きくなった息子たちは
そんなふうにお母さんを偲ぶのか・・・。


☆ 2008 8/9
昨日は文袋のお届け。

帰省のおみやげと自分の分だといって
たくさん買っていただいた。
ありがたい。

そうそう、と言って
そのひとが大きなかばんから出してきたのは
以前さしあげた文袋だった。

07-9-11-4.JPG

そんなふうにめぐり合えて
とてもうれしかった。

「気に入ってるの」と言ってもらうと
ますますうれしくなった。

☆ 2008 8/15
10日から今日まで京都に帰っていました。
まあ暑かったこと。

京都の年齢の高いご婦人がたが
みな長袖を着ているのをみて
この暑いのに、
と最初は思っていたのだけれど
何日かするとなるほどそれは
肌を紫外線から守っているのだ
と気づいたのでした。

まったくもって
地球の傾きが変わったように
気候が変化しています。

日本国民は南にむかってずいぶん
民族大移動をしたのだと思ったほうが
いっそ覚悟ができるってものであります。

砂漠の民の知恵が
わたしたちを守ってくれます。きっと。

なんてことを思うくらいに
暑い京都で
結構働いてきました。わたし。
うんうん、えらかった。

帰りの新幹線で自分にご褒美の
プライムタイムを空けながら
見上げた空の青いこと
入道雲の白いこと。
ああ、思いっきり夏だなと思ったことでした。

木漏れ日の揺れるところへ
行きたいなあと思いつつ
眠ってしまったのでありました。

☆ 2008 8/19

何事も盛りを過ぎれば
こころもとなさが湧く。

あんなに呪った暑さが
ふっとやわらぐと
夏のおわりの気配の端っこを
垣間見たような気がして
すこしさびしくなる。

ああ、お盆も甲子園も終わった。

夏の窓がパタンパタンと閉じていく。
そんな感じ。

そんな感じになると
誰かに逢いたくなる。

☆ 2008 8/20
なめちゃいかんぜ!とばかりに
暑さがぶり返す。

意地になってるかのように
蒸し暑い一日だった。

わかった。
まだまだ夏は元気だね。

それでもふっと忍び込んできた
ひとこいしさは
こころのなかに居座っていたりする。

と・・・
旧友からメールが届く。

「夏はまた来ます。
再会できる時も」
とあった。

彼女のささやくような穏やかな声が
聞こえてくるような気がした。

☆ 2008 8/21

5年ぶりの免許更新。
その年数だけ車に乗っていない。

今の住まいに引っ越すとき
車は処分した。

25年間平日は毎朝
駅まで家族を送っていった。

横浜の町をかっ飛ばしたものだった。
なんてのは嘘だな。

なにしろ一本道。
方向音痴地理音痴で
行った道を帰るだけだった。

今では運転免許書は
身分証明書でしかない。

5年ぶりに証明写真を撮った。

5歳老いたわたしがやっぱり片頬で
頼りなげな表情でこちらを見ている。


☆ 2008 8/22

ひんやりした風が吹いた。
ああ、とひといきつく。

と、暑さにかまけて
いいかげんにうっちゃっていたことが
にわかに気になってくる。

涼しさが体を動かす。

あれしてこれして
際限のない家事。
仕事が仕事を呼ぶ。

あげく
全部やるつもりだったんだけど・・・
なんて言い訳とともに
あれこれ仕事を残す。

人生にもそういうやり残しが
たくさんあるような気がしてくる。
つぼの中に手を入れて
欲張っていっぱい掴んで
結局その手が
出口から出なくなってしまう猿みたい。

やり始めてやり終えていないこと。
中途半端でほおりなげていること。
そんなものを数え上げて苦笑する
8月下旬。

☆ 2008 8/26

さあ!
と掛け声ばかり大きい
54歳の初日です。

☆ 2008 8/27

気が付くと
ますます愚図になっている。

あれもこれもできてない。
ああ、時間が足りない・・・。


☆ 2008 8/28

ていうか、具合がわるかったんだ。
いやほど汗出るし
のど痛いし
頭痛いし
節々も。

ひさびさに伏せっておりますです。

宇江佐真理を読む。


「深川恋物語」「余寒の雪」「恋いちもんめ」
「涙堂」「さらば深川」

キャラの立て方だなあ。

☆ 2008 8/31

8月も終わりますねえ。
ガーッと照って
ザアーと降って
天を仰ぐことの多い
激しい夏でございましたねえ。

ひととして生きることが
ちっぽけであることを思い知らされたり
それでもそのちっぽけな人間が
集って競い合って
それぞれにがんばってるんだって
画面を通して感動したりする
夏でしたねえ。

いやいや、まだまだと
蝉の声が響いてきます。


9/1
さあ9月。
なのになんだか頭が回らない。
もともと、かな。

☆ 2008 9/7

しっかりきっちり思案して
ふわりと文章を書きたい。

ネットでは
見も知らぬひとに読んでもらう
という気楽さがある。

そう、はじまりのころ
ネットは「王様の耳はロバの耳!」と
叫んでもいいところだと思っていたから

ある意味に野放図に
自由に、ぶっちゃけで
好き勝手に書き始めたのだけれど

やがてわたしをわたしと承知するひとが増え
そのなかには知り合いや旧友がいて

そういうひとたちが読んでいると
気づいてしまうと

なんとも面映く、気恥ずかしく、
照れくさく、きまりが悪く
さしさわりだらけで
これまでのように書けなくなったりする。

それでもなお
そういう障害物をひょいひょいと乗り越えて

だれかのこころにすっと届いて
そこにとどまるような作文を書くことは
なかなかに難しい技であるなあと

まだまだ暑い9月のはじめに
汗かきつつ思ったりするのでありました。
☆ 2008 9/11
日々のくらしで
知らぬ間に
背負い込んでいた
重いものを
軽井沢の風に
すこし軽くしてもらった。

いや、友人に
すべて聞いてもらって
久しぶりに
夢も見ないで
深く眠った夜だった。

そして
この友人に恵まれて
自分はしあわせものだと
思う朝だった。

☆ 2008 9/13

千鶴子さんがここ数年
個人で出しているエッセイと短歌の冊子
『藻乃露於具』(ものろおぐ)へ
寄稿を依頼される。

「わたしのよりちょっとうまくなくて
でもいいもの」を、と言われる。

さあて、どうしたものか、と
思案する。


猛暑の夏のせいか
袋物職人の頭になったせいか
かきものへの情熱みたいなものが
なかなか立ち戻ってきてくれない。

特に小説あたまに
切り替えることが至難なのだ。

図書館へ行くたびに
わたしごときが書かずとも、
と思ってしまう。

世の中にはこんなに言葉で出来た
見事な世界が林立しているのだから、と。

苦肉の策で
日常の身辺雑記なら
だいじょうぶだろう、と
これまでネットで書いたものから
ピックアップしようと思いたち
自分の日記を遡って眺めた。

その数の多さ、長さに
書くことがすきだったんだなと
改めて思ったりする。

通り過ぎた時間を
今に引きもどす言葉は
自分の足跡のように
来た道を示す。

あんなことがあり
こんなことがあった。
鮮明なこともあるが
忘れ去っていたこともある。

通りすがりのひとのさまを
ささっとスケッチしている文章が多くある。

そのスケッチには
老女の横顔が多数あり
自分のこころは
いつもそこにとどまるのだと感じ入る。

いつか行くところとして
あるいは
天晴れな生き方として
老女はたくさんのことを
示唆してくれている。

そうだ、老女がたりを寄稿しよう。
なんて、すこし頭が動いたみたいだ。

18日に千鶴子さんに会って
依頼原稿を手渡した。
22字20行2段組で14ページ。

同人誌ならば
支払いの算段をしなければならないが
逆に原稿料だといって
中華料理のコースを奢ってもらう。
ゲラ上がりには日本料理を、と
約束している。

まあまあ申し訳ないことだと
思いながらも
自分の書いたもので
文字通りメシが食えたんだと思うと
なんだかいい感じだ。

「来年もおねがいね」
千鶴子さんにそう言い
「そろそろあっちは
辞めてもいいんじゃないの?」
と付け加えた。

「停車場」を卒業する潮時だと
言われているのだ。

う~ん。
それはずっと思案していることだ。

同じお金を使うなら、と。

☆ 2008 9/23

京都の姑が亡くなりました。
しばらく
そう一週間ほど忌引きであります。

☆ 2008 9/30

23日から28日まで京都でした。
姑を送ってきました。

☆ 2008 10/1
映画「おくりびと」を観た。

先日、京都で姑を納棺してもらったひとと
映画のなかのもっくんが重なった。

丁寧な仕事。
その動きのひとつひとつに
思いがこもる。

生きていた時間に対する思い。
いつかは死に行くひとへの思い。
ひとは最期の最期までひとなのだという思い。

理屈でなく
ただ感謝する遺族の思いに
自分たちが重なった。

☆ 2008 10/9

今月は11日に鬼子母神の手創り市がある。
それに向けて文袋を作る。

新しいのを作ると
前のがダサく見えてくる。

いかんな、と反省しつつ
次はああしてこうして
いろいろ工夫を思案すると
頭がまたまた袋物職人仕様になって
作文に向かわなくなってしまう。
ばさまの葬儀のこと
書いておきたいのに・・・。

そのうえ
デジカメにも手が伸びない。

息子とやろうとしてる
同人誌の話も進まない。

自分という人間のかたちの小ささ。
目の前のことしか見えない薄っぺらさ。

なんだかな、と嘆息したりするけど
ひとつ文袋が出来上がれば
にんまりしたりして・・・

bun

bb

☆ 2008 10/11

手創り市は雨のため中止ですと。
なんだかなあ、とふてくされの土曜日。

☆ 2008 10/17

ばさまの49日の法要の際に使うから、と
我が家から文袋の注文を受ける。

お供えのお菓子を
出席者みんなで分けるから
それを入れるため、だ。

実は私が勝手に作り始めたのだが
全部出来たらペイする、とのこと。

家族内で商売してどうする?
とも思うが
そういう励まし方なのだろう、
と理解する。

ひとつの着物から
ぎりぎり九つの文袋。

ああしてこうして、と
おつむがそっちへシフトする。
いろいろひらめいて
天才かも、なんて思ったり
その出来上がりに
なんてダサイんだ、とめげたり
職人は思案し続ける日々である。

しかし、同じものをいくつも作る
ということはなかなかに骨が折れる。

好きなものを好きなだけという
気まぐれではいかんなと思う。

そういうことが
注文を受け、ペイされる、ということなんだと
世間知らずのおばさんは納得したりする。

みちなおとおし、である。


☆ 2008 10/21

文袋 注文品完成

08-10-21-1.JPG

銀色ステッチなど入れてみた。

きっちりペイしてもらう。
ありがたいありがたい。


☆ 2008 10/24

「袋ばっかり作ってると
作文がうまくいかないんじゃないの?」
と言われてしまう。

袋作らなくても
うまくいかないときは
いかないもんです。

作文はこころが動かんと
うまく書けんのです。

こころは動かそうと思っても
動くもんじゃなくて

わけわからんけど
動いてしまうもんだろう
と思うのです。

こころが動いて
言葉も動いて

ぴたっぴたっと
こころの動きに言葉を当てはめていく
って感じかなあ。

と、弁解しておこう。



☆2008.10.28
DSCN4110.JPG

みどりさんに誘われて軽井沢へ
紅葉を見に行った。

なにかのご褒美のように
晴れ渡った穏かな秋の一日だった。

かって知ったる旧軽のみちを
みどりさんはすいすい歩く。
その後をいつものようについていく。

人通りの少ない林の中の道を行く。
丈高く伸びた常緑樹の影から
赤く照った楓がのぞく。
ドウダンツツジも燃えるように赤い。

それは命の終わりのしるしなのに
いや、だからこそなのか、
こんなに美しい。

葉のこすれあう乾いた音がして
吹く風に舞い降りる。

こんなふうに鮮やかに燃え散りたいな
なんて思ったりする。

ぐずぐずと枯れ残り
細い枝にしがみついていたくはないな、と。


☆2008.10.30

へたっぴいな作文にため息がでる。
何度も何度も手を入れる。

しかし、ここに書いたものに
そんなことする必要があるのかな、
と思うけど
そうしないと落ち着かないのだから仕方がない。

つまり手を入れているうちは
まだやる気があるってことかもしれない。


☆2008.11.1

ばさまの四十九日の法要で
明日から京都です。

お骨、お墓におさめてきます。

このごろなんだか調子が悪くて
ばさまが、みんなといっしょにいたい、と
肩の上に乗っかってるのかもしれん
なんて怖いことを思ったりしています。

つるかめつるかめ・・・。

☆2008.11.4

法要、無事終了。

普通の暮らしを始めましょう。

☆2008.11.7

以前からブログを読んで下さってるかたから
メッセージをいただいた。

日記「ステップ」についての感想を
書いてくださった。

ひとは生まれて生きて死ぬのですから
その限られた時間の中で
こころがうごいたことを書き留めておこう
そんな思いで書いているのですが
自分の書いた文章を
読んでくださるひとがいて
こころに留め置いてくださる時間が
あるということ
そしてそれを知らせてくださること
ありがたいです。

☆2008.11.13

誰がなんといおうとワシは寝る!と
言い張って
ちょっと工夫して
久しぶりに12時代に就寝。

で、
夜中の3時に起きることもなく
6時半起床。
おかげさまで・・・。


☆2008.11.15

昔、ばさまのことを書いた「足音」という作文。

それはすべて本当のことだけど
それをさらけ出すことに意味があるのか、
誰かを傷つけてまで書くことなのか
と自分で突っ込みをいれている。

人生は純文学では生きられない。

☆2008.11.18
放送大学に入学してるわけではないが
ときどき演劇評論家の渡辺保さんの講義を聴く。

このひとの語り口はまことに心地よい。
立て板に水の講義で「芸と演技の違い」などを教えてもらう。

演者が誰であるかを観客に意識させながらの表現が芸で
それに対して、演技では演者は役柄に自分をはめ込むのだそうだ。

なるほど。ためになる。

今朝は心理学のセンセイ(名前は忘れた)の話を聴いた。
心理学を教えていると「ひとのこころがわかるのですか?」と
よく訊かれるのだそうだ。

で「見えない三角」の図のように
見えない心をなんとか浮かび上がらせようとするのが
心理学なんだと答えるのだそうだ。

なるほど。謙虚だな。

このセンセイは幼児が
「他人のこころをどう慮るか」みたいな研究をしていて、
幼稚園で実験観察したところ
4,5歳児で、そこに置かれたものが他人からどう見えているのか
なんてことを理解し始めるのだそうだ。

なるほど。
他者の視点をそこらへんで獲得するんだな。

そうか、幼児期に獲得してるんだ。
他者の視点。

これ、作文書くときに絶対必要だって言われたことだ。
これがない作文はまことに読みづらい。
・・・なんて文章に自分が噛まれてしまったりして・・・。


それから洗濯して掃除して電話がきてお昼になって
ドライカレーを作って食べて片づけて
ふーと大きなため息をついて
ああ、そうだ、Bunkamuraへ行こうと思った。

ワイエスワイエス!!
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/08_wyeth/index.html

☆2008.11.24
 
ワイエスの絵は帰っていく絵だな。

どこへって
自分の時間に帰っていくんだ。

たとえば
メイン州の農場の軒先に吊るされた古びた籠
ささくれた床 枯れ草 冬景色

老人の顔に刻まれたシワが
たくさんのことを語るように

どれもそこに至るまでの時間と
そこに潜むものがたりを意識させる。

時を孕んだ絵なんだ。

押さえた色調で緻密に描かれた
その絵の向こう側に流れる時間が
静寂のものおもいへと運んでいく。

もう帰っては来ない時間
新しかったものが古びていくその時間
自分が生まれて生きたその時間。

絵画もそこに描かれていないものを
意識させるものなんだな。

それは表現のちからだな。
それも見えない三角だ。

そしてその会場のワイエスのすべての作品が
ワイエスという人間を
浮かび上がらせてるってことだな。

それにしても
その静寂の世界から渋谷の街に出た時の違和が
なんともかんとも大きくて首をすくめた。

それでもこの賑やかな街で
ぎらぎらと競い続ける魂にも
帰っていく時間があるんだろうな。

その入り口が
美術館の額にあるのかもしれないな。

☆2008.11.28

11月30日は鬼子母神手創り市です。
文袋屋も出ます。

今日は雨だけど
天気予報では30日は晴れるみたいです。

よろしかったらお運びくださいませ。
文袋いろいろあります。

☆2008.12.1

おかげさまで手創り市にて
文袋たくさんお買い上げいただきました。

わたしの作った文袋が、またまた
はじめてあった方々に
ふっと手にとってもらって
気に入ってもらって旅立っていきました。

ほぼ日で買ったピンクの布で作った
大小セットの文袋は
小学生の女の子が買ってくれました。

08-7-29-1.JPG

おかあさんがそばで
「ボタンもかわいいし
○ちゃんにぴったりのがあってよかったね」
と言いました。

「裏はイギリス国旗みたいでしょ?」
と声をかけると
少女は照れくさそうにうなずきました。

大島の小文袋を買ったくれたのは
にこやかなマダムでした。

「ふふ、こういうの、好きなのよね」
「わたしもです」

そんな会話を何度も繰り返して
気が付くと
11袋も買ってもらっていました。

ありがとうございました。

へこへこの日があれば
うきうきの日もあるし

うるうるの日があれば
でれでれの日もあるさ。

だるだるの日があれば
わくわくの日もあるさ。

けど、なんだろうね。
気がついてみると

ぐんぐんの日だとか
どんどんの日だとか

ばりばりの日だとか
いけいけの日だとか

そういう日が
なかなか来ない。

そういう日のことを
ずいぶん遠く感じてしまう。

そんな冬の日の雨。

12・13

「停車場」を
「藻乃露於具5号」を
「文袋 囀り」を

と、面識はないのだけれど
いつもこのブログを
読んでくださっているという複数のかたから
購入希望のメッセージをいただきました。
ありがとうございます。


自分の書いたもの
作ったものを
見も知らぬかたに
望んでもらえて
わたしはとてもうれしいです。
深く感謝です。


☆12/16
わたしってさあ、
いつもいつも、面白がりたいひとなのね。
くくくくくって笑ってたいの。

実際、世の中のいろんなこと、
身の回りのこととか、ひとのこととか
すこーし目線を変えるとさあ、
おかしいこといっぱいあるのね。

おお~とかへえ~とか、
○○みたい!なんていいながら
どこででも楽しめるのね。

わたしってそういうたちのひとだとおもってたのね。

でも、なんか、このところヘンなのね。

なんていうのかな。
休園してる遊園地にいったみたいな感じなのね。

目の前にたのしそうなものがたくさんあって
それはとても魅力的で
実際まわりのどのひともみんな楽しそうなんだけど

わたしにとってはどれも
電源のはいっていない遊具みたいで
ちっとも動き出さないのね。
それはまわりのせいじゃなくて

固まっているのは
わたしの好奇心ってもんかもしれないんだけど
見るものがどれも
ちっともきらきらしてないのね。
おお~もへえ~もないのね。
なんでかなあ。

なんか、今、わたしは
わたしがいちばんおもしろくないの。

おまえのはなしはつまらん!と
わたしがわたしを叱ってるの。


☆12/18

家事に励むと
頭が痛くなる。

家事に向かない主婦。


☆12/21

コンプレックスって
いつまでたっても
残ってるのね。

ほんとに困っちゃう。

☆12/23

天皇誕生日って四月じゃないの
なんて、
まだまだ昭和の感覚が健在だ。

自分のなかでは
昭和の置時計が
ずっと時を刻んでいるのかもしれない。

昭和の感覚が
幸せばかりを運ぶわけではない。

せりあがるゲップのように
ときどき苦い悔恨に包まれる。

三叉路での右か左かの選択。

あちらの道をすすんだら
どんな時間を生きていたのだろう。

☆12/24

しあわせになるのなら
みんないっしょがいい。

じぶんひとりだけが
しあわせなんていや。

そういったのは
同じ病室にいたマサコさんだった。

王選手のおにいさんは
ホームランを打たれたひとの気持ちを
考えなさい、と諭した。
うかれるんじゃない、と。

痛みを分かち合うことは
むずかしいことかもしれないけれど
痛みの渦中にあるひとに
こころを添わせることはできる。

そことここの違いを
ことさらに明らかにすることで
相手を傷つけることもあるのだと
こころに刻むことも出来る。

そんなことを思う
クリスマスイブの朝。

☆12/28

昨日のお昼ごろ
お使いに出ると
意外にあったかだった。

向かいの岡部さんのおじさんに
ばったりあったので
「今日はあったかですね」
というと
「いや、寒かったですよ
今だけ暖かくなったんですよ」
と言われた。

「あ、はい」
と言ってはみたものの
なんだかきまりの悪いことだった。

おとななのに・・・。


12/29

部屋の隅の埃。
ちりも積もれば山となる。
なるほどなあ。
地球も宇宙の塵からできたって。
そうなのかなあ。
クリスチャンのカツミさんは
神様が創ったんだっていうけど。

そんなことを思案しながら
拭き掃除。
かがむおなかが少々きつい。
いかんいかん。
がんばろう。

さても片づけでむずかしいのは
いらないものをいらないと認めること。

いらないと思っていたのに
実は必要だった記憶があって
またそんなふうになるかもしれんって
思ったりしたら
なあんも捨てられない。

歌舞伎座、美術館の半券だとか
お店の名刺だとか
パンフレットのたぐいだとかも
なんだか捨てられない。

捨てるということは縁を切ること
もう二度と目にしなくてもいいと
こころに決めること。

・・・
そうかあ。
こうやってゴミ屋敷が出来ていくんだな。

いかんいかん、と
ゴミ袋にほおりこむ。









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