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文の文

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社交的つながり・文の文6





# あこがれ 2007 1 8

たとえばあこがれ。

半世紀を越えて生きてなお
いや半世紀を越えて生きたからこそ
わたしをひきつけてやまないひとたちがいる。
なんて素敵なのだろうとこころが波立つ。

と同時にそんな素敵なひとに会ってしまうと
こまったことにわたしは
ちょっとうっとおしいひとになる。

わたしはわたしとしての日を
こうとしか生きてこられなかったのに
自分の手の中にあるものを眺めてはため息をつき
「それにひきかえわたしは・・・」
といういつもの呪縛にとりつかれてしまう。

それぞれの今は
それぞれの一日の重なりの上にあるものだから
今だけをすげかえるなんてことはできやしない。
それが現実だと重々承知の上で
そんな思いが湧いてしまう。

それでもうっとおしくなりつつも
あこがれはしてもそうはなれない自分ときっちり対面し
あこがれとは程遠い今の自分のありのままを
はっきり認識することは意味があることのようにも思う。

そのうえで
わたしはわたしの一日を重ねて行くしかない。

あこがれはいつも上向いた目線の先にある。
だからあこがれなのだ。
足元を見つめてうっとおしくなったわたしは
こうとしかなれなかった自分を抱きしめつつ
また目線をあげている。


# ほぼねこ 2007 1 14

手元にねこのぬいぐるみがある。

ねこはすきなのだが飼えない。
環境的にも、資質的にも。
生き死にのことを考えるとよけいに。

このねこは電源が入ると
センサーでこちらの動きを察知して
こまかくうごく。
にゃーとなき
ごろごろと咽喉をならす。
まぶたもうごく。
眠ったり起き上がったりする。

このねこを撫でているわたしを
息子1が意外そうな顔で見る。
わたしとぬいぐるみの取り合わせが
めずらしいという。

「そう?」
と言ってみる。

このうけこたえは息子1から学んだ。

彼は相手の言葉に賛成はしないけど
自分の意見もはっきり告げたくないときに
「そう?」と質問返しをする。

例えば料理を作って
「ちょっと味が濃かったね」
というと
「そう?」
と答える。

あなたがそうおもうのですね、
しかし、わたしはそうは言ってませんよ
ということを穏便に
相手に感じさせることが出来る言葉だ。

お互いのあいだに波風を立てない
なかなか使い勝手がいい言葉だと感心している。

ちなみに息子2はそんなとき
相手の言葉をオウム返しして
最後に「と」をつけて疑問形にする。

あなたはそう思うんですね、という確認だけで
会話を流していく。

まったくふたりしてうまいもんだが
なんでそういうことを身につけたかと考えてみて
ああ、追い込み囲みこむ母親の説教のせいかもしれん
と反省したりする。

わたしの「ほぼねこ」は
思いがけないときに「にゃー」となき
息子1は「そう?」といい
息子2は「ほぼねこを飼ってる、と」という。

食えんやつらだ。

# サウイウモノニ ワタシハナリタイ 2007 1 18

誰かと話すとき
お互いが引いた線を乗り越えない
心地よきひとでありたい。

ジョークはべらぼうにおもしろくありたい。
毒舌もかなりのものでいい。
わがままでいいかげんでもあっていい。

それでも、ここから先はいけない!
というラインを察するひとでありたい。

常識ではない大人の礼儀のようなもの。
相手をみながら伸び縮みするもの。
物差しでは計れない暗黙のお約束。

年を重ねるとだんだん難しくなることがある。
自分が正しいと思い込む危険がある。
生きた時間が狭める視野もある。

押し付けない。
決め付けない。
あなたはあなた、
わたしはわたし
けっして相手を裁かない。

それがあなたの考えなのね、
といちおう頷く。
間違っていると思うところは、
ふっと知らん顔をしてみせる。


その絶妙な距離感をもった
そういうおとなに
わたしはなりたいのだけれど・・・。

# ながいおつかい。2007 2 1

ああ、ゴミ袋が切れてしまった、と思い
9時過ぎにスーパーまで夜のお散歩を兼ねて
おつかいに行った。
そこは夜中1時まで営業しているから大丈夫なのだ。

坂を下って路地を出たところの魚加工のお店の前に
キンキラしたデコトラが停まっていた。
気がつくと黒いTシャツでニッカボッカ風のパンツをはいたお兄さんが
店の前に置かれていたポリバケツを軽々と持ち上げ
ゲートをあげたままのデコトラの荷台に中身を直に投げ入れた。
すばやい動きで中身はしかとは確認できなかったけれど
いずれ魚加工の途中に発生した余剰のものであるにちがいない。

だとすればそれは生ものであって
それを直に入れたデコトラの荷台は
いったいどんなふうになっているのかすごく気になったが
おにいさんの剃りこみの入った髪形や
首元に光る金のネックレスや夜中にかけるサングラスや
踊る捜査線の木島丈一郎みたいな風貌を見て
深く考えないことにした。

世の中にはきっと裏事情があるのであって
だからこそのこんな時間の回収であって
しかもそのデコトラのナンバーは春日部で
荷台には、ちらと同じようなポリのバケツも見えて
ここだけじゃなくていろいろまわっていて
それはきっとあやしい産業の末端で
ひょっとしたらこれはなにかの肥料になって
あやしい国へ売られるのではないか、なんて
妄想が湧いてきてしまって首をすくめた。

拘わらんほうがいいと思って歩きすすんで
三叉路の角を曲がって短い路地に入ると
トラックが2台停まっていてなんだか作業中らしく
おじさんがオレンジに光る警棒もどきで誘導していた。
よくみると「雨ます清掃中」という幕をつけていた。
おじさんたちは道路わきの鉄のふたをあけてその中に
バキュームを突っ込んでくらがりをのぞきこんでいた。

と、そこへ消防車がサイレンと共に入ってきた。
あたりは点滅する消防車のライトの赤にそまり
緊張感がはしる。
この時間にも火事は起こる。
あるいはレスキューか必要になったりする。
いずれにしろこの空のしたで
そういう事態になってるひとがいる。
ああ、たいへんだ。

そんなこんなで雨ます清掃車は
大慌てで路地のさきの大きな道へ出て
やりすごすことにしたらしい。
かろうじてすれ違った消防車が通りぬける。
「雨ますチーム」がやれやれと思っていると
つづいて春日部デコトラがやってくる。

こちらのライトもそうとう明るい。
デコトラは当然のごとく消防車のあとをついていく。
雨ますくんたちはなおはしっこに寄る。
こんな時間だからいいだろう?と思っている同士が
こころのなかで、おいおい、まじかよと言いながらすれ違う
そんな風景にみえた。

そこを抜け信号わたりスーパーの駐車場の前を通る。
そばの枯れ枝を見上げると何もないはずの枝に
なにかしら丸いものが影になって見える。
ああ、みかんや林檎をぶら下げて
小鳥の訪問を待っているのだ。
駐車場の出口で警棒もどきを持って立っているおじさんたちが
そうしたのだろう。

反対側の植え込みを見ると、観葉植物に花が咲いている。
えっ、なんで?とよくよく見ると造花だった。
それをだれがしたのかはわたしにはわからない。
それでもなんだかしらないけれど、わたしはせつない。

そこから道なりに曲がるとバス停がある。
60代後半に見える女性がベンチに座って
おもむろにファンタグレープをのみ始めた。
なんでファンタグレープなんだろう、と思ってしまう。
通り過ぎたあとなんだか気になって振り返ると
スカートが豹柄だった。
なんだかしらないけれどわたしはますますせつなくなった。

ゴミ袋と息子2の大好物のお茶漬けのりと
グレープフルーツ2個を買った。
グレープフルーツは輪切りにして
先割れスプーンで掬うのではなく
ひとふくろずつ皮を剥く。
これはさかむけのできた指にはけっこうつらいのだけれど
こうすると輪切りのときと味が違うような気がする。

ちょっと悩むことがあって親友の家に相談に行ったとき
彼女がそんなふうにしてひとふくろずつ剥いてくれた。
そのときわたしはものすごくうれしくて
とても大切に扱ってもらっているような思いになれた。
自分だけが特別だと思わせてくれたことに感謝した。
話をきいてもらうこともありがたいのだけれど
このクレープフルーツでわたしは元気になれた。

そんなことを思いながら来た道を戻ると
バスをまつ男性がみな寒そうにポケットに手を突っ込んで
縦震えをしていた。
そのなかに夕べ電車のなかで見た上着をきたひとが立っていて驚いた。
そんなことがあるのかと思うが
なにしろ茶のツィードのキルトのジャケットに
シマのマフラーをぐるぐる巻きにしている後ろ姿が
乗ってるあいだ中目の前にあり
同じ駅でおりて、ふっと顔をみるとロシア系顔立ちで
コサックダンスがうまそうなかんじだったのだから
忘れようがない。
なんだか不思議な気分になる。

なんだか夜は面白いとおもって坂をのぼりはじめると
前をいくおばあさんがしきりとこちらを振り返る。
足音が気になるらしい。
停まってわたしをやり過ごす。
襲われるとでも思ったかな。
わたしにそんな趣味はない。

「おかあさんあけてー」
坂の途中の家の前で
インターフォンに向っていうおんなのこがいた。
「おそいじゃない、鍵はどうしたの?」
「カバンのなかに見当たんない」
「ほんと、ばかねえー、よくさがしなさい」
「だって暗いんだもん。早く開けてよ」
「ほんと、いいかげんにしなさいよねー」
そんな夜もある。

公園に差し掛かる。柳が揺れる。
なじみのホームレスのひとはいない。
あのひとが台車を押してローソンのゴミ箱から
カン・ビンを回収してるのをみたことがある。
いろんなコンビニ回っていっぱい集めて売りに行く。
それがあのひとの稼ぎ。
黒にいろとりどりの水玉のマフラーをしていたっけ。
なかなかおしゃれなんだけど
それもなんだかせつなかったのを思い出す。

そうして自分のマンションの前に立つ。
長いおつかい、ご同行おつかれさま。


# 今日の心配。 2007 2 2

朝、なんでかわからないけれど、
友人のK子さんに電話しなくっちゃと思った。

K子さんは日蓮宗のお寺の奥さんで
PTAの役員で知り合ったひとである。
そうひんぱんに話すわけではないが
ときどき連絡を取り合う。

ケータイに掛けると
「ごぶさたねー」と
いつものゆったり声が返ってきた。
「元気だった?電話したけど留守電で~」
といわれ
「ばたばたしてます」
などと答えていると
なにかのアナウンスが聞こえてきた。

「あ、出先なんだ。どっかいくの?」
駅にいるのかと思ったのでそう聞いた。
「まあね。フランス行くの」
とK子さんはいつもの声で答える。
「えー。フランスってあのフランス?」
間抜けなことを言ってしまう。

「そう。でも行けるかどうかわからないの」
「なんで?どしたの?」
「へへへ、おかしいの、パスポート忘れちゃったの」
「ええー、えらいことじゃん」
「今息子が車でこっちむかってるの」
「って、相模原でしょう?成田まで行くの?」
「そう、間に合うかしらねえ」
「たいへんじゃん。連絡入るんでしょ?切るよ電話」
「あ、でも、ふふ、わたしは今どうしようもないし、まってるだけだし」

まあそれはそうなのだ。
成田で彼女が走っても仕方がない。
そうなったら笑うしかないのかもしれないが
やっぱり笑い事ではないよなあ。
コメディではよく見るシーンだが
本当にあるんだなあと感心したりする。

「ね、ひとりでいくの?」
「末の娘といっしょ」
「絵、見に行くの?」
「さあ、向こうでなにやるか、なにも決めてないの」
「ええー?そうなの?」
「それにいけないかもしれないし」
「ああ、そうかあ、どきどきするね。がんばっていうのもへんだけど・・・気を確かにもってね」
「ありがとう。あなた文章はどうした?」
「あ、書いてるけど・・・」
「あなたは考えが複雑だからいいわねえ。うちはみんな直線だから」
「そうなの?・・・ね、帰ってから話しましょうね。たいへんなときに電話しちゃってごめんなさいね」
「いいのよ。お話できてよかったわ。じゃ」
「気をつけてね・・・」

・・・K子さんは今頃どこの国の空の下にいるのだろう・・・。

# たとえば幸せ 2006 2 6

幸せというのは一瞬のことだと思っている。
不幸との境界線にある際立った一瞬。

たとえば朝、
息子2がそそくさと玄関を出て行く。
そのうしろから、息子1が靴をはきながら
「あ、ゆうちゃん、まってよ」
と声を掛け、その後を追うように出て行く。
「いってらっしゃい」
とふたりのうしろすがたに声をかける。

そんな朝の一瞬を
わたしは幸せだと思う。

# なんか気になること。 2007 2-16

今朝、ものすごくひさしぶりにラジオをつけて
FMなんとかをなんとなく聞いていると、
番組進行をしている女性のかたが
「ひがしくにはらさん」といいました。
うっ、それは「ひがしこくばら」と読むのではありまへんか?
なんて苦笑してしまいました。
で、その番組はなんだか調査っぽいことをやっていて
「うちは捏造はありませんから」とかの女性はいうのでした。

途中から聴いたもので番組の名前もわからないのですが
「今日は『へのへのもへじ』で盛り上がりました」
なんて最後にいうのですね。
そんなものでどう盛り上がるんだろうと思っていたら
「『くめくめひろし』は・・・・みたいな(聞き取れなかった)顔になりますね」
なんていうんです。

その「くめくめひろし」の顔が気になってます。

そのあと新聞を読んでいますと社会面に
「男性の戸籍、長女20年 」
―姉が発見 山形市『申し訳ない』

なんていう見出しのコラムがありました。

出生届を受けて戸籍を作るときに間違えたとしか考えられないとのこと。
でも住民票と旅券は「男」になっているらしいです。

で、訂正されても斜線がひかれるだけで
長女という記載は残るのだそうです。。

まあまあ、なんて無責任なことを・・・
と思いつつ新聞をめくっていくと
第二東京面では
「自分はフミノ それだけ」
―杉山文野さん 性同一性障害と向き合って
という見出しの記事に出会うのでした。

そこでふっと思うのでした。
もし戸籍の性別を間違って登録されたひとが
自分の性別の違和感を感じるひとだったら
そのときはどうなんだろうなあ。
ラッキーというのかなあ。
生きやすいのかしら、生きにくいのかしら。
なんてことも気になるのでした。

そしてなお、めくっていくと
わたしの好きな「アジアの街角」というコラムがあり
今日はパキスタンのカラチで
アーモンドから油をとるために
臼と杵のまわりを歩き続ける油屋のアリフさんが
紹介されてました。
アリフさんは13年間も回り続けてきたのです。

「最初は退屈だったけど、慣れたよ。
純粋な油を提供できてやりがいを感じる」
というアリフさんのコメントも載ってました。

やりがい、というその言葉が捏造だと疑いはしないけれど
そんなことより退屈だったときに
どんなことを考えてたのか
それが気になったりします。

鍋みがきとか単純な作業のくり返しをしていると
ふっと思いがトリップする瞬間があるように思うから
アリフさんもぐるぐる歩き回りながら
きっといろんな思いをめぐらしていたんじゃないかなあと
思うのです。

何年くらいで慣れたのかも知りたいなあ。
それはしずかな諦念のようにも思えるから。

いささか睡眠不足で
目が痒くてお疲れモードで
どこにもいかないで
だらだらと家事をしながらも
なんだか気になることはあるものだなあと・・・。

# 昨日の聞き耳。 2007 2 22

午後、空いた電車に乗っていた。
春の気配のせいか、なんだか眠くてうつらうつらしていた。
もうもう寝ちゃうもんねー、
というときに電車は駅に止まり隣りにひとが座った。

が、やっぱり寝ちゃうもんねーと思っているのに
お隣のひとたちの会話が攻めてきた。

声からすると中年女性ふたり。
ひとりが「おねえさん」と呼ぶので、姉妹だなと思う。

察するにこの姉妹のお母さんが最近亡くなって
互いに慰めあっているふうなのだ。

それにしては声が大きい。
タバコとか酒とかが作った声のようにも感じられた。

「おかあさん、あのとき『子供を三人も育ててきたし』
なんて言ってたわね。呆けてたのかしらねえ」
「『四人よ』って言ってもわからなかったわね」

「さよこねえちゃんのこと、許せなかったのかもしれないわね」
「いないものと思い込んでたのかもね」

「で、おかあさんがおねえちゃんの夢に出てきたんでしょう?」

「そうなのよ。夢の中で、家にいっぱいひと呼んでるのよ。
知らないひとがうじゃうじゃいるの。
なんかの信者さんみたいなのよ」

「あっらー、そのひとたち、なんか言った?」
「おかあさんに呼ばれましたから、
お祈りさせてくださいっていうの」
「へー?、お祈り?」

「そうなのよ。気味悪くてさ。
どういう意味だと思うか、あんたに訊きたかったのよ」

「そうよね~。
知り合いのひとが言うには死んだ人が家に出てくるのは
思いが家に残ってるからだって言ってるけど
おかあさんたらもっと自分のために祈ってくれ
って言ってるのかしらねえ」

「そこがね~、わかんないのよね~」
「そのひとたち、それからどうしたの?」

「だって、困るじゃない
とりあえず帰ってくださいってわたし、言ったの。
それからぞろぞろ帰っていくひとを見送って
ふっと振り返ったら
おかあさんが体操してるの」

「やだー。おかあさんが体操?」

「そうなのよ。わたし、思わず言っちゃったわ。
『おかあさんは心臓が悪いんだから
そんなことしたら、また死んじゃうわよ』って」

「はははは、夢よね~」
「あら、そのときは真剣にそう思ってたのよ」
 
・・・なんだかすっかり目がさめてしまったのだった。

# めんどう 2007 3 2

ものわすれが尋常ではないな、と自覚することがある。

今日も今日とて
風呂の支度をしたかどうかが定かでなくなった。

基本的にはやってるはずなのだが
前に何回かスコンと忘れて
「風呂に入って」なんて言ってしまったことがある。
だからふっと不安になるのだ。

まあ、そんな話を
木曜十時のドラマ「拝啓父上様」を見ながら
CMのときに、息子2に告げた。
どういうわけか、このドラマふたりしてハマっているのだ。

ついでにちょいと脅かしてやろうと思って言ってみた。
「こんな調子だからさ
かあさんきっとおボケになってしまうからさ。
きみ、めんどうみてよね」

すると敵もさるもの(申年でもあるのだが)
「いや、ぼくもいっしょにみんな忘れて
おボケになってしまうから」
などとほざいた。

「ええー、それじゃあ困るじゃん!」
などと笑いあってるところへ
息子1がやってきて
「で、そのふたりのめんどうをぼくがみるのね」
とため息混じりに言い
「ありそうでこわいわ」
と呟きつつ去っていった。

・・・・
と、今、日記には書いているのだが
ここまで書くのにさえ、けっこう苦労があって

息子1が風呂に入りにいってから
わたしと息子2はくだんのドラマに見入り
今日はけっこう泣いたり笑ったり展開があって
けっこうハラハラしながら見終って

あ、さっきのことを日記に書こうと思って
つらつらと思い返してみるのだけれど
細部のことばが思い出せない。

「ね、おにいちゃんは最後になんて言ったんだっけ?」
「わすれたの?」
「そう、こんなに忘れてしまうから
かあさん、やっぱりおボケになってしまうから
君がしっかりして、めんどうみてね」
「だいじょうぶ、ぼくもおボケになるから」
そこでまたふたりして笑ってしまう。

「で、おにいちゃん、なんていったんだっけ?」
「日記なら、あることないこと面白く書けばいいじゃん」
「あることないことって・・・」
「けっこう面白いよ」
「どんなのが?」
「ばさまといっしょ、とか」
「ははは、あることないこと、ねえ」
「ははは」

そこへ風呂から上がった息子1がやってきて
「ありそうでこわいっていったんだよ。
むろんジョークだけどね」
と真面目そうな顔つきで言ったのだった。

#思い立って 2006 3 6

ウグイス餅を作ることにした。
白玉粉と漉し餡は常備してある。
ウグイス粉がないのできな粉で代用した。

白玉粉80グラムに水145グラム(ccではなくグラム)を入れて
ラップして1分30秒電子レンジで加熱。

それに砂糖80グラムを分けて入れて
ぐいんぐいんと艶がでるまで練る。
昔の駄菓子にそんなのがあったが・・・。

艶がでたらまたラップして1分30秒加熱。
また練ってひとまとめにして
きな粉を薄く敷いたさらに取る。

150グラムの漉し餡を10等分して丸めたものを
その求肥で包む。

と、和菓子教室で教わった。

何度か作ったこともある。
好評を得たことさえある。

しかし作るのはひさしぶりだ。

で、まあ、こんなアバウトなわたしが
きちんとキッチンスケールで計って
指示通りの手順でことを進めたというのに

なのに、なのに、
なんで・・・
その求肥がスライムになる?
やわらかすぎる・・・。

どこかで分量がうまく計れてなかったのだろう・・・。

それにしても、これはまずい事態だ。
スライムになった熱い求肥を
その手で扱ったことがあるかたがおられるだろうか。
これこそ「手に負えない」代物である。

しかしここまできて
このスライムのまま放置しておくわけにもいかず
丸めた餡を包むことにした。

想像してみてほしい。
柔かくてべとべとしてつかみどころのないものを
手に取るところを。
触れたとたんにべっとりとくっつく。

それをだましだまし餡にからませる。
からませたはいいか、皿に置けない。
手から離れない。

まあこんな至難の業があるだろうか。
手を使うことはあきらめた。
きな粉をまぶしたスプーンで掬って
そのなかに餡を埋め込んで
疫病神を追い払うような形相で皿に放した。

と、その求肥は己が身体を
持ちこたえられたかった巨神兵のように
餡の上でだらりと身を持ち崩した。

ああ、なんとしどけないウグイス餅であったことか。
写真に撮っておけばよかったなあ。

それでも、それはみな家族のおなかに納まった。
まあ、そういう家族である。
わたしが作ったことに意義があると
おもってくれるひとたちでもある。

そこで、息子2にどうだった?と聞くと
「手がべたべた」とだけ答えた。
「スライムだもんね」と言うと
なにも答えず煎餅に手を伸ばした。

はーとため息つきつつお茶をのみ
湯のみを置く自分の指に
なにか異物がくっついていた。

・・・スライムだった。



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