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文の文

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作家が語る街と本屋さんの愉しみ

susuki







光文社創立60周年記念トークセッション
「私の好きな街、私の好きな本屋さん」

~作家が語る街と本屋さんの愉しみ~

日時 11月22日(火) 午後2時開演
場所 よみうりホール (千代田区有楽町)

第1部 講演
「本と書店について作家が考えていること」
/大沢在昌さん(作家)


第2部 トークショー
「街と本屋さんの魅力をお話ししましょう」
/大沢在昌さんvs.角田光代さん(作家)


に、行ってきた。

友人みどりさんが申し込んだのを譲ってもらった。別にせがんだわけではないが、彼女の意向でそういうことになった。ありがたい。

大沢さんは出てきて「さあ、なにを話しましょうか、なにも考えてきていない」と言った。しかし、そのしゃべりのうまいこと。声もいいし、話のバランスもいい。

大沢さんはこれまでに66冊の本を出していて、その29冊目が「新宿鮫」だ。その29冊目にして始めて重版がかかったのだそうだ。28冊はかからなかったので、「永久初版本作家」といわれていたという。

それを伊集院静氏は「A級」聞き違え、「そりゃあいいな」と言った。競輪をするひとの発想らしい。いやそうではなく、と大沢さんが説明すると伊集院氏は「重版しない本なんてあるの?」と聞いたそうだ。大沢さんは殺意を覚えた、と笑って言った。

そのころ大沢氏の本が本屋になくて探したことがあるそうだ。作者が自分の本のことを聞くのはとてもはずかしいのだけれど、本を書いて出来上がるまでは作品であっても出来上がったら商品なのだから、その売れ方を確かめなければならない。で、店員に聞くと、赤川次郎の本を目立たせるためにその下におかれ、台になっていたりするのだった。売れない作家は惨めだ。

同期の冒険ハードボイルド作家である北方謙三氏や船戸与一さんが売れはじめて大沢さんは取り残されたような思いになりグレたのだそうだ。そこで「気楽に書けて自分が楽しいもの。頭を使わなくてもいいもの。キャリアのオチこぼれ」を書いてみた。それが「新宿鮫」だった。

それが売れた。重版がかかった。そこまで11年かかっていた。それまでの本と何か違うのだろうか。それは口コミだ。本屋で「それおもしろいよ」と誰かがいう。「じゃ買って見る」となる。それを横で見てたひともおもしろいのかと買ってみる。そんな原始的なコミュニケーション、情報のやりとりからベストセラーは生まれる。読者の声は大きい。

昔は本屋を歩くと本の方が「おもしろいよ」と電波みたいな信号を送っていたように思う。そう感じたひとも多いだろう。しかし、今は本が多すぎて、なにを読めばいいのか、どれを買えばいいのか、わからない。

本屋さんへ提案が二つある。
1、本が多すぎはしないか。あまりの多さに客が本屋で立ちすくんでいる。
2、一人の作家の本が出版社べつにばらばらになっている。これではユーザーフレンドリーではない。こんなことではブックオフに負けてしまう。

消費者サービスが必要だ。本屋は旧態依然のところがある。
作家もふんぞり返っている時代ではない。商品としての作品の魅力を考え、あたらしい動きを展開していかなければならない。

ノンフィクションの新書はその帯で効能がわかるが、小説は効能書きがなくて、読み終わってからでないと効能がわからない。自分が手にとって読んで見なければ自分の求めているものかどうかはわからない。

そういう意味でこの氾濫は健全ではない。本の出しすぎでおなかがいっぱいになる。もっと本を絞るべきだ。

本屋は安心感を覚える居場所だ。生活のよりどころであり、旅先の安心だ。本屋があることで町の空気がかわる。そういうところであるべきだ。

世の中は変化していく突然ぐるっと歯車がまわる。ガンと変わる。それに出版界も対応していかなければならない。なにをしていくべきなのか考えなければならない。・・・というような大沢さんのお話だった。

二部で角田さんが現れる。いまどきのボヘミアンっぽいスタイル。ブーツも履いて。

それでも角田さんの声や言葉の運び方はどこか今の時代から外れて時を遡る感じがする。おっとりと初々しくしかしゆるぎなくしなやかな言葉。

大沢さんと角田さんは誕生日が同じだ、3月8日だ。3月8日うまれの直木賞作家は四人いるのだそうだ。水上勉さんともうひとりむかしのひと。それに水木しげるさんも3月8日らしい。

角田さんはアジアをよく旅した。その国々で本屋へ行った。タイには紀伊国屋があった。古本屋もよく行った。ミャンマーのパガというところではホームレスタウンがあり、そこには床屋があり茶屋があり、本屋があった。本は薄汚れていたが子供たちが熱心に読んでいた。

角田さん自身も横浜駅近くの学校へ通って、日課のように有燐堂に寄っていた。

自分のお金で本を買うことは社会的行為のはじまりだと思うという大沢さんがはじめて買ったのは「0011ナポレオン・ソロ」のノベライズ本だった。つまらなかった。そのあとも007やエラリークィーンのシリーズを買った。

大沢さんは中高一貫の学生時代図書館で千冊の本を読んだ。図書館のひとに大学合格の報告をすると、よく受かったわねといわれた。

男子校で別学だろ異性にヘンな夢をみる。・・・若いときは悪役は書けても蛇蝎のことくいやな悪人をかけなかった。結婚したら嫌な悪いやつをかけるようになった。

角田さんは90年に23歳でデビューしたが、若いことがマイナスだった。馬鹿だ。無知だといわれた。圧倒的に知識がすくなくてへこんだ。何も知らないという意識が今も強いという。

それにたいして大沢さんは読んでいると書けないよという。宮部みゆきが小説講座に通っているとき、エンターテイメントのおもしろい小説を書いたら、その講座に通うおやじに「あなたは女の悩みを書きなさい」と言われたことがある。

小説は自分でゼロから作り出すものであり、生きた時間から生まれるオリジナルなものがすごいであって、つたなくてもこのひとにしか書けないことでないと光るものは見出せない。

大沢さんは中学3年生のとき生島治郎さんにファンレターを出した。日本のハードボイルド小説は一人称で書くのがいいのか三人称がいいのか、日本で
探偵は可能かと質問した。生島さんはそれに返事をくれた。後生大事にもってのちのそれを本人に披露した。生島さんも大沢さんの手紙を持ち出し交換しようといったが、生島さんのほうが早くしぬからこっちのほうが値打ちがでる、と断った。

大沢さんのところには「斧の小町」なんてひとからへんなファンレターが来たりするが角田さんのところは来ない。しかし角田さん自身は旅先から絵葉書を書いたり、付き合っていたひとへの最後の手紙、相手の悪いところなど書き出したものをきれいに清書してだしたりする。角田さんは怒りが持続するタイプなのだ。相手は角田さんの手紙をみると、ああ終わりだと思う。

大沢さんはパソコンも携帯も持っていない。原稿も手書きだ。シャーペンで書き消しゴムで消す。苦渋は原稿の汚れになって残る。伊集院氏や北方氏も手書き派だが、入稿に手間がかかるので、売れなくなると注文が来なくなるぞと言いあっている。

おなじ事務所の宮部みゆきが大沢さんに「大丈夫よ、わたしがオペレーターになって売ってあげるから」というが「日本一自給の高い作家にたのみたくなんかありません」と断っている。



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