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文の文

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補 (3)



<わたしの病気をめぐるこれまでのおはなし・2>

宣 言 

カルチャーのラウンジで昼食のサンドイッチを食べようとおもった。
大きな丸テーブルの空いている席に腰を下ろした。
隣には自家製のお弁当をひろげているおばさんがいた。

くすんだ黄色のサマーセーターが目の端にあった。
一瞬の印象だが、小太りで、そう垢抜けてはおらず、
いかにも世話好きという感じがした。

おばさんは待ちきれない様子で、なんの前置きもなく
「あらあ、どうしたの、そのほっぺ!」
と、さも心配をしているという顔をして問いかけてきた。

 それまで当たり前に耳に届いていたざわめきが、
しらないうちに遠のいている。

そう問われることはなにもはじめてのことではない。
私の左頬には肌色のテーピングテープが張ってある。
目立たないといったら嘘だ。
初めて見た人にはさぞかし気にかかることなのだろう。

 それでもこの唐突さには戸惑う。
 深く息を吸う。
そして、まっすぐおばさんに向き合い
「悪性の腫瘍が出来まして、顎の骨を取っております」
と、穏やかな表情をして、静かに答える。
ただし、すこしばかり目に力をこめる。

 おばさんが息をのむのがわかってしまう。
こんな時、いつも、痛む歯をわざと強く噛み締めているような気分がする。

 おばさんからはなんの言葉も返ってこない。
 なにか言いたげで、それでも言葉を選べずにいるおばさんの視線を、
痛いほど頬に感じながらサンドイッチを口に運ぶ。
なんだか味がしない。
 
おばさんの箸が弁当箱のヘリに当る音がした。
その硬い音は私にはせわしなく聞こえた。

 「あら~、たいいへんね」とか「大丈夫?」とか声をかけ、
たがいの苦労話のやりとりでも始めるつもりだったのだろう。
決して意地悪をするつもりなどなく
これまでの人生で、どんな憂さも心配事も
誰かに話すことで晴れると信じてきた人なのかもしれない。
 
ところが、今日は、何の気なしに投げた石の波紋が
予想外に大きくなって戻ってきたから、
どうしていいのかわからなくなっているのだろう。
 
 おばさんの沈黙は今の私のどうしようもない立場を告げている。
問われたことよりも、この沈黙のほうが私には堪える。
 
 時として善意の中から飛んでくる矢をよけそこなう。
矢は思いがけず深く刺さる。
そうか、やはり私は普通じゃないんだなと思い知らされる。

 それでもだんだんと心の中で中指がたちあがってくるのがわかる。
ほめられることではないが「かかってきなさいよ」とでもいうような気分になる。

私はひがまない。
おろおろと傷ついた顔など金輪際見せない。  
こんなところでへこたれてなんかいられないのだ。
 
 「どこのどなたに、なんと言われて、なんと思われても、
この背筋をまっすぐ伸ばして、とことんまっとうに生きてみせますからね」

そそくさと弁当箱をしまうおばさんの
ふっくらとしてやわらかそうな「ほっぺ」を眺めながら
こっそりとそう宣言した。

**********

たからもの

 私の片頬を「天使のえくぼ」と言ってくれた人がいる。
その呼び名は私のたからもの。

**********

Vサイン 

 姑の付き添いではじめて行った医院の女医さんが、
私のテーピングを見てかるく訊ねた。

「どうなさいました?」
 少し鼻にかかったような柔かい声だった。

「MFHで顎の関節をとりました」
といつものひとくだりを説明する。いいながら相手の表情を窺う。

いつも笑っているような柔和な目が一瞬おおきく見開くのがわかった。
私は相手を困らせないような言い方を考え、笑顔でフォローする。

話の途中から、相手はお医者さんの顔というより、
どこか「よき隣人」とでもいいたくなるような顔になる。

「まあ、知らずに聞いてしまってごめんなさいね。
もうどのくらいになりますか」
「もうすぐまる七年です」

そう答えると、みるみる笑顔になって、
ためていた息を吐き出すようにして
「それじゃあ、これね」と言い、右手でVサインを出した。
そして、私の顔のバランスが崩れていないこと、
発音が不明瞭でないこと喜んでくれた。

そして続く「慣れるまで、食べるのも大変だったでしょうし、
その若さでは視線がつらかったでしょ」という言葉にはまいってしまった。
 
七年という時間が流れたから、
この境遇との共存に慣れてきたし、気持ちの余裕が出来てきた。
そのことでは、もう泣かなくなったぞと思っていた。
それでもそんなあったかい言葉にはやはりへなへなとなってしまう。
 
ただ顎の骨を取ったと言っただけで
そんなところまでむこうから気遣ってもらったことは、
これまでなかった。胸がつまった。

「たいへんね」とか「かわいそうに」とかではない具体的なその言葉が、
こんなふうに自分の思いを溶かし軽くするのかと思った。
 
発音といえば、下唇の左三分の一は、
歯医者さんでうった麻酔が永遠に効いているみたいに感覚がない。
舌の付け根も自由にはならない。
だから、早口言葉になるとちょっといけない。
 
顔のバランスが福笑いのようにてんでに崩れる不安は今もないわけではない。
でも顔にはいっぱい筋肉があって、その筋肉を鍛えればいいのだと思っている。

だから私は笑う。最初はどこか一生懸命笑っていた。
そうやって免疫もあげるのだと思っていた。
最近は世の中は眺め方ひとつでめちゃくちゃおもしろいところなのだと思ってきている。
 
はじめて会ったその女医さんが七年分のご褒美をくれた。
かのじょの右手のVサインをありがたく頂戴した。


**********

聞く

 メンタルケア・精神対話士という講座に通ったことがある。
 さまざまなPTSD、末期がんや老人性痴呆、ストレス性の疾患など
精神的な問題を抱えた人々のメンタルケアについて教わった。
 
講義は人間のこころのありようを、様々な角度から見てのアプローチだった。

そこで教わったのは、端的に言えば、「話を聞く」ということだった。
心の中にわだかまっているものを吐き出すことのお手伝いなのだが
決して、自分から何かを促すことはしない。
 
カウンセラーと違って、何かを解決しようとする道筋はつけない。
クライアントが話やすい状況を作るだけだ。
相手を認め、自分を認めてもらって、十分な時間をかけて信頼関係を作る。

相手が話すことをただ聞き、相槌を打つ。
その相槌を打つためにたくさんの知識が必要なのだ。
相手の置かれている状況を理解した上の頷きである。
 
八年前、みどりさんと一緒に学んだ。
最終レポートを出した直後、私に腫瘍が見つかった。
みどりさんは私の精神対話士になってくれた。
 
その六年後みどりさんが乳がんを病んだ。
私はみどりさんがしてくれたことと同じ事をした。

 私たちふたりは、「聞く」ことの意味深さ、
大切さを互いの痛みを通して、こころに刻んできた。

それは、自分を含めた人間の弱さ、不完全さを
いとおしみ抱きしめる作業だと思っている。

**********

思いは巡る


 かつて、年上の友人は「人生に無駄な体験はないのよ」と言った。
そして、その時はわからなくても、
後からその体験が役に立つことがあるから、と続けた。
 
私は自分が片頬になった時
この体験が役に立つ日など金輪際くるものか!と思っていた。

しかし、親友がガンになって
「あなたならわかってくれるでしょう?」と言った時、
悲しいけれど、こんなにつらいことでも誰かの役にたつこともあるのだと思った。
 
マイナスはマイナスのまま終わらない。形を変えてプラスに働く。
ただ、時間がかかる。そして、ひとりでは無理だ。
 
きっと、安心して飛びこめる腕のなかで心は開くだろう。
閉じた心は怯え、ひたすら自分を守るために鎧うことを私自身が体験した。

プラスへの一歩は、
支えてくれるひとに、安心して寄りかかることから、
ゆっくりと踏み出すのだと確信する。




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