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文の文

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チラシ配りの日々・2
          
九月二十三日午後二時からチラシを配りはじめた。道なりに何軒かの郵便受けに入れていって立ち止まる。一軒家に見える小さなアパート。ここは入れてはいけない。
 チラシ配り、一戸建ては一枚五円だが、集合住宅だと一枚二円だ。地図を見てみると、マンションが立ち並ぶエリアにはポツンポツンとしか一軒家がない。わたしはその家にも入れに行くわけだから、少々効率が悪い。
 配っていると、家の建て方もいろいろあると気づく。郵便受けがなかなか見つからないお宅もあって、まごまごする。
植木の陰に隠れていたり、背伸びしないと届かないようなところにあったりする。もともとは赤かったのだろうけれど、錆び色に変わってしまっているものもある。家の古さと比例して郵便受けも古くなっている。それはそこに住むひとと世の中との関わりあいの象徴のようにも見えてくる。時を経て、打ち棄てられた郵便受けの前で、訳もなく胸がいたくなったりする。
 新築の建売住宅には同じ郵便受けが並ぶ。家族全員の名前が並ぶ。これから始まっていくのだという予感の新しい郵便受けだ。
 がっちりとした大きな郵便受けにはすんなり入るが、細長い郵便受けには半分に折らないと入らない。新聞や郵便物でふさがっているときもぐいぐいと押し込む。
 入れ口を押す感触もいろいろある。重いと片方の手で押さえつけて入れる。雨ざらしで手が汚れたりする。
 アメリカ風のかまぼこ型の郵便受けは入れ口を開かなければならない。それを開けるのに抵抗があった。その家の郵便物を覗き見するような感じがいやだなと思った。山崎さんに聞くと「いいんです」という答えだった。
 門に郵便受けがなくて、閉まった門扉のなかにある家に入るのも気がひけた。無断で門扉を開けてその敷地内に入ってチラシを入れてもいいのかなあと山崎さんに聞くと、「いいんです」という答えだった。
 それで、門扉をあけるときは「失礼いたします、チラシ配りです。失礼しました」と唱えることにした。誰も聞いてないのにヘンかなと思うが、わたしはこれで落ち着く。卑屈になっているかなと苦笑したりもする。正直なところそれもあるかもしれない。迷惑かけてなければいいがという思いがどうしても消えない。
 山崎さんは「空き家にも入れてください。売りたいはずですから。二世帯住宅で二つ郵便受けがあったら両方に入れてください。喧嘩して売りにだすことがあるかもしれませんから」と言った。
家にはそういうどろどろとしたドラマが絡むのだなと思いつつ配り続ける。すると、「配達ごくろうさま」というシールが張ってある郵便受けに出会う。一五〇枚配って、三軒ほどそういうお宅があった。郵便屋さんや新聞配達のひとへのねぎらいだろうけれど、わたしの目にも飛び込んでくる。そのわずかな文字には思いがけない力があるのだと知る。
「青少年に有害なチラシおことわり」と書いてある郵便受けがある。ああ、そうだ。チラシという語感のなかにはそういうイメージもある。相手の都合などおかまいなしに無遠慮に舞い込んでくる毒素のようなものだ。
 わたしが配るのはそういうものではないがそれでも「広告チラシお断り」とチラシの紙の裏にマジックで手書きされた貼り紙に出くわすと、このお宅にとってはいやなものなのだと思いしらされる。
 犬にも吠えられる。ドキンとする。お前は誰だ誰なんだと問うように執拗に吠える。小型犬ほどよく吠える。犬は決して嫌いではないが、どうも具合が悪い。「あやしいものじゃないってば」と言って通じる相手じゃない。さっさと通り過ぎるしかない。
 ちょっと高台の一軒屋があり十段ほどの石段を上がって入れに行く。郵便受けに手を伸ばしかけたところで、後ろから「なにか?」と声をかけられた。これまたドキンとする。あやしいものではありません、という言葉を飲み込んで、「失礼いたします。チラシを配ってます。よろしければ」と差し出す。しっかりしたおばさんなのだろう、こちらを値踏みしているのがわかる。チラシを一瞥して「あ、いらない」と突っ返してきた。「失礼しました」と言い背中に視線を感じながら階段を下りた。
 散歩中のアフガン犬を並びながらチラシを配ったこともある。毛足も足も顔も長い優美な犬がゆったりゆったり歩く。手入れがいく届いていないのか、ぷんとけもの臭がする。煙草を吸い過ぎたような声の中年女性がリードをひいている。 
「もういいの? 気がすんだ? 帰るわよ」と突き放すような口調で言い、自宅らしい家のドアを空けた。
そこも一軒家なのでチラシを入れる。
「あのチラシなんですが」
「あ、いらない。もったいないから持ってって」と低音の割れた声で言われる。
「失礼しました」
 なんだか失礼ばっかりしている気分だ。  
通り道に電気工事のひとがいた。大きな重機を避けながらチラシを配る。路地を行き来するから何度も出くわす。その度にちらちらと見られているような感じがする。
 深い路地の先の先までいってまた舞い戻ってきたら、そのひとたちがお弁当を開いていた。地べたに腰を下ろして、黙々と食べている。それがちょうど郵便受けの前だ。また目があってしまう。困ったなあと思いながら「失礼します」とその後ろに回る。
 がっしりとした体躯の実直そうなひとの大きなお弁当には、ぎっしりとご飯が詰まっているように見えた。ご飯をほおばった顎が大きく動いていた。もう昼時なのだ、ああ、お腹空いたと切実に思う。
 路地の先から別の道を行くと、だんだん自分がいまどこにいるのかわからなくなってしまう。地図を取り出して斜めにしたりさかさまにしたりして、来た道を探す。
 と、そのとき、油断したのか、手にしていた四十枚ほどのチラシを落っことしてしまう。
 おっと、と慌てる。一枚五円が四十枚だ。かがんで拾おうとすると風が吹いてふわりと飛ぶ。待て待てと追いかける。
 晴れた日でよかった。雨の日に配ってこんなふうに落として濡らしてしまったらどうしたらいいのだろう。考えるとドキドキする。
 ドキドキしなくなり、うつむくことも天を仰ぐこともなくなって、当たり前の顔でこの道を歩くようになるまでには、まだまだ時間が必要なようだ。
  


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