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文の文

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3・高橋源一郎さん

有楽町で逢いました・3

高橋源一郎さん

まことに失礼なことながらこのかたを見るたびに
「そらまめに似ている」と思ってしまう。

そらまめ、私自身はすこぶる好物なのである。
茹でてみれば窮屈な皮のなかはホクホクと
まことに心安らかなるあじわいではないかとひとり思っている。

その類似は高橋氏の顔の輪郭からの連想なのだが
このかたもけっこう分厚い皮を
身に着けておられるような気もする。
シャイなおかたである。
一筋縄ではいかない感じといえなくもないが。

私は1999年にもこの「夏の文学学校」に参加した。
その時も高橋氏は演壇に立たれた。
立たれたのであるが、遅刻をされた。
あとにもさきにも、遅れたのは高橋氏だけだった。
真面目で小心そうな係りの方がやきもきしていた。
離婚をされたころだったのかもしれない。
氏の出番はプログラムの最終講義だったのだが
「太宰治」について語られたお話のことなどちっとも覚えていないのに
その時おずおずと出てこられた氏が着ていた
黄緑色のチェックのシャツの皺が
どういうわけが記憶に残っている。

今回のテーマは「『歩く人』漱石」だった。
明るい表情で、落ち着いた足取りであらわれた氏は
紺のブレザーをお召しで、なんだかほっとする。

高橋氏はずいぶん負けが込んでいるという
競馬のお話のあと
こんな発見をしたんですよ、とにんまりして言った。
「作家は読者の見失ってしまったわたくし、
失われたアイデンティティを読者になりかわって
一生懸命に探す私立探偵である」と。

都市生活を送る労働者たちがその余暇の自由な時間に
自分を再発見しようとする。
そこで漱石と読者が遭遇するのだ。
作家漱石は私立探偵となり東京の街にでて、
そんななくしものを捜し求めて歩き続けるのだ、と。

田舎で目的もなくぶらぶら歩いていたら、不審者であるが
都会ではひとびとはぶらぶら歩きながら考えるのだ。
深い深いことを考えるのだ。
自分はどこからきてどこへいくのかと問いながら歩くのだ。
だから、ここからあそこまで、などと答えてはいけない。
もっともっと遠い遠いところを見つめて歩いていくのだ。

ちょっと歩幅を大きくしたかえりみちでありました。

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