ぶらり旅1204B(岡山)R
甥の教会での結婚式とホテルでの披露宴は予定通りめでたく終了。その日は「ホテルグランヴィア 岡山」に宿泊しました。翌日の朝食時に同じホテルに泊まった名古屋に住む妹夫婦と合流折角なので午前中は岡山後楽園を一緒に散策することにしました。8:40 駅前から市電が走る「桃太郎大通り」を旭川中州にある後楽園に向けて歩きだしました。通りには桃太郎、猿、犬、雉の像があり柵は鬼の金棒の形をした支柱にチェーンが張られています。途中小川に沿った西川緑道公園には噴水と母子像を見かけました。柳川交差点で歩行者は半地下道を歩き、そこには噴水が造られていました。9:14 女性裸像のある石山公園に到着、そこから岡山城を撮影、月見橋に向かいました。黒い下見板張りの岡山城は外観から別名「烏城」と呼ばれ1597年、豊臣秀吉の五大老に列した宇喜多秀家により築城、その後、秀家は関ヶ原合戦に敗れて八丈島に流罪されました。岡山城の藩主は小早川秀秋から池田忠継へと移り変わりました。忠継の子忠雄は徳川家康の外孫だったこともあり、厚遇を受け岡山城整備の総仕上げを実施したと言われています。1945年、米空軍による岡山大空襲により、天守閣は全焼1964年に現在の岡山城再建に着手、2年後竣工しました。今回は岡山城の中に入るのは止め、後楽園に向かいました。9:23 旭川に架かる月見橋を渡り川沿いに小径を歩きました。9:30 県立博物館前の「後楽園」正門に到着しました。名称はは城の背後にあることから「御後園」または「後園」と呼ばれていたのが「先憂後楽」の精神に基づいて造られていることから1871年に後楽園と改められました。後楽園は水戸偕楽園、金沢兼六園と並ぶ日本3名園の1つで面積は13.3ha(4万坪)の広さを誇ります。岡山城は池田綱政が岡山郡代官に命じて造らせたもので、1687年に着工し14年の歳月をかけ1700年に完成しました。中に入ると二人の少女像と鶴舎(タンチョウ)がありました。タンチョウは目の細かい柵の中で写真は撮りませんでした。そして岡山城をバックとする野芝の植わった小径を散策、「砂利島」のある「沢の池」が見え、奥に桜が咲いていました。9:51 藩主が居間として使った後楽園の中心的な建物「延養亭」前に到着、水路を取り入れた庭園がありました。「花葉の池」沿いに歩くと枝垂れ桜が見事に咲いていました。 「花葉の池」にある「栄唱橋」を渡ると「大立石」があります。この石は白っぽい巨大な花崗岩を90数個に割って運び、もとの姿に組み上げたもので、存在感のある庭石でした。再び「延養亭」前に戻り、曲水の見える小径を歩き10:09 階段を登り園内を見渡せる築山「唯心山」(6m)に到着途中「沢の池」に浮かぶ「中の島」、「御野島」が見えました。 「唯心山」を反対側に下りると亭舎の中央に水路を通した「流店」があり、こちらから見る庭園も風情がありました。10:20 桜林に到着、花嫁さんが桜をバックに写真を撮影、隣には錦織りなす紅葉が絶景の「千入の森」がありました。「沢の池」沿いに歩くと岡山城が池越しに見えました。生け垣の展望台のある「唯心山」には人がいて手前の「沢の池」に浮かぶ「御野島」には釣殿があり「中の島」の茶屋から渡り板で行けるようになっています。何とも贅沢で羨ましい大名庭園だと思いました。10:34 「五十三次腰掛茶屋」に到着、和服姿の新婚カップルがこの場所で記念撮影をしていました。10:48 水車の回る水路に沿う小径を歩き、正門脇に到着、近くにあった茶屋で抹茶とお菓子のセットをいただきました。園を出て、桜が終わりかけの小径を歩き月見橋を渡り11:15 石山公園に到着、裸の母子像がありました。帰りは「桃太郎大通り」の行きとは反対側の歩道を歩きました。西川緑道公園には裸ん坊の桃太郎と鬼の金棒の柵がありました。11:55 岡山駅に到着、妹夫婦とここで別れ、新幹線に乗る前駅のレストランでさぬきうどんをいただき新大阪で乗り継いで、小田原経由で帰途につきました。