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カテゴリ:雑記
「空海の風景」は司馬遼太郎氏の名著で、20世紀最高の小説といわれた「坂の上の雲」や、支配者階級である武士が起こした奇跡的な革命と欧米から評価が高い坂本竜馬を描いた「竜馬がゆく」に勝るとも劣らないだろう。
![]() 空海の年表や、生前に弟子が空海の言葉を書き綴った「御遺告」(ごゆいごう)から見ても、その行動範囲は南近畿、生家がある四国、遣唐使の往復で滞在した九州が中心で、広く捉えたとしても西日本が行動範囲であるにも関わらず、全国に5000以上の空海伝説が存在するとのことだ。 ことわざで「弘法も(にも)筆の誤り」というのがあるが、日本3筆が決まる原因となった御所の門にかかる額に書を書いたときのもの(嵯峨天皇、橘逸勢と空海が書いた)で、嵯峨天皇からの勅命で大内裏応天門の字を書いたときに、応の字の上の点を書き忘れて筆を投げて直したという話があるが史実ではない。 また「弘法筆を選ばず」というのもあるが、弘法大師は書体によって筆を使い分けており、嵯峨天皇にも自ら調製した筆数種を贈ったこともあるそうだから・・・・ 「弘法は筆を誤らず、しかも選ぶ!」というのが真相なのだ。 そんな空海が長く滞在したお寺が、アブラタラバが何度か紹介した大阪南部の和泉市にある槇尾山寺(現在は槇尾山施福寺)だ。 ![]() (槇尾山施福寺) 隣が河内長野市で、登山では何度も紹介しているが、ここには天野山金剛寺というお寺があり、空海が若い頃に修行したとされていて、女性も参拝可能だったことから女人高野とも呼ばれているのだ。 高野街道という言わば大阪から高野山への表参道とは別に、槇尾山から山越えで町石道に至る道もあるし、高野山はこの修行時代に実際には訪れたという説もあるが、この和泉山脈周辺は全体が空海ゆかりの地でもあるのだ。 空海については真言宗の開祖として、日本で初めて開かれた私学として綜芸種智院の開講、日本3筆として知られているが、実際には満濃池の改修で設計した現在でもダム建設に使われるアーチ型の工法や、難破した遣唐使船を救った当時の中国人でさえできない巧みな上奏文、高弟を差し置いて入門さえすることなく仏教史上でも唯一の大日経系と金剛頂経系の二つの系統の正式な後継者とした心理学的行動と仏教知識など、奇跡としか思えないほどだ。 日本でも天皇から大師の称号を受けた僧は多いが、お大師さんと言えば空海(弘法大師)と考えるのが普通だ。 お遍路に見られるように現代でも真言宗徒でなくても、空海にあやかる習慣があったりして後世への影響も大きい。 もちろん四国だけでなく、ゆかりの地である大阪南部にも空海の影響が見られるのだ。 ![]() 食堂くうかい?なら完璧なんだが・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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