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ロスで唯一全クラス個人レッスン制のBYB!

ロスで唯一全クラス個人レッスン制のBYB!

ステキな出会いと大切な家族そして仕事

素敵な出会いと大切な家族。
そして仕事があったから頑張れた。

「BYBイングリッシュセンター」
YOKOさん
yokobyb

いまや日系媒体での連載や多くの口コミによって南カリフォルニア地区の「英語学校」といえば名があがるほど有名な「BYB」とそのオーナーYOKOさん。英国留学を経て渡米後20年、国際結婚、出産、バイリンガル教育、起業、ビジネスなど自分の体験から、教室で相談を受ける生徒さんたちの経験、出会ってきた多くの人の話まで、日本人としてアメリカで生きていく上で起こりうることはほとんど全て直接的か間接的に見てきたという。いつも笑顔でエネルギッシュなYOKOさんも、驚くことに10代の頃は無口で人の影に隠れているタイプだったという。今や多くの人から頼られるその魅力の秘密はこの20年間に隠されているのだ。

★きっかけは父?
口数は少ないけれど昔から英語は好きだった。新しい世界を見たい気持ちと父の何となくのすすめもあって、17歳でイギリスへ短期留学。今思えばひと月で100万円という高額留学だったが受けた衝撃はそれ以上だった。クラスで自分の意見を聞かれても「親が・・・」と答えてしまう自分、「自分の意見を」と求められても伝えられない英語力。「これではいけない!」長期留学を決意した。その際、父とした3つの約束は今思えば、親の道しるべだった。1. 毎日欠かさず手紙を書く。(英語を学んでいるというのに、母国語である日本語の間違いをぎっしり赤ペンで直され返送されてくる日々・・・) 2. 2年間は休暇にも帰らない。(淋しいとは言っていられない) 3. きっちり5年で一旦帰国する。(帰りたくなかったけれどケジメとして) そのまま英国にステイしたいところをぐっと我慢して約束通り帰国したことで、今の主人である彼と日本で出会うことができたのも不思議な運命だ。

★国際結婚の凸凹。
日本で英語を教えている時に彼と会い、結婚&渡米。先が予想できない生活に冒険を感じ飛び込んだが、楽しいのは結婚したばかりの頃だけで、妊娠中や子育て初期の段階ではぶつかってばかり。2人で暮らすだけでも違うカルチャーに苦しむのはもちろん、子育てのこととなると急に国根性が出てくるものだ。お互いがそれぞれの国のスタイルで子育てをしたいと主張し始める。それでも違う文化と環境で育ったもの同士は決して交わることはない、平行線でもそれが限りなくひとつになるように近づけていけばいい、と思えるようになってからは2人とも柔軟になった。国際結婚で一番大切なことはお互いを尊重し、決して束縛、侵入してはいけない線を守ること。自分の時間を大切にしつつ毎晩同じ家に帰る、それが素敵な関係だと思う。

★本当のバイリンガル教育とは?
アメリカで出産、子育てをする際のトピックである「本当のバイリンガルに育てる」ということ。いろいろな悩みがある。「4歳まではアメリカで英語ばかりの生活で、帰国後、日本の小学校に入学したら完全に英語を忘れてしまう」「英語は話せる、聞けるけれどしっかりしたライティングができない」「日本語は話せるけれど敬語は使えず、履歴書すら書けない」「日本語も英語もそこそこだけれど中途半端でどこへ行っても通用しない」・・・というケースが悲しいかな、多くある。それぞれの家庭が試行錯誤しながらこういう問題に立ち向かっているが、きっと完璧な正解というものはない。大切なのは親が「こうします!」と決めたらゆらゆらせずに貫くことではないか。敏感で柔軟な幼少期に、親の方針があっちこっちへ振れると子供も戸惑い、全てが中途半端になってしまう。こちらで生まれた3人の子供に日本名をつけたこと、幼稚園、小中学校と日本語学校に入れたことは思い切った異例とも見える選択だったかもしれないが、信じ貫いたことで子供たちの意識に根付き、実となってくれたと思う。また、セックス、ドラッグ、避妊などはオープンに話し、親として出来る限り子供を守ってあげることも意識してきた。

★プールのおしゃべりから生まれたBYB。
「そんなに英語ができるのだから駐在員たちに教えてみたら?わかったふりをしているけれど、聞きたいのに聞けないでいる人も多いのよ。」ある日プールで和んでいるときに駐在員の奥さんから言われたこの言葉から全ては始まった。軽い気持ちで羅府新報に「英語教えます」の広告を載せてみたところ、何人かからお問い合わせをいただきアパートで教え始めることに。生徒さんが15人ほどに増えた頃「BYBイングリッシュセンター」を立ち上げる。意外に知られていない名前の由来は「BILL&YOKO&BILL」。主人と立ち上げを援助してくれた彼の父の名前(2人とも同名!)をつなげたものだ。文字通りのファミリービジネス。「センター」と名付けたのは、学校ではなく皆が気軽に立ち寄れる場所にしたいとの思いからだ。この頃には日本語を話し、日本人に触れる機会が増えたことで、渡米後から続いていたホームシックもなくなっていた。

★ビジネス経験0から挑戦したセールスの日々。
BYBを始めたからには集客が必要で、それにはセールスが欠かせない。サウスベイ地区の会社を片っ端から回るセールスでは、年を28歳とごまかし、資金不足で作れていない名刺は「今、注文中なんです」と笑顔で切り抜ける。電話もかけまくったがなかなか取り合ってもらえず、主人がかける時だけアポが取れたりする。もともとおしゃべりではない上に初めてのセールス経験でとにかくつらい日々が続く。ストレスや子育て&仕事の両立奮闘で倒れることもたびたびあった。1件断られるごとにしぼむ勇気と膨らむ弱気を励ましてくれたのは主人だった。「断られて当たり前。断られても電話をかける前に戻っただけで何も失っていない。怖がるな。」そんな中、あたたかく応援して下さる大手日系企業の社長さんたちにも助けられた。初めて申し込みをして下さった「国際倉庫」の3名からいただいた460ドルのチェック(1ドル=250円の時代)は3枚の名刺と共に額に入れて、今でも教室に飾っている。大変だったからこそ、助けてくれた人たちとのあたたかい出会いを忘れずに自分を戒める意味を込めて。またセールスの大変さがわかっている経験から、今でもセールスの方々には断らずに会ってみるようにしている。断ったらそこで終わりだが会えば何かが始まるかもしれない。一番大切なことは人との出会いとつながりだと信じるからだ。

★人生ドラマが渦巻くBYB。
BYBの先生方は不思議なことに辞めることは少なく、みんなが大きな家族のよう。自分自身、私生活でどんなに嫌なことがあってもBYBのドアをくぐると元気になる。英語のことだけでなく、アメリカ生活にまつわる様々な相談をしてくれる生徒さんたちが後を絶たないのも最初に「センター」と名付けた思いが叶っているようで嬉しい。こんな風に人生のあれこれを共有しながら、英語を通して会話だけでなく習慣も学んでいただけたらと思っている。例えば、BYBでは「Fワード」もスラングも進んで教えている。中傷言葉は使う必要はないけれど知っていてほしいからだ。同じ日本人が中指を立てられたり、悪口を言われて笑顔で返す状況にあってほしくない。文化や習慣を知った上でアメリカのいいところを吸収し、日本のいいところを再発見して帰国する人たちが増え、日本がもっともっといい国になるといいな、と密かに思ってみたりもしている。

★家族というもの。
今は親子三世代で暮らしている。日本の母をこちらに連れてくるよう提案してくれた主人に感謝しつつも、純日本育ちの年老いた母とアメリカ育ちの若い子供たちとの板ばさみで悩むことも多い。それでも母と娘が一緒に買い物をしている姿をはたから見ては何となく幸せな気分になる。親の存在とは不思議なもので、こうして知らず知らずのうちに導いてくれた親と、今の自分の子供への接し方はとても似ている気がする。「○○しなさい」と決して強要せず意思を尊重してくれた自分の親と同じように、子供たちにも自分で考え選んだ道に進んでほしいと願う。今は進学だったりキャリアだったりそれぞれの道を歩み始めた3人の子供の意思を尊重して見守ってあげたい。また、子供にとってベストな親であるために健康には気を使っている。親が健康でハッピーであれば子供も安心して自分の道を進んでいけるのだと思う。

★アメリカに来てよかったのかな?
きっと住めばどこでも同じ。それがイギリスや日本であろうとアメリカであろうと。大切なのは”Positive Thinking”と「信じたことを貫くパワーを持ち続けること」だと思う。選んだ場所がアメリカでなくても、きっとこんな人生を歩んでいた気がする。仲間とマラソンをしているときに幸せだなーと感じる今日この頃。この年になって走れていること。見上げた星がきれいなこと。マラソンが終わったあとの満足感。そして仲間たちとのハイファイブ。当たり前とも思えることを幸せに感じられるのは年のせいなのか(笑)、ポジティブシンキングのおかげなのか。これからもこの地での新しい出会いを大切に、今まで助けていただいたことへの恩返しをしていけたらと思っている。


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