器の大きさ
人は器が大きい程いいと一般的に言われていると思います。だけど先日、直木賞作家の浅井リョウさんが、その価値観を覆すようなことを言ってて、非常にビックリしたんですよ「器が大きくなることは、言い換えれば思考が止まることだから、どうしたら器が大きくならないかを考えて、それが結果、書くことだ。」といったことを言ってて、つまり、日ごろの怒りとか矛盾点なんかを小説を書くことで発散しているのかなあと思いました。自分自身、あまり器が大きくないことは自覚していて、どういう時にそう思うかと言うと、マナーの悪い人に過敏に反応するんですよ。大都会に住んでいて、人が多いから余計にそう思うんだろうけど、歩きタバコ、歩きスマホ、売り場の前に自転車を止める、商品のパッケージを店員に断りもなく勝手に開く、買い物に夢中になって、店内で暴れまわる子供は野放し....イライラすることが限りなくある。そういうイライラする自分の器の小ささにまた自己嫌悪するんですよね。でも、実際注意をするかというと、見て見ぬふりをしたり、気にしないふりをしたりして、そういう負の感情を抑え込もうとする、それは、考えないふりをするということなんですね。でも、そもそもは器が小さいので、やっぱりかなりイライラしてるはず。人間の器の大きさは、生まれ持ったものかなあと思うことがあります。あと、育った環境とかでね。だから、あまり大きくない人間がそうそう急に大きくなったりはしないと思いますね。私がこのひと器でかいなあと思った人物は勝新(笑)いろいろお騒がせな人物だったけれど、それでも有り余る魅力がきっとあったんだろうなあと思います。あと、タイプは違うんだけど、王さん。『ワン公事件』の顛末を聞いて、「この人スゲー」と思ってしまいました。王さんが、巨人の監督時代に、当時現役だった中畑さんの、王さんに対する陰口が、週刊誌でスッパ抜かれて、騒ぎになったらしいんだけど、青くなった中畑さんが、王さんに謝罪したら、「まあ、そういうこともあるよ、気にするな。だけどな、来年は絶対に優勝だぞ!!」(その年、巨人は成績が悪かった。)スゴイと思う。基本的に、自分を悪く言う人に対する態度でその人の器の大きさがわかると思ってますね。通常は、中畑さん干されても仕方がない、器の小さい監督だったら、冷遇するに決まってる。さすが、記録や野球選手としても一流だけど、人間的にも一流で、まさしく球界の宝だと思います。そういう王さんが、ホークスに携わってくれていることは、非常に誇らしいことです