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見えない世界と接する場合にも、人間の想いの力をポジティブに駆使するにも、
キーポイントは「信じること」であるわけですが。 これが難しいんだ、ってのは、これを読んでいる多くの皆さんがすでに 感じていらっしゃることかと思います。 じぇいど♪もこのブログの最初のほうに、ミカエルの存在をとにかく疑って、疑って、 「証拠を見せろ」と迫って、なんて過程がずっと書いてありますけれども。 その後も新しい存在とコンタクトが始まるときは、じぇいど♪もある程度はなんども 繰り返してきたプロセスです。 この信じるための「証拠がほしい」というのは誰でもすることなので、 守護存在のほうでも承知しています。だからこそ、信頼関係が築かれるまでは あちらも様々な方法でサインを出して工夫を凝らしてくれるものなのだと思います。 「そんなのちっとももらえない!」って方もいらっしゃるかと思いますが、それは 出されたサインをサインとして気付いていない。認めていない。そういうことも あるかと思います。 そしてこの「疑いを持つ」ということなのですが。 これは、人間の魂に備わった本能による「セキュリティシステム」でもあるわけなので、 決して悪いことばかりではない。 じぇいど♪はそう思っています。 自分にとってこの存在は果たして良いものなのか。 この状況は果たして自分にとって益になるものなのか。それを自分で熟考し、納得する。 もし「疑いを持つ」という機能が人間になかったら、完全に無防備になってしまって 危険を回避することができない。また、そのことに関して深く考える、という機会も 逸することになる。これは別に見えない世界じゃなくても 普段の生活でも同じことですね。 たとえば「無農薬野菜」と書いてある。だから安心、と そのままなにも考えず食べてしまうのか。 それとも、一度「書いてあれば安全なのか?」と疑ってみて、 「無農薬野菜」と表記するには具体的にどういう基準を満たせば 書いて良いことになっているのか調べてみる。結果、表記の基準に納得できなければ、 より安全なものを違う方法で探し求める。そういうのと似てるかなあと思います。 「オープニング・トゥ・チャネル」のサネーヤ・ローマンも「疑い」ということについて 似たようなことを書いていますが、その他にも、高次の存在が人間とコンタクトするとき、 その「疑い」を進度を調整するためのツールとすることもある、とあります。 つまり、人間は急激に高次のエネルギーを受け入れすぎると不調を起こすことがあり、 肉体の変化の進度と合わせて慎重にやらねばならないのですが、 そういう調整をするために、「疑い」というものを使うことで一時期高次元との コンタクトから関心をそらしてペースダウンするように導く、という話です。 これもなるほど、と思います。 ということで「疑い」というのは全面的にネガティブなだけのものとして捉えることはない と思うわけですが、やはりどうしても自分の守護存在とのコンタクトの弊害になるのも 「疑い」だったりするわけで。これはほんとに払拭するのは難しいですね。 Richard WebsterのCommunicating with the Archangel、という本のシリーズがありますが。 じぇいど♪、なぜかそれのRaphaelだけを、参考までに読んで見なさい、と 買わされたことがあったのですが。(邦訳があるかわかりません) コンタクトの方法として紹介されているものには、祭壇をつくる・魔方陣をつくる・ 蝋燭、音楽、香を利用する、などの方法でまず「聖域」を造り、次の文句 (アファーメーション、召還呪文、などと呼ぶ人もいるでしょうね)を唱える、 と数十行にわたる文章が書いてあります。 じぇいど♪の場合は疑いの払拭という過程はミカエルにさんざんつきあってもらったし、 ラファさんの場合は「ねえねえ、ラファさん」「はい?」という状態に すでになってたときに読んだので「なんだこの大袈裟さは(@@;)!!」と 思ったのですが。ようするにこういう「儀式」をおこなうことで 自分に自己暗示をかけて「私はラファエルとちゃんとつながっているはずだ。 なぜならば正式に儀式を行ったから」という信念を増す、という仕組みなわけで、 実はその内容のディテールというのは実は魔法陣はカードで組んだ円だろうが チョークで書いた円だろうがクリスタルを並べた円だろうが、飴ちゃんを丸く 並べようが、自分がしっくりくるならばそれでいいのでしょう。 じぇいど♪が最初の頃によくやっていたのは、半分遊びでもありましたが、 その存在とコンタクトするときに使う「石」というのを決めておいて、その石に エネルギーをチャージしてもらったり、自分で「プログラミング」をしてしまう、 という方法です。信念が増せばそんな石のことはすっかり忘れてしまって 「どの石が誰だっけよ?ま、いいか。」程度になってしまうわけですがw。 ただし、人の波動の種類によって「つながりやすい存在」と「つながりにくい存在」 というのはあるには、あるでしょう。そういう場合には「望むだけ」「信念だけ」 ではつながりにくい場合もあるかと思います。 例えばちゅまの場合は生来天使系には繋がりにくかったわけなので、 波動の調整をするために、ザドキエルさんが少しずつ、少しずつ自分のエネルギーを 流すことで調整を続けてきたわけです。まだまだすべての天使と繋がれるという わけではないので、これからもその調整は必要であれば続くことでしょう。 世の中の「天使とのつながりを強める」という類のアチューンメント類がたくさん ありますが、その「信念をあげるための自己暗示のための儀式」とそれに加え 「波動の調整によって繋がりやすくする」その両方の作用をするためのものと言えます。 様々な高次の存在とのコンタクトに既に確信があれば、その該当する存在そのものに 波動を流してもらえば当然無料で済むわけですが、悲しいかな、やはりはじめて 高次の存在とコンタクトする場合には最初っからそういうわけにはなかなか いきませんでしょう。 信念を増すために3次元の伝授者を挟んで「だいじょうぶです」という太鼓判を 3次元の人に押してもらう。人間の信念の弱さというものをカバーするために 作り出した、一種のシステムなのでしょうね。 ヒーリングではなくて、特定の存在との絆をつくるアチューンメント類も、 そして各宗教の洗礼の儀式、と言ったものも実はそういった意味合いがあるのだと思います。 じぇいど♪のケースではそこの部分の役割をしてくれたのが、あらかじめ 約束してきたであろう多くの「仲間たち」だったわけですが。 神社や世界各地のパワースポットを回らされる、というのもそういう守護存在との 繋がりの強化、という意味合いがあることがあると思います。○○の土地を癒せ、 などの指示を受けたり、特定の場所に「呼ばれる」なんていう話がよくありますが、 あれは実は同時に自分を癒す作業であったり、その土地を守護するエネルギーを 自分の守護とするための意味があったりするものなのでしょう。 そこに行ったとたん、ある存在と繋がりやすくなった、というのはよく聞く話で 実際じぇいど♪も日本に行った際に経験しています。 なぜ「遠隔」「中身だけの訪問」ではできず、わざわざその土地に行かねばならないか、 という一つの理由としては、そういう特殊な場はたいていの場合結界が張ってあるので、 アストラル体・エーテル体と言ったボディでは入れないしエネルギーが 受け取れないことが多いのと、やはりその現地に肉体を持って行ったほうが エネルギーとの同調というのは強いということ。 というのがちゅまが普段から言っていることなのですが、まあ、そうやって あちこちに呼ばれてる人はこれを読んでいる方々の中にもたくさんいることでしょう。 高次の存在と繋がるのに必要なのは、とにかく本人の「意志」そして「疑いの払拭」 が重要なわけでしょうけれども、自分の「疑い」がなんらかの必要な役割を 果たしているのか、それとも「変化への恐れ」「見えない世界と関わることによって 批難を受ける恐れ」と言ったなんらかのブロックによるもので、きちんと 取り除くべきものなのか、についてはそれぞれの人によって ケースバイケースでしょうから、自分で注意して観察することが 必要かと思います。 ・・・ってなかなかわからんでしょうけれども、ね。でもまあ、 まるっきり無意識なのと、そういうことを意識にとりあえず置いておくのでは 疑いというものについての意識もかわってくるかと思います。 そしてその「意志」と「疑い」のバランスというものは、我々自身ももちろん 意識して調整する努力をすべきなのでしょうけれども、高次の存在もきちんと 「疑いはあって当然」と了承しながら信念と絆を強める方向性に導く工夫を しているのだろう、と思います。 つづく
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最終更新日
2010.06.20 13:06:34
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