柳居子徒然

2007/03/19(月)07:02

辻々の噺

   地名としての京都が使われだしたのが、文献では一切経勧進の聖に 『京都の人々市を成し 結縁する』(中右記承徳2年) や 日野からの遠望 『今夕 京都あたり 焼亡する』(保元元年7月)の条等が初出で、約九百年間ほど使い続けられ これからも続く。 伊勢屋・尾張屋・近江屋・肥後屋・等と土地名を冠した商家は、掃いて捨てるほど有るのに 山城屋は有っても京都屋という名を聞かぬ天子おわす都の名を 私(わたくし)に付けること憚り遠慮したのだろう・   現 京都ホテルオークラの地は、長州藩邸の有った所 維新後勧業場・舎密局等が軒を並べる文明開化の京都に於ける象徴のような場所だが 建物の裏に回れば、バラバラ殺人事件 髪結いお政の足が見つかった場所でもある。事件の一年後 河原町御池 官地だったが現在地が 前田又吉氏に払い下げられ、西洋式ホテルを建てたのが 市中ホテルの京都の嚆矢である。ホテル名常盤ホテルと言った。 大津で暴漢「警備の羅卒(巡査)」に襲われたロシア皇太子の止宿先 明治天皇のお見舞い行幸もあって天下に其の名が知れ渡った。 前田氏ホテル名を京都ホテルに改めようとしたが 府は其の名乗りを中々認めようとしなかったと言う 『京雀』 『京童』や『京羽二重』 など往時の観光案内書には『京』一字の使用例はあるが、私の呼称として京都を使う事を簡単に認めなかった理由は判らない 又京都人が京都の名を己の仕事や店名に使うなど思いもかけぬ事だったようだ。前田氏は、神戸の人である。花街 宮川町の『京をどり』の名付けもきれいすんなり決まった訳ではないhttp://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/200606140000/  歴史を紐解けば どの場所どの辻々にも 京都は拘りや因縁がある 千二百年間 非業の死を遂げた因縁の場所だらけである。忘却があるから住み続けられる町でもある。 次の日曜日 京都ホテルオークラは柳居子 小学校同窓会場になる。

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