柳居子徒然

2009/05/21(木)06:48

  昭和31年5月3日に制定された 京都市市民憲章の一項に『わたくしたち京都市民は,旅行者をあたたかくむかえましょう。』がある。 迎え方の不始末を 見送り方の上手で帳消しにして余りある おもてなしの極め付きの話一題 新型インフルエンザの濃厚接触者と間違われて留め置かれた米国人大学生四人を含む十二人が京都市内の篤志家から 『一市民の立場で 間違いお詫びの意味を含めておもてなしの気持ちを伝えたい』 と東山区の料亭で芸舞妓を入れての宴を招待した。 寿司や刺身を堪能して 披露された京舞にも魅入ったという。 このグループは間違いがわかって外出自粛が解かれた時 『誰の責任でもない』 担当職員は必死の業務をこなしているのだからと云う意味のコメントを出していた。それに呼応する招待のようだった。 我々日本人でも 花街への出入りや 芸舞妓の侍る席は、ごく限られた人々で築かれる憧憬を交えた異空間である。招待を受けた十二人の学生引率の教師には まさに生涯一度の経験 幾つになっても 京都の楽しい想い出を 誰彼無く語り継いでくれる事だろう。 善意の 篤志家は誰だろう 名を伏せて京都市がこの事を発表した。柳居子思い当たる人が何人か居る。いずれ判る事だが、わかっても表に出す事は出来ない。『京都のために有り難う』と伝えたい。 活き金 死に金という言葉がある。 何の見返りもない 見返りを求めない 善意の金と云うのは 概ね活き金である。その人の人生が活き金で成り立ってきたからそういう善意の出費が出来るのであろうと柳居子思う 十二人の招待活き金である。柳居子花徒然空木(ウツキ)     

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