|
カテゴリ:カテゴリ未分類
国政の場や地方自治体の特別職 選ばれる議員とか首長に付いては、学識が高いとか 一頭地抜きん出た出来の良い人がする仕事と、若い時から変わらぬ認識を持ち続けてきたが、どうもそういう図式では計れないような事態になっている様だ。 国や社会を良くしようという志を持つて選挙に打って出るのは、自分がその志の実現に見合う何かを持っているという自負が有っての事と思うのだが、昨今のお粗末は、維新の党の主導権争いの訴訟の沙汰とか 民主党の有力議員の離党問題とか 本来使わねばならないエネルギーが全く別の方に向いている。万余の選挙民の請託を受けた身とは思えない為体(ていたらく)だと思う。己の主張に反する事とか 言葉直截的に言えば 己の利得に反する事とかは、一切を遠ざけ 権力を発揮することが政と考える輩が席捲している様に感じられる。 政の事は何一つ知らぬ。掃いて捨てる程度の一票を持つのみの身では有るが 何とは無しに感じる事は、選ばれた一人一人の個人の資質と云うのは極端な一部を除いては左程昔に比べて落ちているとは思われないのだが、徒党を組んで群れると、衆愚の徒と化す感じがして 一般国民の常識以下の事が罷り通る事が往々にして起る。 政治は非情というが、ある意味情が絡むと本当の政治が出来なくなる事が有ると思う。情の無い非情が悪い事だけとは思わないのだが、礼節の弁えと云うのは全く別筋の話ではあるが非情と表裏一体一体の様な道徳律 いつの時代にも変わらぬ不偏性を持つモノだが、其の律を身に付けない人が見受けられるのだ。 人を人として敬う 主義主張は変わっても 例えそれが敵・味方と分ちあう事が有っても 人としての尊厳を傷つける事は見苦しいと思う。本サイトでつい先日も載せた事も有るが、終戦間際 米国のルーズベルト大統領が亡くなった時、鬼畜米英の旗振りの頭領でもあつた 鈴木貫太郎首相が、外交ルートでは無く 通信社を介して 米国民及び遺家族に深甚なる哀悼の意を送った事に対して米国を始め諸外国は、日本は未だ武士道滅せずと深い感動を呼び起こしたという。 人材の払底と云うのは、志のある若者とか この先は主役になって貰わねばという重要な人物が、表舞台に立たなくなったとか 表舞台脇で出番を待っているような人が現況に愛想を尽かし登場前に身を退いてしまうというのが、官民問わず大きな問題となりつつある。払底は決して人が居ない訳では無くその人に見合う適材適所の配置が為されていないとか 其れを配置する度量の大きい人が全く居なくなった事が大きい 『こいつ 見どころが有る』こういう会話は今は交わされないのだろう。 出来の良い人が集まってより高みに上るのでは無く 群れて衆愚の徒と化す今のシステム 大きく変えねばならぬのだが手だてが無さそうと柳居子思う。 人材の払底と言えば ヨーロッパ諸国が大きな問題としている難民問題 中東シリア辺りからの密出国が多いと報じているが。難民として国外に新天地を求めて母国を捨てる事の出来る人と 其れすら叶わぬ残された人々 これ等の国こそ人材払底の極め付き 振って揺すっても音もしない国の形を為さない人材払底である。 人材払底 わが国では其の悪しき範を国会に見る。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|