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一昨日、八月晦日の土曜日の朝は、年に一度の贅沢朝ご飯。南禅寺瓢亭の高橋さんのお店で、名物の朝粥を頂く事が恒例になってもう十数年になる。
瓢亭さん出入りの錦の川魚屋『のとよ』の三田さんが、お得意さんへの義理捌きと言うのか 出入り業者の会では無いのだが、ご近所の仲の良い仲間集めて毎年一回朝粥の会 もう27回も続いているという。 柳居子は、瓢亭さんのお店の出入り業者では無いし,のとよ ご主人の同行仲間とも少し離れているのだが、高橋さんが店に見えた時、私はお店の出入り業者では無く 御主人自ら足を運んで頂く『お迎え業者』ですが、のとよ三田さんの会に参加資格ありますでしょうか? と、尋ねたら早速その年の朝粥の会に参加する事が出来て、爾後ずっと続いている。 朝の事だから 二次会が有る訳でも無く 仕事前の束の間の贅沢であることは間違いないのだが、気兼ねなく何の衒いも無い会話を交わす事は、出された料理と同じく愉しく値打ちの有るものた。 錦の旦那衆も何人か見えていたのだが、如何にも京都らしいなぁと思ったのは、子弟と言うより孫たちが通っている小学校の校長先生を毎年招待しているという事である。全く私的な集まりで、教壇に立つ先生では無く 校長先生と言うのが良い。 京都の番組小学校が出来て今年は150年の節目の年で、児童たちにも京都の小学校の成り立ちの様な事を、勉強させていると校長先生が仰っていた。夏休みの宿題に番組小学校の事を課題に出した中学校も有った。 土地や建築費の全部とか一部を地域が負担して数多くの学校が 全国に先駆けて出来た。金は出すが、口は出さない。しかし しっかり見守っている。保護者とか地域の眼に見えない圧と言うのを先生方は感じているのかも知れない。 校長先生ご招待 出来る様で出来ない事 京都の厚みの様な事を感じた 朝粥の朝だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.09.02 06:19:26
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