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2019.09.16
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 仏教が 我が国に齎(もたら)されて、天皇を筆頭として貴顕の帰依を受け、寺・寺院と言うのは歴史の表舞台・裏舞台に隔てなく其の存在感を示し続けている。元号を寺名に冠した寺は、篤く国家から庇護され 又未だに門跡寺として連綿と続く寺が沢山有る。

 奈良の六宗と、最澄・空海が請来の真言と天台 平安時代には教義・教団の固まった宗派を古と言えば、鎌倉期に台頭した浄土宗諸派 法華宗 禅宗と言うのは新と言う区別が出来るのかと 柳居子は思う。

 いにしえと呼ばれる宗派の多くが、国家の手厚い庇護を受け、大きく根付いた事に対して、法華・浄土宗の諸派は、その拠り所とする財政的基盤も含めて。宗教とは距離が有ると見られた 一般庶民を抱え込んだ事が、これまた 宗が長く続く事の大きな力となったのは間違いないと思う。只主役と言うのか 本当の当事者たる 庶民の顔や姿 又諸々残っていて不思議ではないと思われる事に付いても其の分野に関する記録が無いという。意図的にその存在を表に出さなかったか。若しくは些事と見たのか。

 こういう不可解を、僅かに残された資料を集め 思索を重ねて『中世寺院における 大衆と惣寺』院々谷々の衆議の実態』というレポート 下坂守氏寄稿の一文を読んで色々と初めて知る 気付かされる事が多かった。

 惣という字が有る。室町時代 荘園が解体される頃 その地に住む人達が共同体を作って 村全体の意思決定をしたり明らかにしたという動きを惣という言葉で表した。寺を支える庶民が、烏合の衆として存在していたのが 惣という括りが出来て 近くの寺を惣寺と位置付け その寺の構成員としての自覚が芽生えて 社会性と言うのか 時代の変わり目のエポックの様な時代が続いた。

下坂氏は、比較的その時代の資料が数多く残されている 滋賀県園城寺文書を重点的に調査され 園城寺が北院・中院・南院と三ブロックに分かれていた事を説き 特に南院では、組織運営の原則が 衆議で行われていた事を古文書読み解いて確認された。延暦寺に付いても三院有って其のブロックは深い谷で分けられていた。延暦寺全山を表わす言葉に 『院々谷々』という言葉がつかわれた 延暦寺は 寺域や規模が園城寺より遥かに大きく歴史も古いが、度重なる火災 兵火も有って 一般庶民との接点を示すような古文書は残っていない様だ。

 院同士の諍いとか 三院揃っての本山への献策など 読み応えのある古文書の解説が続いているのだが 余りに長く 又取捨選択に迷うから ここでは触れない。

 只 衆議一決等の字句を見ると、今と幾らも変らない人々の営みを感じるのだ。 衆議院という名付けなど この惣寺での衆議を採ったのかと思ったりする。

 親しい友人に 惣を名乗る人が二人居る 惣を司(つかさ)どる『惣司』の姓 西賀茂の出身と聞いているから、古くからの名跡 御所車に関係が有るとか言っていた。






Last updated  2019.09.16 10:56:43
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