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歌手『越路吹雪』さんが亡くなって七日の日 四十一年経った。歳月の経つ余りの速さを改めて実感する。 四十一年前オギァと生れた子供が分別盛りの四十一歳 彼女は大正十三年生まれだから 柳居子の母の二歳下 母親世代の歌手である。 五十六歳は早逝と思うが 現役第一線から突然消えるという事。 人が生きる 生き続けたいという願望にとっては残念至極と言う事だが、スポットライトを浴び続けた人が 老いさらばえて誰も相手にしない 若い輝いていた頃を人々の記憶から消し去っていく元スターに比べると 何時までも第一線の歌手の様な思いがする。
越路は北陸道の呼称から 秋田 新潟辺りの出身地に因んでつけられた芸名と思う人も多いかと思うが 彼女は東京出身 彼女の姉が病弱で絶えず両親の手を煩わした事から 彼女は新潟県の祖父母の下で少女時代を過ごした様だ。 越路吹雪の芸名は 父親が考え付けたという話しが伝わっている。 越路さんの事は本サイトに何度か記事を載せている 又其れを補完するため。岩谷時子さんや サルバトーレ・アダモの事も書いている。宝塚時代の歌唱は聞いた事が無いが 退団直前の昭和二十五年の『東京の門』二十七年のビギン・ザ・ビギンの歌唱に対して、フランスに渡り『エディット・ピアフ』の舞台を直接見ることが出来て 感銘を受けて 歌唱が変った様だ。「逢いの賛歌」と言う曲には 当時フランスに居た 黛敏郎氏が越路にこの歌を唄う事を勧め 越路はフランス語で唄う事を良しとせず 黛が岩谷時子に原曲歌詞を詳細に伝え 岩谷が意訳したのが大ヒットしたという 岩谷の処女作でも有った。 昭和三十九年 柳居子十九歳の時 アダモの作詞作曲による『サントワマミー』と言う曲をふと耳にした。 歌詞内容は女が男に捨てられ嘆く内容 男女逆転した当時の心境慰められる様に聞いて以降 越路のファンになった。彼女のレコードやCD等は数多く持っている。 没後四十一年 息子の世代のファンが ウェブサイトに一文載せる事も 些かの供養になるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.11.10 13:31:26
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