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柳居子徒然

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2021.04.23
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今 現実に世の中で起こっている事をどれだけの人が知っているか? 現代社会ほど情報を多くの人が共有できる様になっても 溢れ出た情報は表に出た一部分 色濃く出た事が正しい事 大事な事と捉ええがちである。時代の趨勢に阿(おもねる)事も有るだろうし 隠蔽と言う事も有るだろう。対人関係についても相手の色濃く出ている部分との お付き合い 色が濃く感じたら 其の反面の部分も小さくは無いと思うのだ

 今世界で起こっている諸々に付いてでも、計り知れない表の部分と、裏と言うより闇の世界が有る事は、想像に難くないのだから 旧い事が伝わるというのは 類推に帰するところが実に大きいと思う。
   
 言い伝えも有れば 日本の場合は 紙に書き残されて物も多い。古文書は古を読み解く大きな手だてだと思う。書かれた内容 少し時代が下がって書かれると 後の代の人都合よく 脚色されたり 誇張して書かれるケースも有る。

 去年東京で『京語り』の機会を頂いて、 応仁の乱後 秀吉の洛内 散在の寺を寺町通り東側に移転を命じた事件 強権を以って移転を命じたら 秀吉没後必ず恨みつらみの文書が残る筈と調べたが そのような古文書は残っていなかった。
記録が無いと言うのもある意味 真実を伝えているのかと考えた次第

 
 後の世の人が 自分達に都合よく脚色する事も想定して 書かれた史書 千年以上前に書かれた 司馬遷の『史記』各項文末に 大史公曰く 司馬遷自身の文に対する感想の様な書付を添えている。その時代の価値感とか時代の雰囲気すら感じ取れる 数多くの史書の中では 稀有な例だと思う。



 子供の頃に読んだ 偉人伝  紙幣にも登場する人物の事績と言うのと 日常生活との解離を書き記した本を読んで、人間らしいと思う反面 如何に我々は虚像崇拝に陥っていたのかと思うのだ、歴史は多分そうであろうという 類推で 成り立っている様に思う事が有る。






Last updated  2021.04.23 11:12:31
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2021.04.22
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 教育の境界研究会編のタイトル名の本を読み始めている。沢山の本を頂いたり、勧められたりするのだが、頂いた本全てを読み下す気力の様な物が徐々に薄れてきて 先ず表題に興味のあるものから手を付けるのが 最近の習いだ。タイトル・帯が購買に大きく左右するのは 柳居子の様な読者も念頭に入れているのだろう

『むかし 豊かだった』と言うのは 今が貧困という逆説的タイトル。このタイトルに触発されて 思い出した事が弐点るので書き記す。

 柳居子の通っていた小学校は、京都市立生祥小学校 母方の祖父・母・柳居子・息子と四代通ったが。今は統廃合で校舎は残っているが学校は無い。通学の頃 母校には 『熊谷学級』と言って 担任の先生の名を冠した発達障害の子供達を集めた特別学級が柳居子の教室の直ぐ隣に在った。

 戦後の教育改革で出来た学級と思うのだが、子供心に自分達と同じ様な年だが 
少し毛色の変わったのが居るなぁ 位の感覚で 特別其の存在を意識する様な事も無く普通に接していた。二条通りから通っていた『トモちゃん』にはよく声を掛けていた。同じ学校に通っているという仲間意識は、差別をするとか 忌嫌うという雰囲気の対極のモノ まして 苛め等は余り無かった様に思う
ところが 制度改正か 改悪か 其の子供達だけを集めて 新たな建物を建てて 普通の子供達と 完全に分け隔ててしまったのだ。特別な学校を作ったのだ。健常者と同じ場所で学ぶ事が不適切と考えたのだろうか? そういう児童との接点が無くなると、そう云う障害児を優しく見守る眼が涵養出来なくなる。結果として差別意識を助長しているのではと思うのだ。母校 熊谷学級をよく知る同窓仲間は、障害児を見る眼が、誰もが暖かい。




 中学校時代 英語の教科担任だった 中家甚平先生の事も載せねばならない。中学校の時 英語がよく出来た、五段階評価の通知簿は ずっと5 を通していた、
工芸繊維大学の講師をしていた W・T フルブッシュさんや 和歌山大学のジャック先生たちと旅行に連れて行って貰うほど 多少会話も出来た。今は錆付いている

 中学校を卒業したら 親の仕事である理容師になると決めた時 中家先生が『君の親は 本当の親か?』と、柳居子に聞いた。其の事を親に話したら『一寸先生呼んで言い聞かさなアカン。』と近所の鰻屋の二階の座敷に先生呼び付けた。柳居子は同席せず。 両親が待ち構えている席に、先生衾を開けて入って来て 直ぐその場で。畳の上で土下座の様に『此のたびは ご子息に大変失礼な事を言ってしまい 誠に申し訳ございません。 お許し下さい。』と深々と頭を下げたという。
 両親は慌てて当てていた座布団から飛び降りて『先生 息子が何時もお世話になって 有り難うございます。と返したという。最初のお詫び挨拶の遣り取りで 問題は氷解したのだ。今なら同じことを言ったら免職事だ。


学校は教育を施すところ 人格形成の場 という固定されたモノでは無く 教える側 教わる側 又 保護者という間接当事者も含めて 今よりは柔軟で許容量の大きい学校運営をされていた様に思うのだ。

 先生が散々取っちめられていると思って、鰻屋の二階の様子を聞いたら『元はと言えば お前の事を考えて発した言葉 一言謝られたら 後何も言う事無い 愉しく食事したよ』柳居子は先生が こっぴどく怒られると思っていたから 拍子抜けした事を よく覚えている。









Last updated  2021.04.22 11:50:41
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2021.04.21
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 髪の毛を黒く染める事を止めた頃 ふと漢詩 劉廷之の 代非白頭翁 白髪頭を悲しむ翁に代わりてを思い出して 年年歳歳 歳歳年年のタイトルの記事を十五年前にアップした。


2006.05.06
代悲白頭翁 (白頭を悲しむ翁に代わる)
 遅咲きの八重桜も散り果て 今は、花水木が花を付けている。梅の開花が遅れたとか 桜が長持ちしているとか 咲くまでの心踊りに比べると 散った後の寂寞は、一年の加齢を思うのみである

年々歳々花相似   毎年花は、同じように咲くが

歳々年々人不同   花を見る人は、毎年変わっている。

劉廷芝の『代悲白頭翁』の一節 唐代表する詩人は、この詩を何歳で作ったのか 白髪の老人に代わるとあるが老人に仮託した本人の心情ではないかと思う。 春は早く過ぎると良い 花粉症の無い季節が好きだ。


 老人に仮卓托した本人の心境では無いかと書いたのだが、極最近知った話では
あくまで伝 伝説の様に伝わっている事が有るという。劉廷芝はこの年年歳歳 歳歳年年の二句を詠みあげた時『不吉な運命の予言の様だ』と呟いたという

 舅(しゅうと)宗之間がこの二句を見て気に入り 是非自分に譲って欲しいと頼み込み 一旦譲る事を許したが 惜しくなって断ると 宗之間は召使に命じて 廷之を土嚢と一緒に埋め殺して 自作と偽って発表したという。若し伝説が真実なら 代非白頭翁を詠んだ翌年の洛陽城東の 落花は見る事が出来なかった 不吉の運命と洩らした事も整合性が有る。


   代悲白頭翁    白頭を悲しむ翁(おきな)に代わる

  古人無復洛城東    古人また洛城の東に無し
  今人還対落花風    今人還(かえ)って対す落花の風
  年年歳歳花相似    年年歳歳花あい似たり
  歳歳年年人不同    歳歳年年人同じからず

 昔、洛陽城の桃の花を楽しんだ人達は既に亡くなり、今我々が花の散るのを見て嘆いている。毎年美しい花は同じように咲くが、この花を見る人々は毎年変わっているのだ。








Last updated  2021.04.21 06:52:45
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2021.04.20
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  先日 東京在住の書家との会食の席で。随分久し振りに漢字学者『白川静』先生の名前が話題に登った。教えを受けると言うより感覚的には 謦咳に接する と言う様な関係では有るが、色々と薫陶を受けた人だった。

 白川先生が亡くなってもう 十五年の歳月が流れた。ご一緒に写した写真の柳居子は髪黒々 勿論染めていたのだが 若かった。市民対象の講演会 九十歳を過ぎてからも演壇に立たれて 滔々と興味尽きない話の出てくる事自体が不思議と思える存在だった。 先生の活動の実質的な取り纏め役の 文字文化研究所の理事 宇佐美公有氏とも親しくしていたから 先生の日常の事や知る機会も有り 一掃身近に居る人の感覚になっていた。


 本サイトには 白川静先生の事を何点かの記事にして 載せている。久し振りに名前を聞いた事も有り 先生に付いて書いた事を何点か 一部分抜粋して再録する。泉下の先生が苦笑する話題も有る。


2006.08.20

素読・暗誦
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中教審の教育課程部会が、小学校の国語の授業に『暗誦・音読』を重視して
古文 漢文等の古典指導を盛り込む方針で検討に入った事を新聞が伝えている。小学校の現在の古典学習は俳句・短歌・古諺の音読が主で 古い時代の漢文漢詩は、学ぶ必要の無い『発展的内容』扱いという。素読・暗誦に付いて 漢字学者 白川静先生の文字講話に参加した折の感想文 京都新聞投稿欄『窓』平成16年1月23日掲載の拙文を挙げさせて頂く。


白川静先生 文字講話最終回
京都新聞の夕刊に事績やお人柄の紹介を連載された漢字文字学の 白川静先生の「文字講話」シリーズ最終回が宝ヶ池国際会議場で開催されました。何度か通った講演会の中でも今回は特に印象深いお話がありました。ご自身の経験を踏まえた 素読。暗誦の大切さのご指摘です。段階を追って判ることを教えていく事だけが唯一の教育法ではない。社会に出て行く幼少期に生きていく基本的な材料を頭に入れておく素読の偉大な効果を説かれます。漢字にルビを打つことで漢字を知らない世代でも、書に親しむことが出来る。日本人の識字率の高さも漢字から派生した かな カタカナに拠るところが大きく 中国は、もとより旧漢字圏の朝鮮ベトナムなどの現況を比較してのお話しは、心に染入る思いがいたしました。93歳の碩学のお話し皆がどの程度理解できたのか判りませんが、「謦咳に接する」親しくお目にかかれたことが私にとっては 至福の一日だったと思いました。


中教審の検討案は 音読・暗誦重視を強調している 実際の授業がどのような形になるのか こなすのは容易だが生かす方法が示されてないと紙面解説があるが 素読・暗誦は 耳・体で体得するもの 長じて内容が判り生かされると
白川先生のご意見。



2010.11.21
説文解字
12月5日 楽しみだが 一寸空恐ろしい会合に出ておいでよと 案内を貰って出席の返事を届けた。 笠川直樹先生ご夫妻を囲んでお喋りの会(出席者15人限定)とだけ往復はがきの案内には記されている。
 例によって幼馴染絵具屋の築チャンのお招きだ。彼は、がさつなのに知ったか振りの柳居子の性格をよく見抜き、直截な物言いはせぬが、何処の美術館の催事が良いとか、茶花の宗家のような麗人を紹介引き合わせてくれたり 又 本サイトに度々出てくる 漢字学の泰斗白川静先生の九十歳過ぎてからの講演会 文字講話も彼の勧めで最初出かけた。
  京都の旦那衆と呼ばれる人達は、自分の本職以外に何か一つ二つライフワークの様な趣味・教養を身につける事が当然・自然と云う独特の雰囲気のようなものがある。絵具屋の主人は、中国後漢時代の世界最古の字形辞典『説文解字』を読み説く会の幹事役を設立の時から努めている。
 毎月2回 白川先生の教え子でもある、精華高校の笠川先生を囲んで文章読み下し一字づつ議論を交わし甲骨文から金文への推移の時代の考察を重ねる。其の時代の背景を僅かな資料を深く渉猟しながら、こつこつと積み上げ二十余年の間に三百数十回の会合を持ち 全体で九千字ある説文解字の三千数百字を踏破した。 正誤を正すと言うのでは無く二千年前に書かれた文字を今の解釈を付けると言う例によって一銭にもならない学道楽とも言える集まりで 成果を残すといっても古字を活版の活字を作るのに一字が何千円もかかるので侭ならぬそうだ。
 京都の町衆と言うのは一筋縄では括れぬ猛者が何食わぬ顔して常日頃を過している。築チャンは柳居子が猛者に囲まれて餌食にならぬと判断して会合に呼んでくれるのだと思っている。

・・・・ 服喪に付いて、旧い印象に残っている話しが二つある。 漢字学者の白川静先生が文化勲章の栄に浴され、宮中での親授式にお招きが有ったが、丁度其の年の春だったか 先生の奥さんが亡くなった。配偶者の喪中に畏れ多くも陛下の御前に罷り通る事など出来ぬと辞退された。喪に服す 外出を控えるを実践されたのだが、前例のない事。其の日だけ徐喪 喪を外しでもという周囲の説得にも頑として首を振らず欠席された。新聞発表 公式には 病気療養中の白川静博士は欠席と伝えていた。・・・・


・・・・講演会の前 国際会議場の食堂で 満席状態 お年寄りの座った席に空きが有ったので 失礼しますと座ったら 白川先生だった 先生九十を超えたにも関わらず ビフテキ一枚ペロリと食べたよ。と文字研の宇佐美さんに 話したら『家で常肉を食べさせてもらって無いから 外食は肉が多いですよ。』という話し 何時までも元気な人は肉好きなのだ。・・・・






Last updated  2021.04.20 06:49:15
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2021.04.19
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 昨日は 愛用の電動アシスト三輪自転車で、蹴上から三条通り西に向かっていた。
真っ盛りの花水木のお花見だった、 途中ギャラリー・モーニング 寺久保さんの前で立ち止まったら、お急ぎで無かったら展観中の廣田美乃展見て行って下さい。と招じ入れられた。絵画の観賞 大層な事は出来ないのだが、同じ人の作品を経年で拝見すると 画境の変化が極端 著しく変る人も有れば 変らぬ人も居る。それでも 本当に若い時の前描き言うのは 一見に値する。
 柳居子は 人物画の場合 眼の描写に興味が湧く。

 廣田美乃さんの展観は。 ギャラリー・モーニングさんで もう10 回ほどになると言っていた。 今回はまだ画学校に通っていた頃の作品の展示も有って。画境の深化という意味で面白かった。 批評とか評価と言う様な事は専門りょえ息の人に任せて 画題 描き方が別世界に移る様な描き手が居るかと思うと 一つのモチーフを膨らませ 深化させるという手だてを取る人も居るのだと思った。

廣田さんの作品 人物画 柳居子は 描かれた眼に大変興味が有る。眼一点見続ける事で 作品の歴年を知るのだ。廣田さんの展観 ギャラリー・モーニングでもう10 回ほどになると言っていた。



 絵画だけでなく柳居子は 京舞を見る機会が有る。眼に眼が行くのでは無く 全体の所作と関係なく 手の動き 手をどの様に差し伸べるのか 振りほどくのか 招じるのか 心の動き 又全体を綺麗に納める様な働きも有るように思う。そういう見方をするのは 外れの様と思う事も有るが、眼は口ほどにモノを言いと言うのは 手にも当て嵌めてよいかなと思ったりする。

ギャラリーを出て 見送りの寺久保さんと『昔から花水木植わっていたか?』と尋ねたら 京津 三条・大津間が地下鉄東西線の線路併用で 地下に潜り 上の線路を外した時 車道が増えるのかと思ったら 歩道を拡げて 花水木を植えたという。昔は銀杏が植えてあったそうだ。桜の花の次は 花水木 花暦は繰り返されるだけ
終りは無い。







Last updated  2021.04.19 11:33:30
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2021.04.18
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 日韓関係の問題の根源的な因は、韓国が 歴史的に根拠のない実証出来ない問題を正統付けて、自国民の教育を続けてた 洗脳と言う様な刷り込みをしたという結果と、日本が韓国の主張を黙って聞きいれてきたという図式が有ろうかと思う。

 韓国に比べて対照的に我が国の戦後教育と言うのは、戦後GHQ の指導の下 日本が一方的な加害者に仕立てて 近隣に対して遠慮すべしという教育が施されてきたと見る事が出来ると柳居子は考える。


 韓国が韓国が嫌日 我が国の非を騒ぎ立てる事は、当然我が国の若い人の耳にも届く。対韓国に日本の政治家が弱腰だったと見る根源は、現在の指導者層 日本の政治家も 立場変えて日本が 加害者教育を受けた人達なのだと思ってしまう



 間違った史観を日本の若者が持つ事を防ぐ手立ては有るのか? 右でも左でも綯い中道でも無い 真実 日本が行き過ぎた事や 誤解を招く様な事も含めて 残っている歴史的資料を徹底的に集めて 其れに基ずく教育を日本の若者に施す事が急務の様に思う。



 過去の歴史をとやかく隣国が言うのなら、日本も過去の歴史資料によって実証されている正史を堂々と若者に教え込む事が大事と思うのだ。捏造や誇張する必要はない。事実其の侭を日本の若者に教え込む事で 将来的に韓国が何を言おうが騒ごうが 微動だしない 国民的常識が備わると思うのだ。

柳居子の乏しい史観では 韓国は儒教の国 長幼の序列とか 身分差別 職業による蔑視とか順位付けに拘ると言う。中国を頂きとすると地理的条件では韓国が続き日本は弟の国 目下という事 癪の種は弟の分際でと言う事だろう、


歴史に若しという事は論じるべきでは無いのだが 日清戦争が起こって無ければ 日本が 清国に勝利しなかったら 韓国の立国は無かったと考えられる 又戦後日本が韓国の発展の爲どれだけ大きな金を韓国に贈ったか 又戦前日本が韓国に築いた莫大な資産 インフラ整備等は、韓国の一般人 指導者も含めて知らないケースも多々ある。

韓国に黙らす事は 日本人の多くが歴史認識を改める事 それは 何も知らない一般韓国人の啓蒙にも繋がる事だと 柳居子は思う。








Last updated  2021.04.18 09:42:47
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2021.04.17
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 毎年 今頃お手製の梅干を送って頂く方が居る。ガールフレンドと言うと烏滸がましいが、ご主人とも一度お眼に掛かった事も有る。京都大好き女性で、柳居子の知らないお店や 行った事の無い神社仏閣 又お口がこえて居られるから 京都だけで入手できる食材調達の目的も有って 度々京都へお越しだったが このところコロナ禍で足が遠のいている様子。お眼に掛かれば愉しく談笑する仲間である



 ちりめん山椒 柳居子手製のブランド名『くもり』名付けの由来は 有名なちりめん山椒の店『はれま』の事語らねばならない。海から遠く離れた京都の町海産物の京土産は無かったが、ちりめん雑魚と山椒の実をドッキングさせて 立派な京土産として商品化された「はれま」に控えての『くもり』梅干を頂いた彼女にくもりを差上げた。大変喜んで頂き 師弟の縁を結ぶとやらで ちりめん山椒師匠になっている。
 彼女の手作りちりめん山椒は、『はれま』に控えた『くもり』の弟子の『くもま』を名乗るとか言っていた。

 今年送られてきた梅干に添えられていた一文は、フェイスブックに載った朝の珈琲屋のお話 その場に行けなくても 其処に居る様な感じ とても楽しみにしています。と書いてあった。


 ツィッターとかライン フェイスブック等など は不思議な紐帯(ひもとおび)紐帯すら無い繫がりを我々の世代は完全に掴みきる事は出来ないと思う事が有る。
相手その人の全体を知る事は難しい。 其の人の一部分だけのお付き合いという一面も有るが それはそれで良いのではないか。季節の到来を知らせてくれる梅干など 随分太い紐帯だとおもう。 お礼に代えての一文である。






Last updated  2021.04.17 09:36:32
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2021.04.16
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 昨日午後 顔中髭だらけの大きな外人さんが店に入って来た。『カードは使えますか?』 と 尋ねられ 『Cash only』と言うと『それでは。』と言い残し店から出て行った。暫くして又やって来て『現金持ってきました。髪の毛短くカット 髭は3ミリに切って下さい。』と言う。淀みなく日本語が殆ど日本人同士の会話の様に進む。


 髪の毛切りながら『本当に日本語がお上手ですね。』と思った事其の侭 言うと
『知れば知る程 奥深い言葉だと思います。』『どちらから日本にお越しですか? 』と尋ねると ベネズエラと言う。お仕事ですか?と追って聞くと 今筑波大学に居ますとの事 多分学究生活を送っているのだと思う。


 髪の毛刈揃え乍 『髭を3ミリにカットしてください ? 』ベネズエラて、メートル法なの? 『日本語知れば知るほど【奥深い】』こんな表現日本人でもなかなか出来るモノでは無い。ただ者では無いという思いが募った。


 突然客人から、『私は 貴方の大ファンです。』と 思いがけない言葉が飛び出した。 この人の友人が柳居子の店に来られたらしい。 そして店の事を色々と吹聴して貰っているらしい。遠来のご来店サイン帖を見せたが 二冊の帳面に友人の記載は無かった様だ。


ベネズエラの事を色々と聞けば良かったと思うが、日本の事を論じ合う事に終始した。『日本には 春・夏・秋・冬と四つの季節が有って 季節ごと生活のスタイルを変えねばならない事が 日本人の精神構造に大きく影響していると思います、雨季と乾季 又一年同じ気候だと 物事単純化に流れると思うし 季節の移り変わりは影響大きいと思いますよ。』と言うと『全く仰るとうりです。』外人さんに日本語でここまで 躊躇いなく 会話が交せて 判って貰えるのは稀有な事だと思う、


 散髪 髭のカットも終り料金も頂き『今日は楽しい時間を有り難うございました。』と言われ 『今の言葉 貴方に言おうと思ってました』と言うと二人で大笑い。

料金を頂き 階下玄関までお見送り 又来て下さい 必ず又参りますと交して 二階の店に戻り 頂いたお金レジに入れようとして ふと横見ると 音声同時翻訳器
「ボケトーク」が出番は無いの? と膨れ面していた、必要な時に遣うものだと 改めて気付いた次第である。






Last updated  2021.04.16 18:45:20
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2021.04.15
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 従妹が亡くなった主人の三回忌の廻向を予定していましたが、コロナの
事も有り 取り止めの報告と 粗供養ですがと、朝の珈琲屋のチケットを持って来て呉れた。 勝手知った親族同士 香典返しとかお祝い返しの品は、もう物が増えても使わないモノばかりだから、大分前から珈琲チケットと送る方 貰う方も決まっている。三回忌の廻向 粗供養 深い意味を考える事無く使っている言葉だが、意味が如何違うのか? 疑問を持ったのは何十年も前の事 判らない事は人に聞き教えて貰う事に何の躊躇いも持たなかったから、これは大事な客人でも有った仏教書専門店 其中堂 森崎新さんに聞くのが一番最短と思い 廻向と供養の違いをお尋ねした。


森崎さん曰く 『供養はなぁ 死んだ人やその他諸々の霊を慰める爲の営みと言うたらええのかな。対象人間に限定しない フグ供養とか 絹糸を吐き出す蚕供養 生命体では無い針供養も有名や 心に尊敬や感謝の念が出てくると、其れを形に著すのが供養と言うものだよ。』森崎師は、柳居子が 判り易い様に供養に付いての説明が終ると、廻向は 今は死んだ人の法事其の事を言い表すが サンスクリット語の事は省略して 変化させるとか 結果を出させる 向けると言う様な意味 又 自分の開いた悟りの境地を人に向けると言う様な意味が有る。判ったか?』と言われ 
 『解った様な気もするし 何もわかっていないという感じもします』と言うと 
『到達点が無いから 何時までも続く そういうもんや』というご託宣 



結局 廻向と供養の違いは、曖昧模糊 サンスクリット語を少し勉強すればその違いは判ると思うのだが、特別世渡りに必要な知識 求めねばならない事でも無いから ファジーな宗教用語とでもしておこう。 







Last updated  2021.04.15 11:43:27
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2021.04.14
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 京都の町名や 通リ筋の名前の謂われに付いては、再三記事に載せている。又 上がる下がる 東入ル西入ルの住所表記についても、クロスする場所地点と捉えるか 昨今のスマホ台頭の影響で、点と捉えるか? 京都に古くから住む人は、上がる・下がる・東入る・西入ルが馴染んで、その下の正式町名を知らないケースが多い。
毎年秋に行われる 旧学区区民運動会は、町別対抗戦だから 近隣の町名は、よく知っているのだが、その町が何処に在るのか知らないケースも有る。


 上京・下京に分区され 其の後中京や伏見や左京右京が市域に組み込まれたのだが、例えは『中之町』という町名は 市域で十一箇所在ると言うし 中の町の隣りが下之町 上之町と連なって事も多い。



 柳居子の知る範囲で、町名の謂われと言う様な事を整理してみると。その昔住んでいたとか、屋敷が有ったとか 〖人名〗に纏わる町名が在る。毎朝出掛ける珈琲屋の町名は 道祐町 この町名は 延宝年間 この町の西側に久野道祐という医師が居て 名医の誉れ高く 何時か道祐町と呼ぶようになったという 了暾厨子町    平野了暾が住んでいた。室町・新町間 三条通り下がった細路沿いの両側町である
『職業名』が其の侭町名になった事例は多い 八百屋 魚屋 畳屋 もう商品も無ければ従事する人も居ないと思われる 葛籠屋町 扇子の骨を扱う店が多かったから付けられた 骨屋之町。
京都は 寺社仏閣が多い事から 『神社名・寺名』を其の侭 町名として名乗っている所も数多く有る 稲荷町・神明町 毘沙門町 弁財天町 元其の町内に在った社寺を其の侭 頭に元をつけて 名乗る町も有る。元悪王寺町など
祇園祭りの鉾町には 鉾・山に因んだ町名も 多い 長刀鉾町 菊鉾町 上神輿町等など 商家の名を町名にするケースも有る 茶屋町 茶屋四郎左衛門に由来する
 公家公卿の邸宅を其の侭町名にもした 二条殿町 徳大寺殿町など

 町名 通り筋名に付いては、まだまだ書く事が沢山有る 項を改め続きを書く心算だ。








Last updated  2021.04.14 09:20:33
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