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2019.09.17
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敬老

 
カテゴリ:カテゴリ未分類
 昨日は年寄の日。正式には〖敬老の日〗と言うのだそうだが、若い人から敬われる年寄になっているか如何かは、自分自身には判らない。

 柳居子は未だ現役の様な顔をして、毎日お客様をお迎えする身だから、色々な年代の人と接点が有るという意味では、仕事をリタイアして悠々自適何もせず過ごしている人に比べると 惨めという思いと 誇らしいの思いが交錯 複雑な思いがする。いずれにしても 他人との接点 対話・会話の有る無しが お年寄りにとっては大きな差異とか変化に関わる事と思う。

 先日 後期高齢者も含めた 同じ年何人かが寄った席で、柳居子が話した事。〖 こういう席に出て来られるのは、銭金の問題では無く 我々の年になると 心の持ち様が大きな障りになる事がある。煩わしいとか、今更昔の仲間に会って 何の話しをするのか? 確かに話題は限定されてくると思うが、大事な事は外へ出る事。
家の中で何する事も無く過ごしていると、その分毎日腦細胞が枯れて死んでいく。其れは惚けの始まりである。何れ誰の身にも起こる事だが先延ばしを考えよう。

}外へ出る時、男なら先ず髭を剃り髪の毛が残っていたら櫛・ブラシを入れる、女性なら衣装を考える 唇に少し紅を指すのも気分を奮い立たせてくれる。

 外へ出ると必ず金を使う。其の買い物が自分に必要なものか 又付いている価格が妥当な値段か 自分に必要な量はどれくらいか? 金の遣り取りをして釣銭が間違っていないかを確かめたりする。

 向こうからやって来る人 挨拶されたが 誰だったかな 必死に想いださうとする。又挨拶を受けた人 何か言わねばならない人だったか?
お祝いか・お悔やみか?
 他人との付き合いは諸々有る。整列して順番に出逢うというのは滅多に無い。その時 其の瞬間だけの事。年を取ると其の対応力が鈍って来る。そう思わへんかー。〗皆 最後まで聞いてくれた。

何時までも年を取らないというのは、若い人に対する順応性と言うのが大事
 若者に話すより、若者の話しをしっかりと聞く事が大事と実践している。
老人と敬われるより いつまでも「年を喰らった仲間)を目指している。






Last updated  2019.09.17 10:23:55
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2019.09.16
カテゴリ:カテゴリ未分類
 仏教が 我が国に齎(もたら)されて、天皇を筆頭として貴顕の帰依を受け、寺・寺院と言うのは歴史の表舞台・裏舞台に隔てなく其の存在感を示し続けている。元号を寺名に冠した寺は、篤く国家から庇護され 又未だに門跡寺として連綿と続く寺が沢山有る。

 奈良の六宗と、最澄・空海が請来の真言と天台 平安時代には教義・教団の固まった宗派を古と言えば、鎌倉期に台頭した浄土宗諸派 法華宗 禅宗と言うのは新と言う区別が出来るのかと 柳居子は思う。

 いにしえと呼ばれる宗派の多くが、国家の手厚い庇護を受け、大きく根付いた事に対して、法華・浄土宗の諸派は、その拠り所とする財政的基盤も含めて。宗教とは距離が有ると見られた 一般庶民を抱え込んだ事が、これまた 宗が長く続く事の大きな力となったのは間違いないと思う。只主役と言うのか 本当の当事者たる 庶民の顔や姿 又諸々残っていて不思議ではないと思われる事に付いても其の分野に関する記録が無いという。意図的にその存在を表に出さなかったか。若しくは些事と見たのか。

 こういう不可解を、僅かに残された資料を集め 思索を重ねて『中世寺院における 大衆と惣寺』院々谷々の衆議の実態』というレポート 下坂守氏寄稿の一文を読んで色々と初めて知る 気付かされる事が多かった。

 惣という字が有る。室町時代 荘園が解体される頃 その地に住む人達が共同体を作って 村全体の意思決定をしたり明らかにしたという動きを惣という言葉で表した。寺を支える庶民が、烏合の衆として存在していたのが 惣という括りが出来て 近くの寺を惣寺と位置付け その寺の構成員としての自覚が芽生えて 社会性と言うのか 時代の変わり目のエポックの様な時代が続いた。

下坂氏は、比較的その時代の資料が数多く残されている 滋賀県園城寺文書を重点的に調査され 園城寺が北院・中院・南院と三ブロックに分かれていた事を説き 特に南院では、組織運営の原則が 衆議で行われていた事を古文書読み解いて確認された。延暦寺に付いても三院有って其のブロックは深い谷で分けられていた。延暦寺全山を表わす言葉に 『院々谷々』という言葉がつかわれた 延暦寺は 寺域や規模が園城寺より遥かに大きく歴史も古いが、度重なる火災 兵火も有って 一般庶民との接点を示すような古文書は残っていない様だ。

 院同士の諍いとか 三院揃っての本山への献策など 読み応えのある古文書の解説が続いているのだが 余りに長く 又取捨選択に迷うから ここでは触れない。

 只 衆議一決等の字句を見ると、今と幾らも変らない人々の営みを感じるのだ。 衆議院という名付けなど この惣寺での衆議を採ったのかと思ったりする。

 親しい友人に 惣を名乗る人が二人居る 惣を司(つかさ)どる『惣司』の姓 西賀茂の出身と聞いているから、古くからの名跡 御所車に関係が有るとか言っていた。






Last updated  2019.09.16 10:56:43
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2019.09.15
カテゴリ:カテゴリ未分類
 「甲斐性がある」と 云う言葉は、かいがいしい性格とか、頼りになる、生活能力が高いという意味で使われるケースが多いと思うのだが、昔は『気甲斐性』という言葉が頻繁に出ていた様に思うが、聞かなくなって久しいる

 古くからお越しになっている呉服屋さんの御主人と 其の方のお父さんと同業、同年配のこの方も柳居子の店に見えていたお客さんの想い出話の中で、気甲斐性という言葉を久し振りに思い出したので 気甲斐性の有った人の話を書いてみる。

 担ぎの呉服屋さん、僅かな反数を肩に担いで、馴染みの家々に直接セールスに出掛ける小売業 訪問販売のクラシックなスタイル。そういう仕事をされていた。当時七十歳代 現役で頑張って居られた。

 京都市が敬老乗車証を始めて発行した時、当初金の負担は一切無しで、お年寄りに配られていた 其の後何某の金を収入に合わせて徴収しているが 柳居子には大変ありがたい制度だが この制度が出来て最初に恩恵を受けた 担ぎの老呉服屋さんが、何を仰ったかと言うと『儂はなぁ、手に何も持っていない時は、有り難くこのタダ券使わせて貰うのやが、荷物(商品)を肩に掛けている時は 皆と同じ様に 金払って 堂々とバスや市電に乗っとる』
 仕事と仕事以外を使い分けておられた。「只券使って仕事しとる。と 思われるのはけった糞悪い。
 仕事中は ちゃんとバス代払うというのは「気甲斐性」が有るという事。『世間様に気恥ずかしい』とも仰っていた。物事のけじめ こういう風に考える日本人が昔は多かったのだろう。
七十歳越えての担ぎ呉服屋現職 其の事が同乗のバスの客に判ってしまうのが恥ずかしかったのかも知れない。確かめろ術が無い程歳月が流れた。息子さんも先年他界された。






Last updated  2019.09.15 09:52:53
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2019.09.14
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 古典を紐解いて、日本語の深淵なる事を思う事がしばしばある。文語体と口語体 書き言葉と話し言葉 話し言葉はリアルタイム。後の世の人には一切残らない。書き言葉文語体と言うのは 歴史の続く限り残るもので有ろう。

 例えば終戦の詔勅

〖朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民(しんみん)ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ ・・・・・】
 この文を、今の若者は読み下す事はおろか 其の内容にどれ程の理解が出来るか 公人として私情を挟まず 詔勅を自ら読まれた人の事などは、もう遠い歴史上の出来事になっている。

 一寸例えが横着だが、喋り言葉を常着と考えると 書き言葉は余所行き 公式と言えるかと思う。只 文語体書き言葉に馴染みの無い人が増々増えつづけると 比較的最近 終戦の詔勅ですら現代語訳を付けねば理解出来ない事になる。

 多くの古典案内には、読み下し文と現代語訳が付いている。自分たちの先祖が普通に使って書き残した文を 子孫足る我々が人の手を借りなければ読めないというのは少々残念な事と言わざるを得ない。

毎朝 珈琲屋の隣りの卓で日経新聞を読むのが習いのN先生は。18世紀フランスの哲学者、数学者、物理学者でもある ダランベールの現代文翻訳を 大学教授の定年退職後の ライフワークとされている常々『私は穀潰し』と言われるのだが、『文化の伝承は、穀潰しが担う役 食いつぶす穀が有るからええなぁーと談笑。先生は特別フランス語を専攻された訳では無く 『そんな古い時代のフランス語をよく訳す事が出来ますねェ。』と言うと 先生曰く フランス語はタランペールの時代も今も殆ど変っていません。だから私の様な貧弱な語彙力でも充分理解が出来るのです。』『昔の人と同じ言葉・価値観で物事が見られるって素晴らしい事ですね』と言うと『やはり フランスは。文化大国と思います。』 『古典を読むのにガイドの要る日本と 大違いですねと日本理解の話しが続く。

源氏物語 紫式部の書き残した原書は残っていませんが、仮に残っていたとしても何が書いてあるおそらく理解出来ないと思います。源氏物語は、天皇四代 七十年余りに渡る 約四百人の登場人物の諸々が書かれています。固有名詞は使われず男性は官職名 女性は姫とだけ表記されています。 又其の職名が同一人でも出世と共に変ったりで、その当時に生きて現場に居た人だけが理解出来る私小説 ゴジップ集なのです。 後の世の人が古典として読み継がれたのは 早い時期に読み下しのガイドブックと言うのが 何種が出て 其れによってストーリーとして整頓され讀みやすい文となっているのです。 後世の人との合作で残っていると考えたら良いと思います、桐壷の帝・葵の上・朧月夜尚侍・雲居の雁 等の人物特定は後の人の 人物が特定しやすいために付けたものです。 源氏物語解説者と言うのは 余程古い時代から存在していた様で、三条西実隆の『源氏物語系図』とか『源氏物語全部引歌並詩古語』と云うような手引書が有って 始めて伝わったとも言えるかと思います。


 時々 朝から大勉強をさせて頂く事がある。 個人伝授で珈琲代520円(回数券価格) 珈琲代を非常に安く感じる日も有る。






Last updated  2019.09.14 12:09:06
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2019.09.13
カテゴリ:カテゴリ未分類
 社会規範とすべき法なり決め事が、厳格で微細に渡って張り巡らされると。正しい規律の整った社会が実現するのか、実現の道を辿るのか? と言うと必ずしもそうでは無いと思う。

 規範・規律の強制と言うのは、制限を加えないと世の中が混乱するからという必然性と考える。其れはどちらかと言うと、為政者の立場に立った視点。本当はそう云う取り決めや言われるまでも無くても 人々が己の良心に従って、正しい・悪しきの判断が付けば、法は 出来るだけなだらかな申し合わせの様な事で足るのだが 現実はそう云う訳にはいかない。

 法三章と言われる 漢の高祖の 殺人・傷害・窃盗の三章だけの罰則を布告して有名になった話は、史記の高祖本記に載っているのだが、其の三章を発布する前段の秦の圧政をの事を語らずして 法三章の本当の意味・目的は判らない。 秦の時代 帝に背く様な事が有れば一族殺戮 僅かな発言でも棄民として身分を落し込むという恐怖政治 其処へ沛公(高祖)が乗り込んで 人を殺せば死刑 傷害と窃盗は其の程度によって罰が下される。その他の諸々は秦の事例に倣うという布告を出した。

 一族連座と言うのは 日本でも豊臣秀次の一族を賀茂の川原で処刑して、其の跡地に建った瑞泉寺ガ菩提を弔っているという事例が有るが 一族連座と言うのは 傅かせる(かしずく)という事に付いては、一番効果のある方法だったのかも知れない。

秦国に住む人の民心を集める爲 高祖は この法三章を掲げた事に対して、多くの事が 酒や貢物を差し出したが -、其れも受け取らなかったという。法三章も、権力を得る前段の戦略の一つと捉えると すこし評価も変わってくると思う。

我国の法と云うのは、天下万民の顔が建つように精巧に出来ている様に思う。駄目が仮に出たとしても 救済の道が準備されている。ザル法と云われる由縁でもある。天下万民を振りかざせば何事も通る様に思う事がある。

殆どの庶民は、殺人や生涯・窃盗とは関係の無い生活を送っている、しかし重大犯罪を起こした者の一族と言うのは 住んでいたところから逃れ 起こした事件とは何等関係なくとも 世間から消えたような生活をする。
秦や漢の時代も今も、左程人々の営みが変って来たとは思えないのだ、






Last updated  2019.09.13 10:34:19
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2019.09.12
カテゴリ:カテゴリ未分類
 毎日 何かを書かねばならないという 強迫観念と言うのは 持った事が無い。其れは責任の無い事を軽く書いている事でもある。 受けを狙って書く事も無ければ、物事を動かすと云うような ご大層事も考えた事も無いから書かない。只三日坊主に終わらせたく無い その思いが14年以上休みなく何かを書いているという結果となっている。

 思い付いた事 考えの浮かんだ事を文にしておくと、何となく頭の中に仕舞いこんで 必要な時その情報が即座に出てこないという事が随分軽減されると実感する。会話の中で思い書いた事が 案外スラスラと出てくる事がある。
頭の深くに仕舞いこまれた深層記憶と云うようなモノが 顕在意識と繋ぐ様な役割を書く事が果たしているのかも知れない。連載の効果というのか余録と言う事だろう。

 一度本サイトにも載せた事が有るが、新しい読者の爲再度書いてみる。
 今使っているパソコンは頂き物 頂戴した経緯が面白い。

ブログ記事のプリント版を発刊毎 柳居子よりは年嵩の御婦人に届けていた。長く使っていたパソコンの調子が悪く ぼちぼち買い換えの時期とアドバイスする人も居て、出来上がったプリント版を手渡す時、「一寸暫くブログ記事集 お届け出来ないと思います。』と言ったら『もう止めるの?』と聞かれ『いいえ パソコンの調子が悪く買い替えで 私は機械音痴だから設定とやらの難しい事は人任せになりますから暫くの間止まります。』と言うと『そら 一寸寂しい事や 何時も楽しみに読んでいるのに』と言って失礼しますと踵を返すと声が罹った『ところで、パソコンと言うのは幾らくらいするモノなの?』と聞かれ
『私の使う目的なら 十万円も出せば充分 今はもっと安いかもしれません。』と言うと『ああ そうか』で会話は終わったのだが、

翌週 辛うじてパソコンが動いていて ウエブサイトに載った記事を友人がプリント版版下を作って呉れてコピーのプリント記事をご婦人に届けた。『パソコンは未だ動いているの?と聞かれ。よたよた瀕死の状態ですがもうアウトです。』と言うと プリント版手にして 一寸待っててねと奥に戻り 茶色の封筒を持って差し出された。『この中に十五万円入ってるかに 上等のパソコンお買いと言われた。有り難いとは 一瞬思ったが、柳居子も店を構えている矜持の様なものも有って十五万円の金は受け取り辛い 『そんなお気遣いは結構です ご遠慮致しますと断ったのだが、其の御婦人の返しの一言で 柳居子は転んでしまって『有り難く頂戴致します』と其の封筒を受け取った。

 其の御婦人 何と言ったかお判りかな。『私は、あんたが思っているより うんとお金持ちやから 何も遠慮せんかてええ 又愉しい読み物届けてや。』返す言葉無く十五万円を頂戴した。他人に金を渡す時相手の遠慮見越してこういう言葉の有る事を知る。

 お金持ちと言うのは こういう金の使い方をするから金が溜まるのか 等と下らぬ事を考えたが、其の御婦人がプリント版が読めなくなるその時まで絶対書き続けねばならない ノルマを課せられた十五万円と気付いた。
 未だに発刊毎 届けている 連載の続く理由の一つでもある。この記事読んで,『しょうもない(下らない)事も 書くのやねえ』と言われそうな気がする。






Last updated  2019.09.12 09:05:14
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2019.09.11
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 相変わらず、髪の毛の色や 目の色の様々な人がやって来る。特別客寄せの広告の様な事は何もしていない。 在洛ホテルのフロントから営業時間の問い合わせや予約が入る。キャッシュ・オンリーと伝えておく。有り難い事だが結構疲れる。

以前は外人のお客様は、ご近所の柊屋旅館・俵屋旅館・御池のギンモンドホテルの紹介の人に限られていた。又、顔を剃ってくれという注文は受けた事が無かったのだが、今は顔剃りがメイン 楽しみにやって来る。殆どはグーグルの検索でやって来る人ばかり。有りがたやグーグル。

我々が例えば東南アジアの マニラとかジャカルタ シンガポールで店を構えた理髪店に入っても、顔を剃ってくれと言うだろうか? 何となく物騒な感じがして 別に黄色人種同士でも偏見を持ち 先ず顔剃りは頼まないと思うに。白人が日本に来て 立派に蓄えた髭を剃り落してくれと言うのは、白人・黄色人という事を考えても不思議な思いがするのだ。

しかし次から次にやって来る外人客を見て 今の時代と言うのを否応なしに感じずには居られない。特別外国人客メニューが有る訳では無い。日本人のお客さんにしている事と同じことをして喜ばれるというのは日本人の理容師としては誇る事かも知れない。

日本人は概ね白人に比べて 髭の量 本数が少ない。だから剃り跡ツルツルに剃りあげる事が常識になっている、しかし白人は髭の量の多さに加えて 皮膚が薄く 日本人と同じ様な剃り方をすると顔中血だらけになってしまう。

柳居子は、熱い蒸タオルで充分に髭を蒸し上げ柔らかくして 又 皮膚を弛緩(ちかん)させて一気に剃りあげ 外人には御法度とされている『逆剃り』と言うのをする。 血を出さず心地よく剃りあげるのは熟練の技と言っても、日本人の理容師ならほぼ同じ事が出来る。柳居子だけが突出している訳では無い。
只 やって来た客人に対して。些細な事だが絶えず笑顔を接するとか 僅かな英語力 語彙を並べる様な事だけでも  相手との会話の様な事を心掛けると 相手はリラックスしてくれる 気持ちよくとか居心地良くと言うのは 本来為すべき事が、ちゃんと出来たら、非常に大きく感じるものかも知れない。

四月に18人の遠来の客を迎えたから 5月の連休前に丸善で世界地図と、朱印帳を買い求め 遠来の客が入って来ると直ぐ世界地図を拡げ『何処から来たの?』と尋ね指さすところに『貴方の名前書いてくれろ?』と頼み込み 仕事終わって二人で記念撮影 さしてメッセージ帳替わりの朱印帳にこの店私の事などを書いて貰って 送り出す。

日本旅行 旅先の京都で立ち寄った店に、自分の名前残るというのも彼等には嬉しい想い出に残る事の様だ。

昨日はサンフランシスコ・オハイオ・モンゴルから入れ替わり立ち替わり三人の外人客 髪の毛が黒いから『旅先ですか?』と尋ねても答えが無い。「フェア アー ユー フロム?』と言うとモンゴルの人だった。メッセージには『何時までも元気に頑張って下さい』と漢文で書いてあった。
モンゴルからの客人送り出してから昼食 午後三時だった。






Last updated  2019.09.11 11:05:19
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2019.09.10
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 八月末、本サイトの校名変更の記事中、京都造形大学 が校名を変更して。京都芸術大学を名乗るという一報に接して。碌々内容読まず考えもせずと断りながらも、そんなに芸大に拘るのなら 混乱避けるため市立芸大は、元の絵画専門学校 絵専(カイセン)に戻すのも一案だと 但しカイセンは、一寸痒いと下らない事を書いたのだが、このサイトを読んだ 極く親しい友人が、柳居子の店にまでやって来て、私の考え付いた造形大の新校名と言う話をしてくれた。

 彼曰く 今の京芸大市立と。造形大の現況を見た時、市立の方は 絵画・彫刻と音楽が加わった クラシックと言うと少し外れるかも知れないが、特化した芸術専門。其れが呼びとか評価と言える。 一方造形大の方は絵画・彫刻・音楽だけにとどまらず映像とか伝統文化歌舞伎とか とにかく巾の広い芸術を 文化と捉える学問領域を持つと私は考える。

 ここは造形大に【京都総合芸術大学】という呼称を名乗って貰ったらどうだろうか? と、言う話である。総合は学問の分野が広いと世間にアピールする事の出来る二字でもある。卓見だと思う。

 総合の二字が付く事で市立との混乱は避けられると思うし、若し校名問題で裁判沙汰にでもなると、市立芸大を京都市民がどれだけ認識しているかと言う事が争点になるだろうが、100%と言う訳にも行くまい。

 争いごとを、当事者同士で解決する事に付いては、京都の人は強かだと信じたい。例えば 市長さんご自身が 公式でも非公式でも造形大に出向いて。【総合芸術大学】と名乗って頂けませんかと頼み込むのも一つの手段かと思う。市長の頭低くしての頼み 造形大が蹴ったら京都市民は黙ってはいない。又市長提案を受けたら 京都市長ご命名と謳う事も出来る。

 造形大の古い時代をよく知る人に聞いた話では、造形大の開学の時 芸術大学を名乗る事を、当時の理事長 徳山詳直さんが 管掌の役所へ届けたが、当時は校名に付いても許認可制で、京都市立芸大と紛らわしいからと却下されたという話しも伝わっている。今は校名に付いては届け出制になっているので、再提出という事らしい。

 瓜生山に在るから瓜生山大学と名乗る案も有った様だが学生たちが反対したという。

 市立芸大より すこし大きい名乗りの 総合芸術大学 『総芸』この辺りで造形大も手打ちをしては如何かと柳居子思う。

マスコミに ネタ撒くよりも 納めたい。






Last updated  2019.09.10 10:59:07
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2019.09.09
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毎朝五十数年 休むことなく出掛ける珈琲屋は、常連客用の席を二ヵ所特別に準備して呉れている。観光客が表に列為す状態でも、店側は常連席へは案内しない。しかし観光シーズンで、特に日曜日等は 常連客の出足が遅く 柳居子一人が、席を占める様な状態になるから、ウェイトレスに『観光のお客さんにもこの席座って貰い。』と言って座らせる。テーブルの色も違い 客の方も特別常連さんの席と心得ているかの様に躊躇いながら座る。

 遅れてやって来た常連客仲間とは、実に色々な話題が出る。何十年も朝の一刻珈琲を一緒に飲むと言うだけの交わり 利害関係が殆ど無いからお互いが好きな事を言いあっている。そして頃合い見計らって 同じ席に座った観光客を話題の中に誘い込む。まさか京都の地の人と珈琲カップ挟んで会話が出来るとは思っても居なかったから 喜んで卓話に参加と言う事になる。

『皆さんは親しいお友達同士ですか?』と聞かれ『同じ時間帯一緒にコーヒーを飲むというだけの関係ですよ。』肩書や名刺すら一切通用しないフリーランスな世界 皆 其々が此処を朝の居場所と定めているひとばかりですよ。』と、言うと 我々会話を聞いていた人が『何とも贅沢な時間が流れるのですね 京都の町は。』と言われた。

 数多全国にはコーヒー店は有る。しかし 客同士がホスト・ホステスの役割機能する店はそう多くは無いだろう。

 来店歴の古さ長さを以って、柳居子を(主)と言う人も居るのだが、観光客以外 暖簾を潜って店に入ってくる客は 皆 柳居子と眼が合うと挨拶・会釈をしてくれる。誰彼なく毎朝お眼に掛るのだから、門番守衛が役どころだと言っている。

 昨朝は久し振りに京舞 篠塚流の家元 篠塚瑞穂さんがやって来た。大勢の空席待ちの観光のお客さん飛び越して座ってもよろしいでしょうかと言うから 常連さんの親しいお連れさんは常連客に準じるとか 勝手な理屈付けて柳居子の隣りに座らせた。門番・守衛の役 いつまで続けられるだろうか?。






Last updated  2019.09.09 06:10:20
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2019.09.08
カテゴリ:カテゴリ未分類
 現役第一線という年代では無い事を充分過ぎる程理解している。見た目の年齢と言うのは、時々出掛ける銭湯の横長の鏡に写る 我が身を見る度、バスに乗っていて席を譲られる理由は、この体型・この歩き方だと自己確認をするからだ。

そうは言っても、始発のバスに乗って出掛ける先 仕事場は第一線の戦場の様な場所。尤も最近は。客を選り好みと言うより不戦のケースも時々ある。若い髪の毛染めたお兄さんが入って来ると、両手上げて『七十四歳 もうじき七十五 そんなハイカラな今風の頭 よう刈らん』と言うと笑いながら退散してくれる人も居る。出来もしない仕事安請け合いするより 出来る仕事を一所懸命する方が 良心的な年寄対応だと思っている。

グーグル検索でやって来る 外人のカット・顔剃りの客人が相変わらず多い。グーグルのサイトにどの様な記事が載っているのか知らないのだが、柳居子の年齢も知っているし 顔も知っている。そして皆一様に やっと辿り着いたという顔をして店に入ってくる。

一昨日 フランスからやって来た客人は、『又 日本に来たら必ず京都に来て 貴方に顔剃りをお願いします。』と言うものだから『次はいつ日本に来るの?』と尋ねると、少し考えて『五年程先かな』と言うから『五年先は引っ越しをしているかも知れない。』と答えた。『どちらへ引っ越しか?』と再度の問い。
決定はしていないがと 天井指さして遠い遠いところと言ったら 大爆笑 まだまだ元気で頑張って下さいとエールを貰った

遠来のお客様は気を使う事が無い。再来が殆ど無い一度限りの客人。自分の出来る範囲の事を精一杯すれば十分と考えている。相手も黙って託してくれる。其れで良いのだろう 有難い仕事だ。

仕事場町内会から。老人の日が近づいて来たので、事前に町内在住の高齢者名簿と言うのが配られた。町内在住の男性では。ベスト10に入る七十四歳 
この名簿に来年からは名前を載せるのを外して貰おうと考えている。エー年して何時まで仕事してるのやという見方も有ろうかと思うから、名簿に名を載せるのは堪忍と言っておいた、敬老の日の記念の品は何でも頂くよとも言っておいた。






Last updated  2019.09.08 10:04:40
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