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カテゴリ:島物語
目の前におだやかなラグーナが広がり、年中さんさんと日の当たる位置のおかげで、この島は昔から、多くの庭園と菜園、別荘のある保養地でした。 1529年9月、ミケランジェロもフィレンツェとメディチ家から逃げるように、このジュデッカ島に来て休息した、という資料が残っています。ミケランジェロの、メディチ家の政治体制に対する批判と、当時の政治的混乱が逃避の原因だったようです。 行政区上は、ドルソドゥーロ地区に属するジュデッカ島ですが、ジュデッカはあくまで島であって、厳密に言えばヴェネツィアではない、というのが否めないヴェネツィア人の感覚でもあります。 島の東の端には最高級ホテル『チプリアーニ』があり、西端には『Mulino Stucky Hilton』が来月オープンします。1895年に建てられたストゥッキー製粉所を改装したもので、ヴェネツィアの建造物としては破格に大きなその建物も、またひとつヴェネツィアの新しい見どころとなるはずです。(写真は、ジュデッカ島にある、パッラーディオ設計で1592年完成のレデントーレ教会) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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初めまして、ベネチアの歴史を調べていたら
ここに辿り着きました。 マニアックな話で申し訳ないのですが 今ヒプノを勉強していて、先日の前世イメージがベネチアの 商人でした。 でも・・なぜか時々英語で話すんです?? ベネチアならイタリア語のはずなのに・・?? 不思議で調べております。 名前もクリストファーで代々この名前(祖父・父・自分) 三代続く商人でした。。 ベネチアにイギリスからの移民・・って居たのでしょうか? 突然の書き込み失礼しました。 (2007/05/18 09:53:20 AM)
こんにちは。前世がヴェネツィア商人とはかっこいいですね。私も憧れますが、当時の天候に左右されながらの、帆船の厳しい旅を思うと、想像だけで船酔いがしそうですが・・・。彼等が活躍した時代は、ヴェネツィアではヴェネツィア方言が、公用語として使われていました。そしてヴェネツィア商人なら英語はもちろん、多言語を自由に操っていたでしょう。それに国際都市だったこの街には間違いなくイギリス人もいたはずです。クリストファーはイタリアではクリストフォロ。(コロンブスの名前ですね)イギリス系のイタリア人家系だったりして・・・。
(2007/05/18 06:26:44 PM)
ありがとうございます。
何だかスッキリして嬉しいです。 このブログの写真と同じような建物でした。 一階と二階が吹き抜けになっていて、両側には 積荷を入れておくドアが沢山ありました。 二階は事務所を兼ねていました。住まい別のような そんな感じでした。 そのときの頼りになる執事の名前がジュルジュさん でした。 ここのブログの写真に良く似た光景でした。 海に面した所と狭い運河に面した所と・・・ 行ったことも無い土地なのに何故か鮮明でした。 マニアックな質問に答えて頂いて本当にありがとう ございました。。。 ・・・・・感謝・・・・・ (2007/05/21 11:51:22 AM)
書かれている建物の構造は、典型的な当時の商館のスタイルのようですね。私には前世などを具体的にイメージする能力がないのですが、とても興味はありますよ。古く歴史のある街に住んでる人が偉い訳では全くないですが(むしろ鼻持ちならない人も多かったりして)、でも長い伝統のある街には、やはり何百年もの間に積み重なった「過去の人々の思い」がたくさん詰まってると思います。
そんなかつてのヴェネツィア人の思いを、少しでも理解して紹介出来たら、と思ってブログを書いてます。 いつかぜひ、クリストファーさんもヴェネツィアに来て下さい。 過去と自分をつなげる何かを、もっとビビッと感じるかも知れませんよ。 (2007/05/21 06:38:36 PM) |