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カテゴリ:人物伝
しかし三人の犯人は、その頃すでにローマへ戻っていました。コロンナ枢機卿のもとに身を寄せて、さてどれほどのご祝儀が法王様から頂けるものかと、期待に胸を膨らませていたのです。 ところが、「なんというスキャンダル!サルピ神父襲撃の黒幕は法王庁だった!」「スキャンダルどころか!こんなことは昔から、法王庁には朝飯前さ!」といったデモが展開され、風刺のビラがまかれたのです。 面目を失った法王パウロ5世は、三人を投獄することに決めます。任務は完全には果たさなかった上に、今となっては邪魔な存在、ということなのでしょう。 実際それまでの歴史で、神の名においてローマ法王庁が直接、もしくは秘密裏に、どれだけの思想家、宗教家、科学者、そして異教徒たちの命を奪い、また、たくさんの女性たちを「魔女」とし殺害してきたことでしょう。(法王庁を激しく批判したプロテスタントやカルヴィニズムの教会でも、自分たちの教義や立場を絶対とし、違う信仰を持つ者を迫害し、魔女狩りも続いていました) ヴェネツィア市民がサルピ襲撃のニュースを聞いた時、犯人をかくまっているに違いないと、すぐにヴェネツィア駐在の法王庁大使の住居に押し寄せている所を見ても、ローマ法王庁の「やり口」は周知の事実だったのでしょう。 さて一命をとりとめたサルピですが、二度と同じことが起きてはならないと、彼の身の安全に関する提案が、1607年10月27日ヴェネツィア共和国の議会で可決されます。 その内容は、護衛付き私用ゴンドラの提供、総督宮殿近くに助手とともに住める住居の提供、そして年俸を倍増の800ドゥカーティに引き上げる、というものでした。 しかしサルピは、それらの申し出のすべてを鄭重に辞退します。信念を貫いた結果とはいえ、今自分は、たくさんの修道院の仲間達の献身や、他の多くの人々に支えられて生きている。 この時彼は、五十五歳。 九死に一生を得てなおさら、一人の修道士として純粋に地味に、そして自分の姿勢と知識を通して人の役に立てるように、残っている自分の時間を捧げたいと願ったからではないでしょうか。 あきらめきれないヴェネツィア政府は、「隠し渡り廊下」の建設を提案します。修道院から誰にも見られずに、直接ゴンドラに乗り込むことが出来る、という通路です。(当時のゴンドラは屋根付きでした) 信念の人サルピも、このヴェネツィア政府の必死の申し出は、有り難く受けたのでした。 (写真は、サンタ・フォスカ橋近く サルピの修道院 その9に続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/07/11 03:41:01 PM
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