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カテゴリ:歴 史
1198年に選出された、若き法王インノケンティウス3世(1160-1216)は、すぐさま第四回十字軍編成に着手しました。しかし、第一回十字軍から100年が経ち、第二回、第三回の不成功もあって、人々のあいだに以前のような熱狂はなく、法王の計画はなかなか具体化できないでいました。 そこで、パリ近郊出身のフォルコ修道士に、白羽の矢が立てられます。パリの神学校で学んだこの修道士が、抜群の記憶力と、人に感銘を与える巧みな弁舌の持ち主であることを、法王が知っていたからです。 フランスの騎士達が会した場所で、自ら、赤い十字の形の布を、僧衣の背に縫い付けたフォルコ修道士の演説が始まりました。 「位のある者も、ない者も一丸となり、聖地を守り抜かねばなりません!神がお望みになるのです。そう、神がお望みになるのなら、私たちは怖れることはなにもない。この十字架を手に、私たちの勇気と血で、汚れた者の手から取り戻そうではありませんか!」 数分後にそこは、熱気と興奮に満ちた劇場のような空間と化していました。こうして第四回十字軍が動き出したのです。 フランスの名のある騎士達が参加を表明し、シャンパーニュ伯、ブロワ伯、フランドル伯から二人ずつ計六人が、細事の決定の代表として選出されました。行程は海路とし、輸送全般は、ヴェネツィア共和国に依頼することが決定しました。 1201年の春、この六人の代表はヴェネツィアにやってきます。この度の十字軍輸送の委託交渉のためです。 「4500人の騎士、4500頭の馬、20000人の歩兵、9000人の従者を運ぶ船と、それらの一年分の食糧」これが、十字軍側が、ヴェネツィアに頼んだ中身でした。 これは単なる移動手段というのではなく、ヴェネツィア側にとっても国をあげての大事業で、失敗はできない大きな資本投下を意味していました。これを、85000マルクで1202年の6月29日までに用意をする、というのが契約の内容でした。 さて、この時のヴェネツィア政府トップは、エンリコ・ダンドロです。この第41代総督は、しかし齢八十を超え、以前のケガで視力も十分ではない状態でした。(その3に続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/11/22 05:25:54 PM
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