200907 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ヴェネツィアの獅子たち

ヴェネツィアの獅子たち

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

Reiko Fujiwara Marini

Reiko Fujiwara Marini

Archives

2024/04
2024/03
2024/02
2024/01
2023/12

Recent Posts

Category

2008/12/06
XML
カテゴリ:歴 史
 イストリア、ダルマツィアの街は、これまで目にしたこともないような艦隊を見ただけで、すぐに恭順を誓いました。
 一方、ザーラの街は抗戦の構えだったので、十字軍の襲撃を受け、再びヴェネツィアの支配下に入ることが約束されたのでした。
 
 しかし、これを知った法王インノケンティウス3世は激怒し、十字軍を破門します。ハンガリー王国もこの沿岸地方もキリスト教徒の民だったからです。
 フランスの騎士達はあわてて、法王に「ヴェネツィア人に、さもなければ船を出さない、と脅されやむを得ず」と「状況の説明」をし、なんとか破門は撤回されました。
 一方ヴェネツィア人は、破門には慣れていたので、破門されたままでした。
 
 たしかに、異教徒征伐の十字軍が、キリスト教の民を襲撃するのは、矛盾しています。しかしそれなら十字軍は、異教徒と交易することで成り立っている、ヴェネツィア共和国総督の提案は受けてはならなかったし、そもそも矛盾の元は、支払い能力があるかどうかも分らずに、大事業を企てたことにあります。
 
 一方、ヴェネツィアの行動の判断基準は、「国益」にかなうかどうか。短期、中期もしくは長期的な視野から、国のためになるか否かで、首尾一貫しています。
 
 さて1203年、ザーラで春待ちのために停泊中の十字軍に、ある人が面会を求めにやって来ました。
 ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の皇太子アレクシウス4世です。彼の父、皇帝イサク2世は兄弟であるアレクシウス3世の謀反にあい、失明させられたうえ投獄されていたのでした。
 
 アレクシウス4世は、父の仇である叔父を追放し、皇帝の座を取り戻す協力をしてほしい、そうすれば代わりに、30万マルク(20万マルクの説もあり)の現金、イスラム教徒との戦いのため1万人の軍隊、全ビザンティン帝国領土で、カトリック教会の権威の承認を約束するというものでした。
  アレクシウス4世のこの依頼が結果的に、第四回十字軍の運命を変えることになるのです。
(アレクシウスの肖像 その5に続く)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008/12/06 06:34:14 PM
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。



© Rakuten Group, Inc.