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ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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2008/12/13
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カテゴリ:歴 史
 十字軍への、ビザンティン帝国皇太子アレクシウス4世の依頼に、最初に賛成した人物がいました。モンフェラート候のボニファチオです。10世紀頃ピエモンテ州の丘陵地帯に興った侯爵家で、今回の十字軍の総大将を勤めている人です。
 
 ところで、アレクシウス4世の姉が二度目の結婚で、ホーエンシュタウフェンのフィリップ(ドイツ王1178-1208 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(通称赤髭王)の末子)に嫁いでいました。
 それで、アレクシウス4世は、十字軍にこれらの依頼をする前に、この義兄を頼ってビザンティン帝国の顛末を相談しに行っていたのです。
 
 フィリップは、妻の弟の窮状を助けてやりたいのと、最大のライバル関係にあるヴェルフェン家のオットー4世を出し抜きたい気持ちもあって、義弟アレクシウス4世の要望を受け入れます。
 
 この時に、このドイツ王と縁戚関係である、上記のモンフェラート候もフィリップのもとを訪れていたのです。彼らの間で、十字軍への依頼とその見返りについての、事前の根回しが出来ていたのは間違いないようです。 
 
 ヴェネツィアは、ビザンティン帝国での「お家騒動」の件は把握していましたが、ドイツ王とモンフェラート候が加わった、アレクシウス4世の王座奪還計画の情報まではつかんでいなかったので、ザーラでのビザンティン皇太子の登場は、想定外の出来事だったのです。
 しかし、総督エンリコ・ダンドロも、すばやく賛成を表明します。ヴェネツィアにとって、ビザンティン帝国との決着を付ける時が来ていたからです。
 
 ここ何十年か、ビザンティン帝国はイスラム教徒との戦いの他、国内の有力貴族達の賄賂の横行で腐敗がすすみ、市民が暴徒化することが多々ある等不安定な状態でした。
 そんな中、ヴェネツィアが伝統的に受けてきた交易優遇措置を、突然打ち切ったり、元に戻しても年々不利な条件にするような「なめられた」外交状態であったのと、帝国内のヴェネツィア人が、庶民の憎しみの対象となって殺害される事件も多発していたのです。
 
 熟考したのは、フランス人の騎士達でした。一度ならず二度までも、キリスト教徒を襲うのはいくら何でもまずいのでは、とのためらいがありました。
 けれども、総大将であるモンフェラート候が賛成したこと、そして見返りとしてアレクシウス4世が出した、「東西キリスト教会の統一」が実現すれば、結果的に神のためになるのだという「大義」に押され、彼らも目的地をエジプトからコンスタンティノープルへ変えることを承諾したのでした。
 最終的に「大義」が勝った理由として、大金30万マルクの存在は関係なかった、とはやはり言えないでしょう。
 
 これを知った法王インノケンティウス3世は、怒ります。しかしあくまで表面的にです。彼は、「東西キリスト教会の統一」への野望にくすぐられていたからです。それを示すように、今回の具体的な懲罰はありませんでした。
 
 1203年春、十字軍はいよいよ世界一の都、コンスタンティノープルに向けて出発します。
(その6に続く イスタンブールの聖ソフィア寺院(アギアソフィア)で、かつての正教会の総本山。4本の尖塔は15世紀オスマン帝国支配後に設置)







Last updated  2008/12/13 05:13:24 PM
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