カテゴリ:記憶
拝啓 フライングシード様
人は、生きていく中で無駄も必要だが、無駄と理解したときにそれをそぎ落としながら成長していく。 遊びや趣味をあきらめなければならないこともある。 が、 我慢我慢の人生は味気ない。 趣味のない人生なんか、生きている価値もない。 その考え方は間違っていない。 それでいい。 しかし、 甘えてはいけない。 甘やかしてはいけない。自分を。 その遊びは、自分に必要か? その趣味は自分を成長させるか? その遊びや趣味と自分の仕事はどちらが楽しいか? 無駄とは何か? 人は、人生という貴重な持ち時間を刻々と失いながら生きている。 そう感じながら、人生をはかなんで生きている人は、生きていくために必要な仕事さえ、貴重な自分の持ち時間を消費してしまう作業として捉え、 死を恐れ、いつも嘆いている。そんな生き方に何の価値があるだろう。 人生は、楽しみ尽くすことにある。 朝日の美しさに感動し、雨の恵みを感謝し、箒で塵を掃くときにさえ、箒が描く波もようを鑑賞する。 何物も面白き!である。 しかし、 持ち時間というものがある。 人生は無限ではない。 若い頃は、まさに人生が無限であるかのように生きていたが、少々節約しなければならないことに気がついた。 であるならば無駄を省きたい。 無駄とは何だ? 無駄を省いて楽しみのある輝かしい老人の一日とは何だ? 何事にも楽しめる一日を積み重ねることのできる精神。 大人にならなきゃいかんか。 子供の頃からいろいろなことをやった。 かんしゃくだまを仕掛けていたずらをしてしかられ。 柔道で自分の位置を知り、 スキーで自然の中で遊ぶことを覚え、 読書を越え、 映画から学び、 ハンググライダーで恐怖を乗り越えることを知り、 化学で爆発し、 山で考え、 絵画で芸術家の役割を知り、 音楽で友達の輪をつくり、 ゴルフで哲学をした。 それらはすべて、僕を成長させてくれた。 僕にとって絶対必要なことだった。 だから僕がいる。 今後の人生の中で それらは、決して無駄ではないが、 時間的に省くことができる。 省くことができないのは、 生きることそのものと、生きるために必要なこと。 食べたり、寝たり、と その準備や後片付けや掃除洗濯 自立した老人になるために職業も必要だ。(80歳過ぎても現役でいたい) これらすべてを楽しみつくす。 身の回りのことさえできない老人と、きちんと整理されている老人。 身の回りのことをすることを楽しめるところまで成長できている人。 自分を甘やかして何もしなくなるのと、自分を楽しませてなんでもする。 正反対のようだが、この二つはよく似ている。 どちらも自分に正直だ。 気の持ちようということだ。 老後に向かって楽しい人生を準備するために、一番、自分のために必要なものは、金じゃない ふつうに、何事も楽しめる人に お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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時間の差、レベルの差あれ、必ず先人達が思い、考える事は後輩(自分を含めて)達にもその時は必ず
訪れる。そう考えるとFSさんのこのような現時点の 考え、思いはとても貴重なアドバイスとして読ませて頂きました。このような思いをまた聞かせて下さい。 (2006.12.01 11:04:54)
今の自分には、とても思う事のある言葉です。うまく言えませんが、「ありがとうございます。」
(2006.12.02 11:52:54)
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