「閑話休題」禁断の林檎1
「閑話休題」禁断の林檎1 言わずと知れた「創世記」の神が造ったとされるエデンの園ですが、此れは神と言うよりは言葉を換えれば、大宇宙の創造者、とりわけ生命創造の絶対意思と絶対精神を持った大光霊を想像させます。「創世記」の記述によればエデンの園は「東の方」にあり、アダムとエバはエデンの園の食用果実を管理し耕すために神が創造してそこにおかれています。キリスト教徒たちはエデンの園を、パラダイスであり、神が存在する地上の楽園と考えます。しかし同じく「創世記」を信奉するユダヤ教徒やムスリムにはその様な概念はありません。此の時点のアダムとエバには、知恵若しくは霊魂さえ与えられず、自我を持たされていない状態でした。ここに、神が造られた野の生き物なかで、或いは大光霊の分霊のうちで、最も狡猾とされる蛇が、エバに園にあるどの木からも取って食べるなと本当に神が言われたのですかと問います。其れは恐らく未だ霊魂を持たないものへの内心への問いかけでした。「旧約聖書」創世記第3章では、3:2女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、3:3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。其れに対して蛇は、あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのですと答えています。創造者のエデンの園に居住する此の存在は、其の時点迄は悪魔などではなく大光霊の部分霊でもあったルツッイフェルです。ときには大天使ルツッイフェルと呼称される霊が神の意に逆らってまで此処で登場したのは何ゆえなのでしょう。なお、その毒林檎とは、中東に自生する白雪姫の毒林檎のような人間を死に至らしめるものではなく、記されている通りの知恵の実の林檎だったのでしょう。