「直覚霊知」115人格の自立と自由の感情(秘学論理)
「直覚霊知」115人格の自立と自由の感情(秘学論理) 人間の人格の自立性と自由の感情は、旧約聖書のごとく知恵の実を食べることを誘惑した存在、ルシフェル或いはサタンといわれる悪魔的存在に負うところがあるけれども、其のことを人間は、此の存在と対立するところの絶対精神・意思を持つ究極の存在、一般的に言われる神的存在、無と有という因果・縁起さえ離れた根源的な常有「大光霊」との調和を失うことなく働かせる必要が求められています。しかし、現代に人生生活を送る人間は、増々、元来には絶対精神・意思を持つ究極の存在との感受性を保ち続ける要請があったにもかかわらず、あまりにも外感覚的で物質的な世界に埋没した結果、悪魔的存在に心が傾いてしまい、其れに完全に融合し霊魂存在を滅却する危険に晒されています。反面、ルシフェル或いはサタンといわれる悪魔的存在の働きかけがなかったならば、人間は遥か以前に旧約聖書で楽園で失ったときに其の存在との調和に達したなかったとはいえ、しかし其のことがなければ、人間は精神的な人格の自立も自由の可能性も失われていたとも言えます。しかしながら、現代の外感覚的で物質的な世界に埋没したときの今こそ、人格の自立と自由の感情の中で、再び内感覚的な霊魂の声に従った絶対精神、即ち世界の理法に心を傾け、その高みに達する必要性が生じ、今や人類の存亡にも関わることになっているのです。