「思考と直覚」直覚を先達に学ぶの2(四十二)
「思考と直覚」直覚を先達に学ぶの2(四十二) 古今東西硬軟聖俗を眺めれば、古史に残る偉大な先人は幾多挙げられますが、ここでは当初から「神の啓示」を受けた預言者を除きます。然し乍ら、其の彼や彼女達にしても神の啓示受けとる段階以前には、一種の修養と瞑想を行い、啓示を受けるに相応しい内精神が備わってなければ現代にまで信仰の対象とされるものとは成り得なかったでしょう。なかでも特筆すべき人物は旧約聖書の著述を記したとされるモーゼは、エジプト王女の養子であり王族として当時の最高学府で教養を身につけた人物であり、其の彼が啓示を受けるに相応しい内精神を高揚させていたことだけは察することは出来ます。但し、神の啓示に関してはオルレアンの少女の例を挙げるまでもなく、自ら思索し探究する「直覚知」とは異なり、自己の内精神を探究するのではなく「啓示」をもって与えられた神の言葉を人間には解せない言葉を理解する預言という経過をたどるので、自己の内精神を探求して理法の真相を直感するのとは意味合いが異なります。