「思考と直覚」人間存在を思考/ソクラテス-10(百八十)
「思考と直覚」人間存在を思考/ソクラテス-10(百八十) ソクラテスの認識した「無知の知」が絶対知即ち「世界の理」に対しての自己の無力さを知らしめたとするならば、其の与えてくれる恵みは人間の霊魂の形成を促す力です。プラトンの「ソクラテスの弁明」を読み解くと、ソクラテスがアテナイ市民につねに訴えていたことは,この霊魂の働きがけに気遣うということです。固有の人間が生きるということは、其々の霊魂の「生きよ」の真意、其の真相の意に、各々其の持つ知恵である「徳」を探索し極めることです。徳とは自我を生きることにおいて、其々の自我の本質である霊魂を認識し、「生きること」をよく果たすように気遣うこと。つまり「自己にとっての最善の生きかた」に努めることです。各々の持ち得た霊魂が其の持ち味を活かした固有の働きにより果たす卓越を求め、全知でないが故に「徳」を求めること止まず、其の知恵を愛求する者であるという意味で、自らをフィロソフォス(愛知者)と称し,この知恵を愛求する活動をフィロソフィア(哲学)と呼んだのです。其れは自らの知性を高め認識を確かなものとし、段々に追求を深め、自らの霊魂を昇華し「我」を離れることにも繋がります。おそらくは、釈尊の達観への思考も瞑想という型式を帯びながらも思考方法は同様なものの筈です。