「女人禁制」結界を批判
我が日本にあっては、戒律を護持するために一定の地域を囲み、別境の人と過ちなき様、結界と称して女人を締め出している場所が散見されます。此れは笑止なことです。僧侶・山伏が何の修行か、とさえ思われます。批判をすれば、此処は神聖なところで、古来よりの習いですと答えが返ってきます。女性が汚れていて悪魔の申し子だとでも言いたいのでしょうか。あの鬼子母神の慈母観音が入場するのもお断りか?。釈尊は、法華経に在っては、比丘尼が仏に成る事を宣言されておられます。修行の目的を再考されたい。しかし、世の学識ある人や評論家が声を大にして批判されないのにも考えさせられます。
我が国古来の相撲道が、女性が土俵に上がることを断る理由が、力士が取組を神に捧げる神聖な場所というのなら、野球賭博やしごき事件は起こらなかった筈です。