カテゴリ:夢有無有
「時間」は運動か
アリストテレスの「自然学」では、時間を先と後に関する運動の数と云う定義づけをしました。「少しの時間に多く動く、多くの時間に少し動く」のが運動の多少さであり、時間で数える。本来の時間は運動そのものではないが、運動なくしては存在し得ないものと説いています。 此の論法で時間を観想しようとしても、運動を離れた時間はそもそも存在しないし、独立した時間を否定することになります。運動と云う名を借りて、仏教で云う縁起にも似た取り扱い方です。 宇宙が全くの「無」(質量・運動の無い世界・エネルギー皆無)のビッグバン以前の原初宇宙の核とも云える存在を考察する事は無理がありますが、時間が存在を許されない核にビッグバンの起爆剤なるものが存在していたことは疑えません。そのものは一種の運動エエルギーでなかったのか、運動が時間の発生以前のビッグバン以前に存在したならば、アリストテレスの時間運動依存説は粉砕されます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年01月18日 12時28分09秒
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