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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年01月06日
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カテゴリ:夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/第一原因(三百二十四)
 ルネ・デカルトであれ、唯物主観・外感覚的経験主義・歴史的弁証法の発展型のマルクス主観を立ち位置に思考するもの、認識論・観念論に立ち位置を求める人間も二者の間の因果律の関係の成立みならず、たとえ、現代科学の云う結果が原因に影響を齎すこともあることを認証するのでない限り、二者の因果関係を否定はしません。史的唯物論は、その面では人間存在が出発点とする社会主観の立場に立つものですから人間の社会形態を前提としており、二者間の超えた第一原因なる思考方法は認めません。ヘーゲルの弁証法は二者間に現れる正否、乃至、正非或いは、ある意味、始めに人間ありきとの立場をとっている以上当然だともいえます。然し乍ら、人間に精神の深層に理性があると認識する以上は此のヘーゲルの弁証法の立場では霊魂の救済は語ることは出来得ません。つまり、霊魂存在の立場に立つ人間の思考は「第一原因」を絶対存在・絶対意思・絶対意識と捉えない限りにおいて、大宇宙や神的存在は内部的存在となります。それならば、意図的に其の存在下のものを自由意思をもって変幻自在に左右することが有り得るのかというと、「核(コア)」爆発からはじまるビッグバン(Big bang)、其れに続く空間・時間さえ自らが成し得る「有」には「自己認識」さえ必要としない「完全体」であり、例外として、絶対意思にとって障害となる事象の発生が予測されるときに、その障害を未然に防ぐために大宇宙並びに、其の他人間が其の絶対意思の延長にある限りにおいて事象に介入し得ることはあっても其れは一種のバランスの問題であり絶対存在、即ち、「究極の存在」である第一原因の預かり知らぬことです。
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最終更新日  2016年01月06日 07時24分27秒
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