「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ39
現象界の奥にある、世界の根本原理を純粋思惟(しい)や直観によって探究する、所謂、形而上学(英Metaphysics)は、人間の感覚乃至(ないし)経験を超え出でた超現実世界のリアリティーを真実在とし、其の世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとするものですが、世界の根底或いは根本基底を究めんとすることから、未完全な物理科学では捉え切れず、其の根底は思想家による哲学によって規定されますが実相は皆目(かいもく)見えざる段階にあり、理論物理学及び形而上哲学と宗教が混在するのは現代でも同様です。我々人間が知りたいのは「何故(なぜ)に自分が産まれたのかを自己を認識することにより、また、「自我」に目覚めて生成されたものが何故に滅びに向かうのか、自己の恒常を願うのは人間に限らず生命あるものの本能に刻印(input)されています。其れならば、不死乃至は不滅はあるのかと云えば宇宙の始まりが物理学理論上的にしろ定義されて認容されている以上、エントロピー(ENTROPY)の法則に従い終末が訪れることが予想されます。始まりのあるものには終末があるのは理の当然であるからです。デカルト及びスピノザの時代の思考には宇宙の始まりがあるとすれば世界とは別個に神の創造を認めることに成り、持論には矛盾となり、世界の終末を認めるならば無の要素が入り込み、将又、矛盾に陥ります。懐疑思考のデカルトを除いてもスピノザは絶対者(絶対存在・絶対意識。絶対意思)を世界そのものと合一すると想定する以上、現代物理科学はスピノザの論理には反します。エントロピー(ENTROPY)の法則の正邪が問われます。何よりも霊魂の不滅には大打撃でしょう。
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