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「霊魂論」神秘学28
前田慶次じゃないけれど其の先陣でもある傾奇者の織田信長の様に「意志」が突出している場合には、感情の制御や、思考の沈静化は有り得ない。迸(ほとば)しる魂の発散が待つばかりです。「意志」が突出し、統御されぬままに突き進み、いかなる拘束も受けずに行為から行為へと突っ走る英雄の証は「思考・感情・意志」の働きを均衡させるところには「無駄」の一言なのでしょう。日吉大社や日光東照宮に比してのぶながの神社仏閣を比較すれば、信長の霊魂感が垣間見えます。合理主義的是々非々主義者のエゴイストの現代人の好むキャラクターの必要条件は揃い踏みで、彼等が織田信長を英雄視するには根拠があります。但し、信長の「達観」を捉え切れているかは甚(はなは)だ疑問視するのは私的には妥当します。其れは社会的に成功したかに見えた人間の発言が死の恐怖を乗り越えていないからです。然し乍ら、吉法師三郎は代々の名付け名に依るにしても延暦寺を炎上させ婦女子ともど明智光秀に殺生させた仏徒には皮肉としか云えない名前です。 哲学・思想 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年04月13日 06時25分51秒
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