「霊魂論」エチカ詳解70
弁証論の覇者、唯物主義論の政治構成の構造の組み立てを共産主義に援用させた程のヘーゲルの所謂カントの云う二律背反(antinomy)的な弁証論法にとっては、最初に統一原理の存在のスピノザ論理学としての「神」は、同じ哲学の壇上にいるスピノザ論理学としての「神」は、世界内の矛盾とされる二律背反論法から真相を語ろうとする立場からは、スピノザ哲学は、コナトゥスいう根本的なものの歪を無視した楽天的な思想だと看做すのは至極当然です。然し乍ら、スピノザのコナトゥスの概念は、個々の物体の運動の基底を顕にしようしている。且つ亦、スピノザの基本的な運動法則は、デカルトに習い、個々の運動の継続を示しています。其のこと故に、運動の静止とは、他のものによってこの運動が妨げられているときに起きる。詰まりは、運動の静止は、他者の媒介による自己運動の妨害によって起きるということになります。然らずんば、スピノザのコナトゥスの概念は、ヘーゲルが批判するように、個々の物体の闘争を無視した楽天的な思想だということは出来得ない筈で不当だと言えます。然し乍ら、スピノザのコナトゥスは「根本的」なものとはするものの更なる「根元である統一原理の存在」想定していることは二律背反的弁証論法から真相を語ろうとする立場からは黙認すること相容れないのも合点がいきます。
哲学・思想ランキング