カテゴリ:時間考察
時間の陥穽154
時間は人間が世界を理解する上での立ち位置であり、此れなしには変化や運動が解明できないとする立場は基本的にアリストテレスにとっても事情は変わりません。事情は基本的には、モノの性質的変化・量的変化・場所的変化としての動、其の変化から生じた生成、消滅にも時間は必ず関わっている。然し乍ら、アリストテレスは直接モノの生成消滅の経緯に係る「動」及び「変化」は、変化しつつあるもの、乃至は、動いているものにおいては認められるが時間はいつ如何なる何処にでも、どんなものにでも認められると云います。更には、変化や動には遅速の違いがあるが、既に変化や動には時間に導入、つまりは、底流としての時間が入り込み、逆に、変化や動から時間は拘束されません。一般物理学概念の限界です。特異なのは変化や動には遅速の違いがあるが、時間にはそれがなく、寧ろ、時間が遅速を規定するという点でしょう。アリストテレスの時間概念で重要な疑問点は時間と動および変化が密接な関係にあるのは疑い得ない以上、アリストテレスは時間が「動の何か」でなければならないと考えたことでしょう。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年05月16日 06時01分06秒
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