時間の陥穽160
アリストテレスは此処三者の関連、運動・空間・時間から運動の本質を分析します。運動におけるより先・より後は、その存在主体そのものについては運動ではあるが、然し乍ら、その本質は別ものであって運動と同一ではない、主体と本質が別ものだとします。彼アリストテレスは、より先・より後という先後関係の基盤を空間的拡がりにおける位置関係に見立て、そのような空間的区分が運動における先後関係に受け継がれ、其れが更に時間にも受け継がれると思考します。但し、空間的先後関係がその儘其の通りに運動における先後関係に引き継がれるわけではない。空間における先後は、基準点からの距離によって決まるので、事物の並置ないし布置による何らかの同時的秩序の形成が導入される。対して、運動における先後関係は順序を必要とするので継起的秩序となり、両者は必ずしも一致しないのです。換言するならば、空間的先後関係は単なる回路図すなわち布置構造であり、運動的先後関係は、通過地点の順番をその回路図に記(しる)したもの、すなわち順序構造そのものであると云えます。例えば、惑星間有人宇宙船は効率的飛行を考慮する筈ですから、先ずは地球の引力脱出圏、無重力ステーションへの移動、其の次には、エネルギー軽減のために引力圏脱出の動力機関を外しての惑星への接近行動、最後に、惑星への着陸船にての下降となります。運動全体はこのように三つに分節ないし区分され、それによって移動運動が持つ順序構造が明確化されます。然し乍ら、運動自体は空間的拡がりが有する布置構造を基盤としてはいるものの、それを順序構造に変換したうえで、その先後関係を受け入れるのであって、運動に順序をもたらすのは、実相は、空間的拡がりではなく、そのものの運動経過そのものだということになります。然し乍ら、時間の特性が此れで言い尽くされているのであろうかは甚だ疑問です。
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