時間の陥穽162
運動は或る方向性と連続性を持った順序を踏むが故に、観察及び観想者は運動を空間的拡がりの中に見いだし、空間的布置構造が観相出来得ます。完全現実態への目的達成のためには順序が必要となるのです。たとえ目的的完全現実態が「混沌/chaos」であるにしても運動そのものが持つ目的へと向かう方向性には影響を与えません。この方向性による順序構造への変換に基づいて、運動における先後関係が規定され、その関係が少なくとも、数的なものでとして取り扱うことが可能となります。運動の数としての時間が「数を持つかぎりでの運動」であるということは、その根本において「順序構造を持つ運動」という意味に解することが可能だということです。それでは、この運動における先後関係が、そのまま時間における先後関係となる得のであろうかが、運動・空間・時間の三者間の関連から、運動における先後関係が、其の儘、時間における過去・ 現在・未来という時間様相の関係的先後関係「かって・今・いつか」の時間的先後関係に対応できる得のであろうかは重要性を帯びます。ここにアリストテレスの「今」の解釈の論理が重要性を帯びる訳です。
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