カテゴリ:時間考察
時間の陥穽198
ナーガールジュナは茶碗が土に依存するように、茶碗が獨立して存在を世に占有するものではなく、土から陶工の技倆を得て、竈の火熱で焼かれ、茶碗としての在り様が生じるように、人間自体も無機物から有機物への変性、その後に何モノかの因に依る本能の定着を経て、生命に地球環境を始めとする外世界から精神が芽生え、今現在此のように思考する人間が現在するとします。それは常有であるモノの意図の産物ではなく、全てが連鎖する因縁から生じたものだと説きます。即ち、人間精神が思考する常恒・不変の「神」の否定です。其れ故に、大乗哲学では「神」も縁起を逃れ得ず死すべき存在です。では「仏」は不滅かと云うと、仏にしても「空」が仏でない限り始まりがあり終わりもあります。此処に「空」論の深奥の真髄がありますが、変化無き真髄を実体無き作用因としての「空」、結果因としての「空」を鑑みれば、「空」には始まりもなければ終わりもない「縁起」の実相さえ見得ずの文意を鑑みて、西洋思想家が龍樹が虚無主義者の烙印を押すのが、あながちに否定するのは短略的なのか、誤謬なのかは難しいところです。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月01日 06時41分41秒
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