カテゴリ:絶対存在論
神の存否-23
スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第三:実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としないもの、と解する。」は、一般的には哲学用語では実体( substance)は、古代ギリシアから使われている古典的な哲学用語として基本的には「真に実在するもの」を意味します。伝統的なヨーロッパの存在観においては、独立自存する「実体」なるものが先ずあって、実体どうしの間に、第二次的に関係が成立するものと考えられてきた。これに対して、関係こそが第一次的な存在であり、所謂通説の実体は「関係の結節」ともいうべきものにすぎないと考える立場が、仏教の大乗の縁起観などに古くから存在します。然しながら、実体そのものに対しては不可知論的立場から、実体としての物体そのもののうちに実在する第一性質である延長、形態、運動など(primary qualities)と、物体によって我々人間の心の内部に生ぜしめられる第二性質である色、音、味、香など(secondary qualities色)を区別するのに実体を用いたのに対し、特に、イギリス・スコットランド・エディンバラ出身の哲学者で経験論の立場を徹底するデイヴィッド・ヒューム(David Hume/1711年4月26日 - 1776年)などは、経験に与えられることのない実体の想定を否認し、従いて、実体を想定してのみ意味をもつ第一性質、第二性質の区別をも否定したと同様の立場から、実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられる、即ち、因果を超越したものと見做します。量子宇宙論では「空間粒子」なるものが、宇宙を究極に細分したものは只々一種類の宇宙を充たすもの、謂わば、情報シナプスから構成されていると捉えられ得るとします。さすれば、スピノザの言う実体は「真には神に在り、実在するものは空間粒子からなる情報因子」だとも憶えます。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月13日 06時10分04秒
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